日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

松井秀喜、渡米!

2008年02月09日 18時05分13秒 | 松井秀喜
松井秀喜外野手は、渡米に際して、自身厳しい立場であるが、「焦らず」、「無理せず」、「夜更かしせず」の「三ない」でキャンプを乗り切ると語ったが、決意を読みとれました。

 --渡米を前にした抱負を
 「今年は例年と違う気持ちがあります。しっかりとやりたい」

 --例年と違う気持ち、とは
 「今年は厳しい立場なのでそれを自覚してやっていきたいです。いつもとは違う、ということがいい方向に行ってくれればいい。楽しみといえば楽しみです」

 --昨年11月に手術した右ひざの状態は
 「トレーニングはしっかりできました。リハビリも順調。ある程度は回復しています。ただ、どこまで野球ができるかがはっきりしていない。ニューヨークで執刀医に診てもらってから(キャンプ地の)タンパに入りたいです」

松井選手は、来シーズンまで契約を残しているが、今年もトレードのうわさにさらされたように、重大なシーズンとなるでしょう。
来期は1300億円以上をかけた新球場となるわけですから、今シーズンの成績によっては、チームそのものが編成に大ナタが振るわれるでしょう。

写真は渡米する松井選手と建設中の新球場。



松井秀喜、プレキャンプへ!

2008年02月08日 12時47分01秒 | 気まま日記
松井秀喜外野手(ヤンキース)は、都内での自主トレを打ち上げた。手術の右ひざは、52.5Cm~56Cmに増加して順調そうにみえる。

「日本に帰ってきたころと比べて、だいぶ状態が戻ってきたな、と思います。現段階でやれるだけのことはやりました」

この後タンパへ移り、1週間程度のプレキャンプに入ります。

松井秀喜外野手を取り巻く環境は、本当に厳しい。新監督の評価も、他選手への約束手形が多く、低いのではないでしょうか。次々にDHに高評価の新選手が表れるのは、旧監督(トーリ)が懐かしいです(誉めて使う監督が)。
それでも乗り越えて立派な成績をお願いす。テレビ中継が楽しみとなりますように!

法華津 寛さんに乾杯!

2008年02月07日 19時43分39秒 | 応援します!この人生!
法華津 寛(ほけつ ひろし)さんが、北京オリンピックの馬場馬術代表に決定した。

略歴【法華津 寛(ほけつ・ひろし)林間学校での乗馬経験がきっかけで馬術を始めた。64年東京五輪で障害飛越個人40位、同団体12位。馬場馬術に転向して84年ロサンゼルス五輪は補欠。88年ソウル五輪代表に選ばれながら直前の輸送で馬が検疫に引っ掛かり、出場せず。86年アジア大会の馬場馬術で個人、団体とも2位。88年から全日本馬場馬術選手権5連覇。外資系会社社長を辞め、03年からドイツが拠点。コンビを組むのは牝馬ウイスパー。慶大、デューク大大学院(米国)出。66歳。東京都出身。】

66歳での出場は、自身44年ぶりのオリンピックです。途中88年の不運があったが、その経歴でも解るとおり「お金持ちのスポーツ」ですが、そのことを考えても、絶賛の拍手を送らずにはいられない。
一方、「若い世代の人はどうしているんだ」との心配もある。やはり、高価な馬を手に入れ、一緒に成長しないといけないのでしょうか。

64年といえば、新幹線開通に代表される、建設ブームがあって、「三丁目の夕日」のような景色が衰退していく境目の年でした。ダンスホールさえ「ツイスト」になり、社交ダンスは片隅に追いやられ、銀座は、「みゆき族」が、黒いビニールを身にまとう異様な集団に占拠され・・・。それまで吹き荒れた「安保反対闘争」さえ、忘れさられていく年になりました。
そんな、大昔の選手が、蘇って、今、オリンピックの代表となる66歳ですから、「ガンバレ~!青春」と声を張り上げます。~同世代のよぼよぼより~

偶然とは恐ろしい!

2008年02月05日 18時18分16秒 | 競馬
今日2月5日、齢(よわい)を重ねて、重苦しいほどの年齢となった。

誰も、お祝いをする年齢でないことを承知で、こちらから話題を振っても取り合ってくれないから寂しいものです。

この前の開催の地方競馬の当たり馬券2枚(12860円)を換金に行って、ついでに全部を馬券に替えて帰った。自宅で実況(ネット)を見ていると、その中の1点が大当たりであった。(32,150*10=321,500)偶然ではないんですが、意志を持って買ったのですが、なぜかその馬券だけが、馬単であった。あとは馬連だから・・・。
これは、天の恵みというか、誕生日のお祝いだったのでしょう。虐げられた哀れな年寄りに、「見捨ててないよ」と啓示を表していただいたのでしょう。
パソコンの調子が悪い(時々HDDがうなりをあげるような音を出す)ので、買い替えようかな。

大阪府知事、切れる!

2008年02月04日 20時15分06秒 | 残日録
先の大阪府知事選挙に当選した「橋下徹(38)」さん(6日に知事に就任)が、記者の質問(公約と違う方針を述べたことに対する)に、明らかに切れて・・ふてくされて・・言葉を返した。

近頃値打ちが落ちたとはいえ社会正義を守ろうという立場の記者に対してである。社会に対する敵意を表してしまった。

残念ですね~!いかに若いとはゆえ、知事になるのですから、公人として毅然と受け答えをして欲しかったです。知事選挙出馬に関しても、100%以上の(2万%)出馬否定であった。タレントではないんですから、言葉を発する時には責任を持ってちょうだいよ~!

買い物&食事!

2008年02月03日 19時02分04秒 | 気まま日記
朝からの天気予報(雪)が少し外れて、みぞれ混じりの雨が降り続いた。それでも、午後からは曇り空と変わったが、時々パラパラとくる不安定さには変わりがなかった。

犬のおやつの「手羽先ジャーキー」を買いに行くことにしていたが、「お財布(財務省、元は大蔵省なんて言っていた)」が、買い物があるからと同行した。この際、他の店にも寄って、気に入った替えズボンと靴下も買った。
しかし、楽しみもそこまでであった。
節分のお約束「巻き寿司」や食料品の買い物の運搬係の大役を仰せつかったが、その重さは、予想以上のものであった。

夕食雑感:人間という生き物は、なんと効率の悪い動物なんでしょうか。
ユーカリだけを食べる「コアラ」や、竹(笹)だけであの大きな体を維持できる「パンダ」や、うさぎ1匹食べると1ヶ月以上も生きていける「アナコンダ」など本当に効率的だ。
人間は、多くの食べ物を摂っても、少しだけのエネルギーを得て、そのほとんどを水と固形物で排出している哀れな生き物です。もっと効率が良ければ、少しの水と米(或はパン)で、1週間も活動できるはずです。・・・・・・・
こんなことを考えているのは、食べ過ぎて苦しいからです。(おいおい食べすぎかよ)
人間は本来怠惰ないきもので、食べ過ぎに注意が必要なんですが、菓子の袋ものなど、それを空にしないと止められないなんて・・あ~あ!

プロポーズの嘘!

2008年02月02日 19時12分07秒 | 残日録
ポロポーズの決まり文句と言えば、「君を幸せにするから・・・」とか「一生大事にするから・・・」とかが、多いようです。

長い人生を振り返っても、そんな約束を実行出来たことはほんの瞬間のことのように思います。
長い人生には、悲しいことや苦しいことが多く立ちはだかって、一緒に受け止めてくれるパートナーが必要だったように思います。

これからプロポーズを考えている男は、「生きる上で、君が僕には必要です。僕を幸せにして下さい」と言えば嘘にならないでしょう。逆にプロポーズを受ける立場の女は、「あなたに付いて行きます」なんて言えば嘘になります。「きっと君を幸せにするから大丈夫ですよ」と言う方が自然でしょう。だって強いんですから。

男は強い生き物ではありません。ナイーブで繊細です。女はそれを受け止める強さがあります。
30歳台の未婚率が、50%近くになろうとしているのは、男が弱くなって「将来の不安」を、まともに受け止めているからでしょう。女も男を職業や収入で見ているから、自分を託す相手がなかなか見つからないのです。

「ケセラセラ」(なるようになる)や「明日は明日の風が吹く」(石原裕次郎主演映画)のように開き直った生き方の方が人生楽しいかも・・・。
とにかく見栄や嘘で固めたプロポーズは、破綻するときが惨めです。本音で生きましょう。

プロ野球キャンプイン!

2008年02月01日 18時38分55秒 | 残日録
2月1日は、プロ野球選手にとって「お正月」です。新しいシーズンの始まりとして、身も心も引き締まることでしょう。

その2月1日に、あの偉大な・・大投手・・・・あらゆる形容詞も及ばない「澤村栄治」投手が生まれた。(1917/02/01~1944/12/02)
高校を中退して入団した巨人軍で、当時「赤子対大人」ほども実力に差のあった大リーグ相手に、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックやジミー・フォックスなどを相手に9三振を奪う好投を演じ、日本中の喝采を受けた。(・・9戦全敗だったが)
その速球は160Kmも出ていたと推測されている。(映画フィルムなどから)
当時、その投球を見た青田昇(巨人軍の大打者)が、「澤村の前に澤村なし、澤村の後に澤村なし」との有名な言葉を残している。

生涯成績63勝22敗(大事な、21、22歳、25歳と兵役だった)防御率1.74の成績だけを見ると、想像出来ないような投球だったとまで考えが及ばないが、野球界全体が尊敬していた事実がある。
その身は、惜しくも戦火に散ったが(戦死)、今も「澤村賞」や「巨人軍の永久欠番(14)」にその名を残している。

第二次世界大戦によって澤村を失ったことは余りにも残念な出来事でした。

その後、澤村栄治を彷彿とさせる投手が現れたかと言えば、本当に野球に情熱をささげた「村山実」をおいて他にいない。