こんばんは、ジニーです。
6月、梅雨。
この季節になるとASKAの「はじまりはいつも雨」が聴きたくなりますね。
ちょっとナイーブな気分になるのか、読書の趣向にも
すこし変化があり、恋愛小説を読みたくなりました。
そこで選んだのが、江國香織さんの「がらくた」。
なんとなく、タイトルに呼ばれたというか、表紙に惹かれたというか。
嫁さんの持っている小説の中から選びだしたのはこの本でした。
読んでみて、思っていた以上にシンプルな作品でした。
感情が絞られるような恋愛小説をイメージしていたのですが、
そういったイメージとは全く違う雰囲気をまとった作品でした。
物語はプーケットのプールサイドから始まります。
旅行に来ていた柊子とその母の桐子。
ただ淡々と異国の地の時間を過ごす二人にのほかにもう一組日本人の
旅行者がいます。
ミミ(美海)という少女とその父親です。
柊子はなぜかミミに視線を吸い込まれる感覚を覚え、まるで監視するかのように
ミミを眺めます。
帰国してからも柊子とミミはことあるごとに会うことになります。
柊子とミミのそれぞれの視点でつづられる物語は
大きなうねりを迎えることなく、淡々と時間を経過させていくのです。
これは恋愛小説なのか?
巻末の著書説明でもそれが触れられています。
なんていうのかな、恋愛小説としてしまうにはあまりにも柊子とミミには
執着する心がない。
いや、あるんですけど、ないんです(なにいってるのか?)
激情ではなく、達観した執着なんです。
「あってほしいけど、失くなっても仕方ない」
そんなイメージ。
柊子には夫がいますが二人の関係性がまさにそれです。
お互いをとても求めあっているのですが、ゆえに離れる時間を作ろうとする。
お互いの存在をより強く感じるために、別の人と夜を共にしたりもする。
実際、柊子はプーケットで夫のガールフレンドとの夜を想像し言葉にできないような
寂しさを感じるのですが、それを感じるための旅行でもあると自分で言います。
そして、その柊子自身もプーケットの地でミミの父親と関係を持ちます。
そういった自分の行為を、夫に対して「ちゃんと遠くに行ってきたよ」と表現するのです。
そして、夫のもとに帰り、遠く言った自分を見てほしいと想うのです。
こんな関係性が成立するのでしょうか。
する関係性もあるのでしょう。
この二人にはそれを成立させてしまう説得力がある。
一方ミミは学生なのですが、同年代の環境にはうまくなじめないでいます。
プーケットで出会った柊子と桐子と日本でも合うようになり、徐々にその場所に
居心地の良さを感じるようになります。
そして柊子の夫とも個人的に連絡を取り合うことになります。
物語は柊子の夫とミミが関係を持ったところで、
ミミの「柊子さんに会うのが楽しみ」という言葉を含んだ会話で終わります。
(ちなみにこの時柊子は母親桐子とトルコに旅行に行っています。ちゃんと遠くへ行くため)
冒頭でプーケットで柊子が想像していた夫の奔放な暮らしが
終盤でミミの視点で事実として表現される。
これ、個人的に感動しました。
読んでいるうちに、あちら側がこちら側になっていたのです。
巧みに柊子とミミの視点を切り替えながら、二人に接点を持たせるうちに
上手に足元を入れ替えられた感覚です。
柊子とミミには多くの接点があり、多くの相違点があります。
柊子はそこに直感のようなもので気づいています。
ミミは多分気づいていることに気付かず、他人の視点で見つめています。
そこに柊子のがミミよりも長く生きてきた経験の差が出ていると思うのですが
ふたりはとても良く似ているのです。
どこか達観した感性を持っているのです。
こういう感性を持つ人間を主人公にした恋愛小説は、必然的に
こういった空気感を持つことになるのでしょう。
夫婦の関係、憧れ、安息という部品はあくまで部品でしかなく、
捉え方によってはがらくたです。
この世の中、そんながらくたに縛られる人間のどれほど多いことか。
仕方ないです、それが人間なのですから。
神々しいほどに自立し周囲を迎合しない二人。
ふたりの世界にはがらくたをただがらくたにしてしまうのではなく
愛でるべき対象の一つに昇華しようと、無意識にしている。
作中、ジャムづくりを趣味とする柊子が、ジャムを作る理由として
そのままであれば腐ってしまうものを、より長く美しく保っておくことができる
と表現します。
そしてこの言葉はとある場面でミミの胸にもスッと落ちてきます。
がらくただらけの景色をジャムのように煌びやかにするのは、
自分自身のありかたなんだと、二人のぶれないスタンスから感じることができます。
灰色のように無機質な世界に、色鮮やかな止まり木を見つけ羽を休める。
そこを知っているということと、そこにいられるという安定。
恋を旅と捉えるのであれば、色合いは違えど、ドラマはなくとも
それは恋愛小説として成立しているのではないかと感じました。
梅雨のせいでしょうか、難解な小説に引き込まれてしまいました。
とっ散らかっておよそ感想と呼べるような内容ではないですが
それが、そのまま僕が受けた印象。
上手くジャムにできているでしょうか。
6月、梅雨。
この季節になるとASKAの「はじまりはいつも雨」が聴きたくなりますね。
ちょっとナイーブな気分になるのか、読書の趣向にも
すこし変化があり、恋愛小説を読みたくなりました。
そこで選んだのが、江國香織さんの「がらくた」。
なんとなく、タイトルに呼ばれたというか、表紙に惹かれたというか。
嫁さんの持っている小説の中から選びだしたのはこの本でした。
読んでみて、思っていた以上にシンプルな作品でした。
感情が絞られるような恋愛小説をイメージしていたのですが、
そういったイメージとは全く違う雰囲気をまとった作品でした。
物語はプーケットのプールサイドから始まります。
旅行に来ていた柊子とその母の桐子。
ただ淡々と異国の地の時間を過ごす二人にのほかにもう一組日本人の
旅行者がいます。
ミミ(美海)という少女とその父親です。
柊子はなぜかミミに視線を吸い込まれる感覚を覚え、まるで監視するかのように
ミミを眺めます。
帰国してからも柊子とミミはことあるごとに会うことになります。
柊子とミミのそれぞれの視点でつづられる物語は
大きなうねりを迎えることなく、淡々と時間を経過させていくのです。
これは恋愛小説なのか?
巻末の著書説明でもそれが触れられています。
なんていうのかな、恋愛小説としてしまうにはあまりにも柊子とミミには
執着する心がない。
いや、あるんですけど、ないんです(なにいってるのか?)
激情ではなく、達観した執着なんです。
「あってほしいけど、失くなっても仕方ない」
そんなイメージ。
柊子には夫がいますが二人の関係性がまさにそれです。
お互いをとても求めあっているのですが、ゆえに離れる時間を作ろうとする。
お互いの存在をより強く感じるために、別の人と夜を共にしたりもする。
実際、柊子はプーケットで夫のガールフレンドとの夜を想像し言葉にできないような
寂しさを感じるのですが、それを感じるための旅行でもあると自分で言います。
そして、その柊子自身もプーケットの地でミミの父親と関係を持ちます。
そういった自分の行為を、夫に対して「ちゃんと遠くに行ってきたよ」と表現するのです。
そして、夫のもとに帰り、遠く言った自分を見てほしいと想うのです。
こんな関係性が成立するのでしょうか。
する関係性もあるのでしょう。
この二人にはそれを成立させてしまう説得力がある。
一方ミミは学生なのですが、同年代の環境にはうまくなじめないでいます。
プーケットで出会った柊子と桐子と日本でも合うようになり、徐々にその場所に
居心地の良さを感じるようになります。
そして柊子の夫とも個人的に連絡を取り合うことになります。
物語は柊子の夫とミミが関係を持ったところで、
ミミの「柊子さんに会うのが楽しみ」という言葉を含んだ会話で終わります。
(ちなみにこの時柊子は母親桐子とトルコに旅行に行っています。ちゃんと遠くへ行くため)
冒頭でプーケットで柊子が想像していた夫の奔放な暮らしが
終盤でミミの視点で事実として表現される。
これ、個人的に感動しました。
読んでいるうちに、あちら側がこちら側になっていたのです。
巧みに柊子とミミの視点を切り替えながら、二人に接点を持たせるうちに
上手に足元を入れ替えられた感覚です。
柊子とミミには多くの接点があり、多くの相違点があります。
柊子はそこに直感のようなもので気づいています。
ミミは多分気づいていることに気付かず、他人の視点で見つめています。
そこに柊子のがミミよりも長く生きてきた経験の差が出ていると思うのですが
ふたりはとても良く似ているのです。
どこか達観した感性を持っているのです。
こういう感性を持つ人間を主人公にした恋愛小説は、必然的に
こういった空気感を持つことになるのでしょう。
夫婦の関係、憧れ、安息という部品はあくまで部品でしかなく、
捉え方によってはがらくたです。
この世の中、そんながらくたに縛られる人間のどれほど多いことか。
仕方ないです、それが人間なのですから。
神々しいほどに自立し周囲を迎合しない二人。
ふたりの世界にはがらくたをただがらくたにしてしまうのではなく
愛でるべき対象の一つに昇華しようと、無意識にしている。
作中、ジャムづくりを趣味とする柊子が、ジャムを作る理由として
そのままであれば腐ってしまうものを、より長く美しく保っておくことができる
と表現します。
そしてこの言葉はとある場面でミミの胸にもスッと落ちてきます。
がらくただらけの景色をジャムのように煌びやかにするのは、
自分自身のありかたなんだと、二人のぶれないスタンスから感じることができます。
灰色のように無機質な世界に、色鮮やかな止まり木を見つけ羽を休める。
そこを知っているということと、そこにいられるという安定。
恋を旅と捉えるのであれば、色合いは違えど、ドラマはなくとも
それは恋愛小説として成立しているのではないかと感じました。
梅雨のせいでしょうか、難解な小説に引き込まれてしまいました。
とっ散らかっておよそ感想と呼べるような内容ではないですが
それが、そのまま僕が受けた印象。
上手くジャムにできているでしょうか。