おはようございます、ジニーです。
昨夜、ふと風の音で目が覚めました。
これまでとは違う経路の台風。
おかげで予定も狂ってしまいましたが、朝が来る前には過ぎて行ったようです。
さて、お久しぶりの歌詞の考察。
先日発表されたばかりのASKAの「憲兵も王様も居ない城」です。
3月から始まった、毎月配信の7月の新曲です。
歌詞はASKAのブログにもありますので、こちらからご確認ください。
「憲兵も王様も居ない城」 歌詞
また凄い曲を作ってきましたよASKAさん。
テーマは、「ここまで来たら、ずんと線を跨ぐ」だそうです。
曲全体から感じるのは意志の強さ。
イントロからしばらくは割と静かな感じで進んでいきます。
内に秘めた覚悟のような印象。
そこからサビに入るとガラッと雰囲気は変わり、魂のこもったシャウトで歌いあげます。
まさに「ずんと線を跨ぐ」感じです。
さて、歌詞を持て見ましょう。
まず冒頭。
「乗せ換えろよエンジンを 動かなくなるその前に
運命です 寿命ですって 誰にも言わせないように」
古くなった車であれば買い替えるほうが、きっと一般的でしょう。
でも、歌いだしからエンジンを乗せ換えろと言っています。
僕はここからASKAの覚悟を強く感じました。
車であれば買い替えることができますが、人間は、買い替えることはできません。
エンジンを乗せ換えることで、新たな動力を得ることしかできないのです。
ASKA自身、例の事件があって、一度は引退も考えたと言っています。
それでもここまでやってきました。
ついには11月からのオーケストラとともに行うコンサートも実現しました。
ここまでの躍進は、ASKAの運命にもあらがうような力強い一歩の
積み重ねによるものです。
この歌詞はそういったASKAの心情や背景を言葉に表現したように僕は映りました。
一度は走ることができないとまで感じた音楽人生。
スタッフやファンなどの声がきっかけとなり、やはりこの道を進もうと決意します。
しかし、その道はこれまでの道とはちがい、逆風の吹き荒れる
過酷な道にになっていました。
ASKAの言葉する「石の風が吹く道」。
そこを進むには、これまでのエンジンではダメだったのです。
もっともっと強い意志と覚悟を伴う、多少の批判にくじけることのない
強いエンジンが必要なのです。
立ち止まるときは、様々な甘い言葉に耳を傾けそうになります。
「ここまでの運命だったのだ」
「もう寿命だったのだ」
そういった言葉を振り切る強さも備えていなければ
その道をこれまで通りの顔で進むことは難しかったのでしょう。
決めたのは、自分です。
その決意に、誰の言葉も居れる余地を与えるつもりはないのです。
進めるところ進む。
まだ、たどり着きたい場所がある。
まだ、見たい景色がある。
まだ、乗せていきたい人がいる。
このたった2行に、僕はこれまでのASKAの集大成と確かな覚悟を強く感じました。
このように書くと、覚悟とともに、どこか悲壮感も感じてしまいますよね。
でもそうじゃないんです。
ASKAは今とても充実しています。
歩む道も、進み方も、目的地も、何もかも自分で決めているからでしょう。
その充実感も歌詞から読み取ることができます。
「逃げりゃ追いかけてくる 追いかけりゃ逃げてゆく
人生ってヤツは 愛らしい」
という部分。
思うようにいかない人生を愛らしく感じています。
むしろ思うようにいかない人生を、どのように思い通りにして見せようかという形で
とらえているのかもしれません。
そしてその覚悟を胸に、城を出て、次の目的地へ進みます。
振り返ると、これまでの自分が作り上げた大切な城が見えます。
城は様々なものの象徴です。
地位や名誉、居場所、もしかしたら財力も含まれるかもしれません。
ASKAはもうその城に戻る気はないのだと思います。
それらを持つ城がトランプで作られたようなお飾りの城に見えているので。
ここから、圧巻の場面転換です。
「ひまわりのような笑顔って お日様だけしかわからない
土の中 支えつづけるもの
遺書なら昔に書いてある 何枚書いても隠される
結局答えを「我慢」と言うんだろう」
これはもう、ASKAにしか書けない歌詞ですよ。
それもいまのASKAだからかけるもの。
本当にすごい。
いまのASKAはファン以外の人にはどのように映るのでしょうか?
大きな事件を起こしておきながら、ちゃっかり戻ってきた。
反省もせず音楽をやっている。
あんなことをしておきながらチャラチャラ音楽をやっている。
ここまでではないかもしれないし、これ以上のものかもしれません。
なんとでも言えばいいとファンは感じています。
ASKA自身も、そういった声を自身の活動で拭っていこうと考えています。
そういったファン以外の人の目線には映らない部分が実はあります。
いわゆる根の部分。
土の中で支えつづけるものがあるから、どんな風にも折れずにいられるのです。
はたから見ればただの笑顔も、その笑顔作るものが何かをしっかりと知るべきなのです。
そんな反骨の意思を垣間見ることのできる歌詞です。
一方で遺書という言葉が出てきます。
凄く色んな捉え方ができる歌詞だと感じました。
そのままの意味で捉えて、「まだ死ぬことはできない」という想いを
書いたとも考えられるし、何か別の意味が込められているようにも考えられます。
僕は、今のところ、次のように考えています。
まず前提は、ASKAが40年近くアーテイストとして生きてきていることがあります。
仮にASKAの死、音楽活動の終了を迎えたとき、どのようにASKAが語られるかと
言えば、やはりこれまでの楽曲を用いて語られるのだと思います。
大ヒットした曲、歌詞に惹かれるファンが多かった、簡単そうで実は難解なコード進行
つい口ずさんでしまいたくなるメロディー、などなど。
そう考えると、これまで作ってきたASKAの楽曲は一つの遺書のようにもとれます。
その時その時の全身全霊を傾てきたので、それくらいの重みももっていると思います。
常にASKAは歌詞にメッセージを込めてきました。
節目節目で名曲とファンから評価を埋める楽曲には特にそういった部分が
多く感じられていると思います。
いま、ASKAの楽曲はまだ世間的にはウェルカムではありません。
一時期に比べてだいぶ露出は増えてきましたが、それでもやっぱりなかったことにされるような
瞬間はまだまだ多いと感じます。
今だって、毎月新曲を配信していることを、ファン以外の人がどのくらい知っているのでしょうか?
ASKAは自身の音楽人生を全うしようと歩みを続ける一方で、現代とそしてこれからの
音楽業界をよくするための活動もたくさんしています。
アーティストファーストの配信サイト「Weare」の設立。
全盛期を過ぎたCDが終焉を迎えたあとの楽曲の存在の在り方。
時代が生み出す新しい文化との共存方法。
いろんな場面で、ASKAの口からはそういったものに対する言葉がこぼれてきます。
しかし世間一般的には、隠されたようになってしまっている部分は否めない。
とりかかっている物事の大きさからしても、すぐに結果が出るものではないとは思いますが、
メディアといった大きな情報が味方に付けば、追い風になる部分もあるでしょう、
言ってしまえば、まだ認められていないということ。
そういったものが追い風に変わるまでは、やはり我慢なのだろうと思います。
このサビの4行。
メロディーも相まって、ものすごいパワーを感じます。
まさにASKAの真骨頂です。
そして、そこに込めらえた歌詞には普段言えない想いを吐露したようにも感じられ
だからこそ一層、胸に迫るものがあります。
全体からヒシヒシと伝わる覚悟。
そして、「安定」ではなくあえて逆風を突き進むことで得る「成長」を選択しようという
そんな意思の表明。
いまのASKAだから書ける歌詞だと思います。
そういった意味でも、今後FELLOWSの中には深く根付いていく楽曲になると思います。
FELLOWSは知っています。
ここは旅の途中であるということ。
ここは途中だ、旅の何処かだ。
ひとつだけ多くても、ひとつなんか足りなくても 終わるもんじゃない
憲兵はなくとも、FELLOWSは共にあります。
ASKAがそうであるように、ファンにも見たい景色がある。
僕らファンも多くの心無い言葉に耐えて歩いてきました。
自分の信じてきたものを疑いたくなる瞬間もありました。
でも、ともに歩くことを決めました。
そんな簡単に折れる覚悟じゃないですよ。
我慢比べなら、どこまでも付き合おうじゃないですか。
それが人生です。
愛らしい人生です。
長々とお付き合いいただきありがとうございます。
youtubeで本楽曲のラフミックスが公開されています。
一度、こちらも聴いてみてください。
そして、気に入ったら是非購入しいてみてください。
骨太な人生を感じるさわやかな楽曲がここにありますよ。
憲兵も王様も居ない城(ラフミックス) ASKA 2018/7/25「Weare」より配信
購入はこちらから!
「憲兵も王様も居ない城」 Weare