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ふとみると、春の訪れ花、オオイヌノフグリが群生して咲いていて、あらビックリであった。良い話のネタになったのが良い。
オオイヌノフグリを見ていて、ふと思い出したのがこの自作物語。何で書いたって、何かそんなタイトルの話が書きたかったからである。物語と言うより、日記・エッセイ風な感じがする――と言う話は以前もした通り。
物語を読み返してみて、
――(あの日から5年が経つのか)
私は、再びやって来た肌寒い春先の道端に咲く、オオイヌフグリを見つめながら、過ぎ去った日を思い出した。
その日呼び出されて、友人から聞かされた言葉は、付き合っていた彼女と結婚するという話だった。幸せな話を聞いて、表面的に私は祝福を示しはしたものの、「もうこいつとかかわるのは止めよう」と決意した。付き合いの長い、話の合う奴だったが、どうしてもその時、私は「嫉妬」により、その友人を許す事が出来なかった。向こうから、メールに電話に年賀状をもらいはしたが、私は、1度も返信や応答はしなかった。もはや、私と言う存在は、そいつにとっては必要の無い物であり、他人の幸せを素直に喜べる程、大人ではない。
(この花に、思い出したくない記憶を刻むなんてな)
好きだったものを憎むのは、やはりつらい。時々、あいつに会いたいと思う事と同時に「どうしているかな」、と思うが、
きっと幸せになってるんだろう。
その言葉しか浮かばない。会わなくても解りきった結果は、読めば必ず面白いという「ベストセラー本」と同じで、中身が解らない蓋を開けたくはない。――
と言う所は今も変わらぬ想いとしてある。
物語中の''私,,が本当に自分自身だなと思う。
そして、
―― その日呼び出されて、友人から聞かされた言葉は、付き合っていた彼女と結婚するという話だった。幸せな話を聞いて、表面的に私は祝福を示しはしたものの、「もうこいつとかかわるのは止めよう」と決意した――
と言う所の、
「もうこいつとかかわるのは止めよう」
は、これまでの人生で経験した事の復讐だと思えた。
あいつらからそうされた、その恨みを他の誰かに私がする事で、過去の恨みをはらす――と言う事を本当にやってしまったのが私である。そのくらいうけた傷は深く怨念も強いようだが、殺ってみてもただ淋しさの回帰すrのみで何にもならない事を知ったのは最近の事。でも、誰かの幸せを心底喜び祝福出来ると言う当たり前ほど難しいものはない。