目の前に広がる現実が、あまりにも過酷で酷いものになった時、人は何を思うのだろうか?それを「運命」と言う2文字で受け入れられる人はどれだけ居るのだろうか?
「今を変えたい」、「運命を変えたい」と思う事はあると思う。かと言って、そうも簡単に変えられるものでもない。
その辺りの事からヒントを得て、物語が始まったりもする。勿論、全てという訳ではない。
今を壊す事、運命を壊す事は出来ないが、今この瞬間を送り過ごす事を壊す事は可能である。但し、代償は相当なものだ。度胸に根性の無い私には到底出来ない。
「今が壊れる」とどうなるか?いや「壊す」とどうなるか?。良い意味でなら、その効果は計り知れないが、悪い意味だとしたら…。
「壊す」という事は、「犠牲」を伴う場合がある。「犠牲が無ければ、壊す事は出来ない」と言う事も言えそうである。これを善悪で計れば、「悪」であると思う。「悪意味で壊した結果に伴う代償は、自分自身に帰ってくるもの」である、と言うことは言うまでも無い。
誰もがとは言わないが、私は、「良い意味」で「自分自身を壊したい」と今は思う。改革と言っても過言でない。
人は、簡単に壊れるものでもあるが、壊れ難いものがある。それは「心」・「思想」である。「従順」であれば、それらを「壊す事は容易い」ようだ。
「従順で素直である」事は言葉以上に難しいし、私自身はそんな人間ではない。そうしてしまったら、「全てに負けてしまう」気がするのだ。だが、背く事から来る代償もまた大きいが「壊してしまう事で、自分自身が自分自身でなくなってしまうのではないか」という「恐れ」は大きい。単に勇気が無いだけなのかもしれない。だが、そう思う。
今夜も心が荒れてしまい、荒れた勢いで一気に言葉をまくし立ててしまった。窓の向こうの過ぎ去った満月が、静かに見下ろしている。良いも悪いも言わずにただじっと、静かに、ゆっくりと…。