篠原美也子のセルフカバーアルバム“SPIRAL”(2003年)から、『名前の無い週末』(1995年)を、聴いてみる。
忘れ去られたアレンジ演奏版になってしまった名曲で、この終末の週末を切り抜ける。
篠原美也子の2004年のアルバム『種と果実』より、“30s blue”(2004年)を、聴いてみる。
憂鬱の続き、そこにある失望と愕然を噛み締める。
篠原美也子『イノセンス』(2011年)を、アルバム『花の名前』(2011年)から、ピックアップ。
ありのままを、新鮮さ、をもってして、受け入れられる器は、永遠に手に入りそうにはない。
1996年の篠原美也子のシングルナンバー、“Good Friend”を、アルバム“Vivien”(1997年)より、聴いてみる。
なけなしの想いで、外し、棄てて、失い、諸氏方に、グッドラックと願ってみたくなって、セレクト。
1993年の篠原美也子のアルバム『海になりたい青』より、1993年のナンバー『同じ様に朝が』(1993年)を、聴いてみる。
この夜明けて、またと来るその朝に、期待したものは、どれだけ?
篠原美也子の2006年のナンバー、“afterglow”を、セルフカバーアルバム『青をひとつ、胸に抱いて』(2013年)から、ピックアップ。
終わりに終わって、取り残されたそこに、光があって欲しい…そんな想いを抱いて、セレクト。
篠原美也子『名前の無い週末』(1995年)を、アルバム『河よりも長くゆるやかに』(1995年)から、聴いてみる。
毎度、聴いているというのに、今夜は、やけに、このナンバーにしがみつきたくなった理由は、定かではない。
篠原美也子『風の背中』(1997年)を、シングル『“Always”/『風の背中』』(1997年)から、聴いてみる。
終わっても、続き行く今日。そこに吹く風が、誰かを押す姿を、また、明日に見ることになるんだろうな。
2007年の篠原美也子のナンバー、『永遠を見ていた』を、2007年のアルバム『桜花繚乱』より、聴いてみる。
永遠を、また、見てみたい…そんな歴史が欲しいな、と、思う。易しくも難しいが。
篠原美也子のアルバム“us”(2005年)より、『白い月』(2005年)を、聴いてみる。
広く大きく満ち足りたものにさえ、見放されたような気がする今。