「All quartets to lead,lead to・・・? say la-la-la...。桜が咲いて散ったその後で何が真実なのかは、わかるから。future melody そう、今は奏でて、愛が世界を救うだなんて僕は信じてないけどね。今、目の前の君が明日を生きれるくらいには。あり得ない不条理は、ふっ蹴飛ばしていけ。with喜怒哀楽。余すな、全部惜しみもなく、言えないまま、飲み込むなんて事はよして。with喜怒哀楽。大丈夫さどこまでも行くだろう」(UNISON SQUARE GARDEN 『桜のあと (all quartet lead to the?)』 2013年 より引用)
1回やってみかった、と言うか引用してみたかったと思う桜歌。昨年2013年の深夜アニメ『夜桜四重奏 ハナノウタ』で使われたもの。以前も紹介したような気がする。『夜桜四重奏』は終わったものの、同じ作者の『デュラララ』が第二期をやるとか言う話もある昨今――と言うのは余談である。
桜がさきほこり、どこかその花の色からなのか、バブリーな雰囲気があるのは、私だけだろうか?
「さあ アンプリファーは絶好調。エレキギターがうなってる。こんなにもさ、歪んでるのに。心が純粋に求めている。ああ 何回も何千回もお望み通り鳴らすよ。君が欲しいタイミングで。わがままにスイッチ押しましょうか」と『桜のあと(all quartet lead to the?)』には歌詞がある。まさにそんな「バブリーで華やか」がそこには描かれているなと思う中で、1980年代の終わりにあった、あのバブルの時代もそんな風だったのかなと思う。
桜咲けれども、何かが良いように好転するわけでもなく、皆が華やぐくらいな桜色でいきいきとするようなものはろくにねーなとネガティヴィストな私は感じている。
この美しき花はやがては散る。
散る桜残る桜も散る桜で、散り行く花を美しいと思う内が華であり、そんな時はほんのひとときである。
季節の華やぎも良いが時代的な華やぎが来て欲しいなと思う。それは、五輪みたいなスポーツではない何かであって欲しいのだ。