昨日、6月28日に、1980年代の話をテレビでやっていたので、途中からではあったが、妙に心を惹かれて観てしまった。ヒットした物と人を特集していて、ゲーム機、ゲームソフトにアイドル、マンガなんか、どこと無く覚えているあるいは名前だけは何かで聴いたという物達であふれ、懐かしさは一塩という感じであった。 まだ10代にもなっていなかったあの頃だが、記憶には今よりかは多少なりとも、ありふれた日常において、良い思いをした数のが多かった様に思うけれど、やはり「嫌な思いをした」という事が、不思議とその良かったという記憶を押し潰してしまう。
それはともあれ、20年が流れたあの日々は、今よりもずっと「豊かなで楽しい時代」だったんだな…と思う。活気づいていたと思う。
そんな時代を通り過ぎて10代を迎え、醜くて嫌でつらいを想いをしていく事のが多くなる中で、社会と向き合って会い、触れていったあの頃。1980年代はとうに終はしても1997年位までは僅かな余韻があった様に思う。それを、私は「自分自身の‘‘夜明け,,の時代」と思っていた。
だが、ふと考えてみると、それは夜明けではなく「夕暮れ時」ではなかったか…と思うのだ。地平線の向こうへと沈み行く太陽を見て「美しい」と思っていたのではないか、と思う。
1994年頃、つまり、私が中学に入ってから、やたらと「夜」という時間に心を惹かれる様になった。理由は解らないが、いつしか好きになっていた。そこで出会ったのが今も好きな歌手だった。
思えば、心重苦しいありふれた日常は、私にとっては「闇」であり、そんな色合いが濃くなり取り替えしがつかなくなかったのが、ちょうど1994年あたりからだった(伏線は1987年あたりからあった)。
闇に塗り潰され、身動きが取れない中で、わずかに私の行く道を照らしてくれた物の最初の1つになったのが、そのシンガーであったし、それとはまったく別に、電車だバスだ、フリーランスだ、アニメだ、マンガだのが集まった。全て、一時の闇を照らす「一瞬の物」でしかなかったけれど、今もその輝きはあせてはいない。
時代が豊かだったのと同時に人々の心も豊かであったと思う1980年代。あれから20年が経過して、色々と変わり、生まれはしたが、その当時の勢いを越える事は出来ていない。