涼風鈴子「はい、はやー座いますぅ~、涼風鈴子だよー、モーニングオンだよー、さー金曜日だよー、1日長くなりそうやねぇ、と言う話が台本には書いてある。1日、長いんですよねぇ、ですが、今日で5月は、おっしまーい、なんだよね、うっそー、やっだー、まっさかー、でも、マジなんであります、はい。何?6月になったら、りんりんこっこちゃんは火星に帰るんだ ̄(=∵=) ̄ひゃー?なめんな、インチキDJは地球に居続けるんだからねぇ~、で、以上、モーニングオンでした」
先週と先々週くらいになるか、大人気らしい『夏目友人帳』のシリーズの再放送をタイトルにひかれて何とはなしに観た所為だからなのか、あるいは、私の心が疲れているからなのか、解らないが、不意に目についた植物を見て、もしかして、とまたあらぬ妄想を抱く私が居る。
あのアニメの中で、あやかし、と呼ばれる存在は、主人公にしか見えない存在とそて基本描かれているようだが、割りとそのあやかしの正体が植物だったりすることがあるようだ。
あやかしは、人目には見えぬものだが、案外、そんなようにふっと何気なく誰かの人目をひくものなら、ロマンチックで良いじゃない、と思う。恐ろしい身なりでは、どんびきと恐怖に体が固まってしまうけれど、どこにでもあるような姿をして、何も言わず、ただ、静かに、私を見て、とか、私に気付いて、と第六感に優しくうったえかける物があるなら、それは、素敵な話じゃないか、と私は思う。おぞましい姿やこの世の物とは思えぬ恐怖心のない、どこにでもあるありふれた姿で人形でないとすれば、植物のようなものなのか?と思う。花の色だったり形だったり、香りだったり。
あのアニメの中で、あやかし、と呼ばれる存在は、主人公にしか見えない存在とそて基本描かれているようだが、割りとそのあやかしの正体が植物だったりすることがあるようだ。
あやかしは、人目には見えぬものだが、案外、そんなようにふっと何気なく誰かの人目をひくものなら、ロマンチックで良いじゃない、と思う。恐ろしい身なりでは、どんびきと恐怖に体が固まってしまうけれど、どこにでもあるような姿をして、何も言わず、ただ、静かに、私を見て、とか、私に気付いて、と第六感に優しくうったえかける物があるなら、それは、素敵な話じゃないか、と私は思う。おぞましい姿やこの世の物とは思えぬ恐怖心のない、どこにでもあるありふれた姿で人形でないとすれば、植物のようなものなのか?と思う。花の色だったり形だったり、香りだったり。
「人生をおくることは堰に生える草のように容易いものよ、愛することは木に葉が生えるように自然な事よ」と言ったSALLY GARDENを横切った女性の言葉を、若く愚かで理解出来ず涙を溢れさせた、そう解釈したアイルランドの歌“DOWN BY THE SALLY GARDEN”。その女性は、色白の肌をもつ、恐らく美しい人だったのか、解らないが何者だったのだろうか?と不意に思う。人生の先駆者だったのか、柳の庭の精霊だったのか、解らないが、きっと歌の主人公に大事な事を教えようとしたのだろう、と言う風には思う。若く愚かだったので、解らなかったと言う主人公。時に人間は先駆者が言うことが理解出来なかったり、彼らが、容易い、わけないさ、と言うことが難しい事なのは、よくある話だと私は思う。柳の庭は、人生の一角であり、そこで道に迷ったのが主人公なのか?とも思う。道に迷う事もまたよくある話ではある。
先駆者が言う程、人生は自然の営みのみたいに簡単ではない。だが、時流にのり、先駆者の言うことをその通りに受け入れたならば、確かに人生は自然の営みのみたいに容易く過ごし行けるのかもしれない。そんな人達が羨ましく想う今日であった。
先駆者が言う程、人生は自然の営みのみたいに簡単ではない。だが、時流にのり、先駆者の言うことをその通りに受け入れたならば、確かに人生は自然の営みのみたいに容易く過ごし行けるのかもしれない。そんな人達が羨ましく想う今日であった。
ファンの歌手の曲じゃないけれど、きっといつかこんな日がやって来るとは、胸の奥のどこかで解っていた、筈はない。蓄積したものの限界点を越えて、切ったガードは、最後の勇気も報われなかった、と言うこれまたファンのシンガーの歌のごとくで。世の中、うまくはいかない、思い通りにはいかないんだなぁ、と呑気に言ってる場合でもない。普段は消え去り、過ぎ去りし日を、戻りたくない過ぎ去った日を呼んでしまったのは、日頃の行いが悪いからなんだろう。
今は、いかなる前向きな言葉も受け付けたくはない。綺麗事や何の役にも立たない慰め等要らない。それを引き寄せてしまった私を攻めることは容易いが、敗けをふたたび噛み締めなくてはならないかと思うともうどうにもならない。
今は、いかなる前向きな言葉も受け付けたくはない。綺麗事や何の役にも立たない慰め等要らない。それを引き寄せてしまった私を攻めることは容易いが、敗けをふたたび噛み締めなくてはならないかと思うともうどうにもならない。
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