ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

アドベンチャー ローカル

2025年02月15日 | ADVENTURE LOCAL

 

 このブログの題目はロクマルであるが、自身の最近の動向は4マル(クルマ)+2マル(自転車)でロクマルとなっている。名称は一同じであるが、内容が変化していると感じている。生を営むという事は常に変わり続けるのが世の常である事から、これも生きている証であるのだ。自転車は面白い道具である。その道具をいかに使って楽しむか?この取り組みは今の僕の隙間時間をより充実させてくれる題目である。

 自転車乗りにとって冬はアウトオブシーズンという認識があるようで、おかげさまで、冬にスピードを出してチャリを漕いでいる奴は少なく、道はすいている。今年のニューヨークの冬は極寒であるばかりか積雪も多い。雪が降り積雪が止むと(積雪量にもよるが)自転車で森の中の道を走りに出かける。他人は僕の事をクレージーガイとして観ているようだが、僕は自身自分を変態だと思っているので大変名誉な事である。

 チャリでの雪上走行は実におもしろい。後輪に掛かる駆動力は滑って失われ前に進み辛い。ハンドルは思う方向に切れない。自転車にはカンティブレーキというリムブレーキが装備され、クールストップというアメリカで評価の高いブレーキシューを装着しているのだがリムが塗れるためにブレーキは全くといっていい程利かない。後輪が多少滑ってもバランスは保てるが前輪が突然グリップを失うところぶ。下り坂では頼れるのは運だけである。寒さが嫌いで苦手な冬だが、自転車に乗って冬を楽しむ術を知ったのである。

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CAFE RACER プロジェクト

2022年01月01日 | ADVENTURE LOCAL

 あけましておめでとうございます。

 1976年にイタリヤはミラノのグエルチョティ兄弟が運営するカロッェリア(自転車工房)において手作りで製作された鉄製ロードレーサーのフレームをカリフォルニア州のロサンゼルスから入手しました。ミラノで製作されたこのフレームはアメリカに輸出され、車体に貼られたステッカーからロサンゼルスのビバリーヒルズで当時登録され使用されていた。このフレームの外観を眺めてみると、傷や汚れや劣化、小さな錆はあるものの、手作りのクラフト感があり温もりを感じる、フレームの穴を覗くと、製作された当時のブロンズメタリック塗装の甘い香りが漂っている。

 今年も体力を維持する為に自転車トレーニングを継続してゆく。トレーニングにかかる時間は3時間から4時間程の時間だが、途中でカフェに立ち寄ってダブルエスプレッソを愉しむ。コーヒーを飲む為に力いっぱい走る、そして、再び力いっぱい走って帰って来る。そんな行動様式をカフェレーサーと呼んでいる。

 自転車のフレームは手に入れたが部品の収集や工具等の課題は蓄積している、完成までには時間がかかる事は覚悟のうえだが、そのプロセスを愉しむ事も有りだと思う。カフェの駐輪場に高価なカーボンロードバイクが並ぶ中、ちんちくりんなビンテージロードレーサーが放つオーラが人々との繋がりのきっかけになればしめたものである。

 

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パンクというババを引く

2020年08月22日 | ADVENTURE LOCAL

 今朝も自転車でのトレーニング中にパンクしました。常時パンク修理キットは携帯し、修理であるチューブ交換は手馴れてはいる。路肩でタイヤを外して修理を始めると横を通り過ぎるバイカー達が通り過ぎる瞬間に声を掛けてくれる。Are you OK?  Need Help?  Need pump? とかである。その都度、I'm fine, Thank you! と返答を繰り返していた。その数が多くて覚えていない程である。他人に気に掛けてくれるという人々の姿勢を感じて有り難い気持ちを感じていた。今後同じ状況下の他人と遭遇した時には僕も声を掛けるであろうし、場合によっては修理を手伝う事を躊躇せずに行える気持ちの段取りが整った機会であったと思う。

 今月は2回目のパンクで、ランクルも含めると3回目のパンクである。二度ある事は三度あると言われる様に災い?が続く時勢というのが有るみたいだ。今朝は筋肉の締まったグレィヘアーのおっさんに追いかけられ、暗黙の熱きデットヒートの最中であった。パンクという状況は強制的に停まらざるを得ないので、熱を冷ませ、ゆっくり行けや、とするなんぞの意思であったのかも知れない。通常、僕らはパンクが起こる事を特別な事として理解している様に思うが、その事態をひっくり返して理解すると、パンクが起こる事が普通の事であたりまえ、むしろ、パンクしないで走りきるという事が特別な事で奇跡的な事である、という理解となる。こういった理解は日常生活の営みの多様な分野に応用出来る思考でもあろう。

 週末となると同じ道を何百人ものバイカーが駆けてゆくが、その中でパンクというババを引くのは千人に一人いるかいないかであると思われる。自分にババが廻ってきたら、こいつを戦略的に使ってゲームの流れを変える事も出来るのだと理解する。人生自体がカードゲームで、配られたカードを使って勝負を展開している状態なのだ。誰にも必ずババが廻ってくるが、それは現状離脱のチャンスなのかも知れない。パンク修理を終えて走り出しながら、またいずれババが廻ってくるであろうが、どうか今日帰宅するまではババを廻してこないでね。と祈願している自分であった。

 

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