あなたの知らない、気付かなかったハチマルの別の表情。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/40/e982a0ea3e88f448f9203947b5a0d7eb.jpg)
君、ハチマル…? なんか、かわいいよね。
ランドクルーザー184系です。 はあ~??? いやし、癒し系(笑)
ハチマルの力強い印象はこれで崩れました。
斜陽の午後にランドクルーザーを駆りだした。鼓動を震わすエンジンサウンドと共に十字を斬る。 十字と表現したのは左右に動かすハンドルステアリングと前後に動かすマニュアルシフトを総じた動きの事だ。
映画アバターの中で獰猛な鳥獣を異星の原住民が操るような感覚でランクルを駆り出す、いつものように買い物や送り迎えなどの用事をこなすのではなく、ただ純粋に走りを楽しむために駆り出した。街を抜け出して無信号のハイウエイに入り冬の閑散とした雪景色を左右に流しながら、目的もなくただ走りを楽しむ。
冬はまだ続いているがこの道の向こうには春が待っているようだ。乗って楽しい、ただそれだけだ。
運転感覚というのは車の運転を駆ると乗せてもらうの幅の中で実際にどの位置にあるか?と位置付ける事だと思う、簡単に言えば古い車の方が車を駆る感がある、近年の車は乗せてもらう快適感が大きい、どちらが良い悪いではない、使う人間が車に何を求めるかの選択だ。ただ僕の意見としてはその両方は決して融合しないと思う、車の車種が多いのはこの枠の中の選択にメーカーも消費者も迷っているのかも知れない。
鉄という素材は人の心に働きかける力を持っているようである。道を運転している自分の車の前後、あるいはサイドに丈夫な鉄バンパーを装備した4WD車が近付いてくると、こんな車とはぶつかりたくない、関わりたくないと自然に感じてしまう。鉄は時には人をひきつけ、時には人を脅迫する程の存在感を秘めている。鉄が人々に活用されるようになってからその素材の持っている性質だけではなく、その存在感そのものをアピールし人々に語りかけている。
前後に手作りのスチールバンパーを装着したハチマルは見る人に無言の言葉を発しているのを感じる。鉄製のバンパーを装備するだけで4x4の頑丈でタフなイメージは一気に向上するのは不思議だ。
バンパーを接触させる程のオフロード走行では、経験によって丈夫な鉄バンパーが採用され続ける。実際にオフロードを走らないで装飾?気分でも街中を走る多くの車に一線を引くワイルド感がある。
時代と共にパンパーの素材は変わってきた、素材だけではない形も役目もそして使用に対する時のレギュレーション(規制)も変わったのだ。時代を反映する車の形のバンパーから鉄の存在を消してしまったのは、鉄に象徴されるハードな時代から、プラスチックの素材と形に象徴される曲面と多様性を象徴しているのかも知れない。プラスチックの中にあって鉄バンパーの車ってノスタルジックで、時代に流されない雰囲気が感じられる。
路上駐車のロクマルは鉄バンパーが強みになる? 鉄バンパーが与える心理的要素が通り過ぎる車に接触の回避感をより与える事になるの、かな?
ヘビーデューティーなフル装備のロクマルがやってきた。前後のスチールバンパーにウインチは勿論。足回りのりジッドは逆付け、太いマッドタイヤ、そしてサイドのロックスライダーにルーフラック。ルビコンやモアブの難所を走破出来そうなロッククローラー使用でもある。
実はこのロクマル、西海岸のオレゴン州から来たとの事。マッ、マジっすか? このヘビーな装備で往復6000マイルの旅をするとは…凄い、上には上がいるものです、負けました。 この2月は特にガソリン代が高い、ニューヨーク周辺の一番安いニュージャージー州でも1ガロン3ドルを越えた(リッター80セント)今後も原油価格は右肩上がり、という事で僕なんかは余計な荷物は搭載しないで軽くして走りたいと思っている。 まさか、まさか、まさかー、 このロクマル君ガソリン代の高騰で帰れなくなっちゃった?って事は無いよね、…冗談です。 大変失礼しました。
WOW!これはリアルクラッシックだ。ランクルヨンマルをクラッシックカーと呼ぶならば、1920年代のこのシェボレーは骨董品と呼ぶのがふさわしいかも知れない。
この車を預かっている友人もこの車の詳細は知らない、フォードのT型モデルに対抗して世に出た車らしいがこのモデルのセダンは希少らしい。約80年昔のアメリカの大衆車、当時のアメリカ人は体格が小さかったのかな、コクピットは狭く大人2人はキツイ、片腕を脇から外に出して乗っていたのかも? アメ車が小さかった時代が戦前にあったのだ。
エンジンは4シリンダー、今でも動く。バッテリーはあるのかな? ライトはあるよね。
木製のハンドルは太い、旧車はハンドルが細いものだと決めていた自分。
フロントバンパーのステイ。当時のバンパーはランクルの様にフレームエンドに直接固定されているのではない、ショックを吸収出来るように考慮されている。
タイヤ、リム、現在の物とは発想が異なっている。リアバンパーも小さな衝撃を吸収出来る様に考慮されている。
トレードマークのボウタイにドアロック。
オーナーはこの車をレストレーション目的で入手。アメリカではこのような車のレストレーションさえ十分に可能、部品もある、タイヤだって新品が手に入る。…完成したらホットロッドになっていたりもするが…、またしばらくしてから覗いて見ることにする。
80年代の後半にカリフォルニア州のフレズノという田舎町の交差点で小さな交通事故を目撃した。信号が青に変わって動き出したピックアップトラックの後ろのバンパーに続くピックアップトラックが一瞬アクセルを吹かしすぎてガ~ンという大きな音を発して接触したのだ。路上でそのまま両車は一瞬止った…、そして前をいくトラックのおっさんが座席から顔を出して振り返り大声で… 怒鳴るか? と思ったら『大丈夫か?』の一言、続く後ろのピックアップのお兄さんは軽く手をあげた、そしてそのまま両車とも走り去ったのだ。アメリカは国土が広いだけではなくて人の心も広いんだなーと思った。おそらくこのような接触はアメリカの田舎では日常茶飯事? なのかも知れない。
実は小型トラックという車種がこの国(アメリカ)では一番使い勝手がいいのだと思う。アメリカのオートデータの調査における今年1月の新車販売台数を見てみると、いかにトラックがアメリカで人気があるかがわかる、アメリカ国内における一月の売り上げ台数、以下。
GM: 乗用車66,878台、小型トラック112,018台
フォード: 乗用車40,905代、小型トラック86,076台
クライスラー: 乗用車12,190台、小型トラック57,928台
*小型トラックにはSUVも含まれる。
ビッグスリー各社の総売り上げにおける小型トラックの比率がいかに高いかが理解できる。だいたい乗用車1台に対してトラックは2台という概算かな。モデルとしてはフォードF-150が一番売れていると聞くが数字はわからない。
日本の主要メーカーのアメリカ市場の売り上げ代数、以下。
トヨタ: 乗用車64,218台、小型トラック51,638台
ホンダ: 乗用車38,546台、小型トラック37,723台
ニッサン: 乗用車45,361台、小型トラック26,486台
日本勢のトラックの合計がだいたいGMのトラックの総売り上げと同じ概算(やや多い)。日本ブランドの乗用車は確かに売れている、しかしアメリカ勢は小型トラックでは決して譲ってはいないのだ、しかも日本ブランドの小型トラックはすでに多くがUS製。乗用車のシェアの世界には欧州車、や韓国車との競争もある。
原油が高騰してもアメリカの人々はトラックを買い求める、景気が落ち込むと確かに財布の紐はしまる、しかし乗用車とトラックの購買の比率は変わらないのだろう、アメリカはトラック天国、それは彼ら彼女らにとって最も実用性がある車という事での選択だと思う。
実用的に使われるハチマル、多少凹でも外装品が取れてもまあいいやって…、トラックはこうやって生活に溶け込んでいくのだな。細かい事を気にしないで使い続けれる事がアメリカ人の気質にあっているのだろうと思った。
マフラーの修理の為に作業工場に持ち込んだLX450ハチマル、車体を持ち上げて下から眺めて見ると、いやーっ、結構来てますね錆、あっちも錆、こっちも錆、全部錆てる~。青空駐車のおかげだな。
ハチマルは車体の後部の方に錆が多い事が解った、なんでだろ? 特にリアデフ周辺、リアバンパーの下に隠れるラダーフレームのビームの一部は手遅れになる前に直ぐにでも対策が必要である。
マフラー修理作業の進行状況よりも下回りの錆への対策の方が気になってしかたなかった。一見綺麗に見えるクルマでも知らずの内に錆は浸透してきているものなのだ、錆に対する関心、そして対策、長く乗るには無視できない課題だ。
錆びたボルトを熱してねじり切る。なんか歯医者にいるみたいで一瞬恐怖を感じる、荒治療でゴメンナ。
ランクルのこの鉄骨のフレームが好きだ、なにか安心感を感じる。フレームに象徴される様に多くの部品は頑丈に作られている。この車体の上にたった一人で乗るのはもったいないなーと思った。
作業は完了。ガスケットの交換であった。今回の作業で錆を目にしてしまった事は大きい、ランクルと長く付き合う為には錆は無視できない課題だが、とりあえず暖かくなるのを待って昼寝でもしながら対策を考えるとする。
4年前に購入して後悔したロクマルのパンフレットが掃除中に出てきた。
そして最近撮ったロクマルの写真の一枚を置いてみると、あらら! 偶然にしてはなんかこう~似てるというか、ダイバージェンスというみたいだねこういうの、株の世界では。
よっしやっ、と良い食材が手に入ったら親父が手をふるって美味いものを作ってやるみたいな感じで、マウスをクリクリと!
さらにクリクリクリっと!
ランクルと書くと芸がないか?
どっちみちきれいにはかけません~ので… クリクリクリ栗。
これで、どうだ!
"走り"とはなにか?車の魅力である走りとは、進む、曲がる、止まるの3つの車の基本の事だと経済トーク番組“カンブリア宮殿”に出演したSUBARUの森社長の言葉だった。司会の龍さんの問い、車の魅力とは何か?という対談の中で龍さん自身がT型フォードが爆発的に売れたのは便利なだけだったんじゃない、風を切って走るその爽快感にあったのではないか?と、同感である。
森社長は、スバルらしさとは乗って楽しい事だと言い切った。日本の車業界のトップにそうやってクルマ作りを意識している人がいるのは嬉しい事だ。 そして私の印象に残った場面はスバル360をはじめ歴代スバル車をを社長自ら運転して発したそのフィーリング…、『新しくなるにつれてだんだん面白さが無くなる...。』実直だな、と思った。
今では軽自動車があれば家族で何処にでも出かける事が出来るが半世紀前の日本ではそうではなかった、自動車は憧れであり高値の華だったのだ。今日は条件さえ揃えば誰でも車を所有し、ハンドルを握って何処へでも行く事が出来る便利さを当たり前の様に手に入れてしまった。 日本のモーターリゼーションの初期を回顧して客観的に今日のクルマとの生活を見つめる機会になった。
走り、とは同時に今日の自動車の過去の歴史と模索しながら進む未来の方向性を示す問いでもあるのかも知れない。
ランドクルーザーが道を走っていると、どうしてもそこに関心が行ってしまう。ハチマルだと初期型か後期形か? ヨンマルだと、フロントマスクはマルかカクか? ロクマルを前方に見つけると追いついてでも丸目か角目かを確認したい衝動に駆られる。どうでもいい事かも知れないが、ランクル乗りにとって他人の乗っているランクルを観る事は何気ない日常生活の中の一つの愉しみかも知れない。しかし、その一瞬の目撃のピクチャーが長く眼中に残るのは、これをどう説明する?
ニューヨークのG.ワシントン ブリッジを対向車線から走ってくるブルーのFJ62、久しぶりにロクマルを見た。今日はいいことがある…かも。
自分の顔は自分では見ることは出来ない。同じ様に愛車を駆って運転している自分と車の姿は残念ながら自分では見ることは出来ない、その姿は他者の目のみに映るのだ。
なんこれー!、なんかボロイけど渋い! このロクマルを見た人々の反応である。
シルバーではなくねずみ色
本当はもっと綺麗なオリジナルペイントを保ったロクマルを探していたのだが... なぜか衝動買い(オークションだから衝動入札)をしてしまった。 このロクマルがカリフォルニアのサンディエゴから届いた時、周りの人々は口を揃えた様に『ボロ~、ヒデェ~、』の連発、車内は褐色の埃とゴミ、しみ、臭い、ボデーはカサカサでヤレヤレ、曇り空にねずみ色の雲が長い歳月によって描かれたボンネットをなぜなぜしながら、薄気味悪い笑いを振りまいていたのだ、このおやじは… そこには捜し求めていたものを得た悦びがあった。条件はラストフリー(錆無)、他はどうでも良かった。このロクマルを得る事で直す課題が生まれ、ゆ~っくり時間をかけて楽しみながら取り組んでいこうとゆっくりとした気持ちで決めていたのだった。
この車を手に入れてから今年で5年目だが実は一度も洗車をした事がない、
雨には随分と打たれたのだが...
ああ、それって洗車?
このやれた塗装を見ると自分の心が癒されるのはなぜだろうか?
… それは病気だからですよっ。
はい、僕もそう思っています(笑)
…このおやじもヤレヤレです。
他人と違う価値観を持っていると、所有する車にもそれが現れるのだろうが、病気なんだから仕方ないよね。
綺麗な車は勿論好きだが、なぜかこのロクマルは観ていて飽きない。なんでだろ?
こんな車が好きっ!て言ってくれる人は他にもいるのかな~? 綺麗に隙なくレストアされた旧車と違って、ゆるゆるのオーラが僕の波動に合っているのかな。飾らない、こだわらない生き方か? でも良く考えたら超こだわって見た目も意識しているからこそ、こんなロクマルに乗っているのだな。
ニューイングランド地方におけるランクルビジネスを素人的で広く浅くではあるが紹介してきた。日本の様に四季があり冬は厳しく長い中でもランクルを維持し使用し続ける人が地球の裏側にも存在する事を知って欲しかった。
カリフォル二アや中西部の乾燥した気候と異なって修理やレストアを依頼される車体の錆は深く広い。錆を削り取り鉄板を接ぎ削り、ある個体はアルミボディに乗せ変えられる。エンジンはオーバーホール、消耗品は交換され時によっては乗せかえられる。ボディーパーツに色を吹き、内装を張り替える。そうやって今日存在しているのがウィンテージランドクルーザーなのだ。即ち東海岸のランクルは西海岸の個体よりも圧倒的に手間がかかっている、愛情を注がれた結果ゆえにに今日存在している、どれ一台として同じ使用は無いと言い切れる程である。
全て生存するランクルにはそれぞれの異なる歴史がある、手を加えた箇所は数知れず。
ランドクルーザーを愛するアメリカ人達が存在する。
彼らの存在を我々日本人はどのように位置付けるのだろうか、もはやランドクルーザーは日本人の物ではない、ランドクルーザーを愛する人々の物だ。
君達のような人々が居てくれて〝ありがとう″と日本人の一人として伝えたい。