天気の好い日に明るい太陽の下の陰で行う読書が自分にとっては目が疲れないので一番いい。読む本は何でもいいのであるが、今日は OVERLAND JOURNAL という雑誌についての所感を述べてみたいと思う。人間というのは誰でも自分の見たいものを見るという習性があり、それによって心の平安が保たれていると聞く。よって、以前に一度目を通した雑誌を再読すると新たな発見が得られるのはその為である。近年ではミニマリストという名称がある様に紙の印刷物である書籍や雑誌は溜め込まない、或いは購入しないで電子書籍のみという風潮もあるが、僕はその風潮に反して古い雑誌に繰り返し目を通す。雑誌でも経済や世間の時世の話題等は読み捨てでいいと思うが、専門的な課題を扱っている誌は自分の中からそれらに対する関心が去るまで手元に置くのがいいと僕は思っている。
2020年の秋の最新のオーバーランドジャーナルの表紙。重装備を備えたゲレンデワーゲンがサハラ砂漠のモロッコとアルジェリアの国境近くでスタックし、シャベルを使ってリカバリーを試みている一枚の写真である。この表紙の一枚の写真を見てある点と点が繋がった。サハラという過酷な環境を走破するゲレンデワーゲンにはウィンチが装備されていない。そういえば、あのトムシェパードがサハラで駆っていたゲレンデワーゲンにもウィンチは装備されていなかった。サハラ砂漠ではウィンチは不要なのであろうか?ウィンチを装備しない理由はなんなのであろうか?そんな疑問が頭の中に沸き起こる。あるいは、同じジャーナルにオーバーランダーズハンドブックの著者であるクリススコットのアドベンチャーモーターサイクルの記載があるが、そこに登場するモーターサイクルは大型排気量のデュアルパーパスよりも(勿論それもあるが)BMWG310GS等のあまり大きくないオフロードバイクがよく登場するのはなぜだろうか? そういったふとした疑問がページをめくると沸いてくる。こういった疑問心の衝動こそが知識の内容を深める為の刺激的なスパイスとなる。それらの疑問に対する答えは追求しながらも保留でいい。次回、オーバーランドエクスポ等で彼らに会った時にズバリその質問をしてみるという話題性も保有出来る。ちなみに、オーバーランドジャーナルの表現は文章以上に写真である。ジャーナルをただ単に四駆自動車やオフロードバイク、或いは旅行に関する雑誌として捕らえるのは十分ではなくもったいない。ジャーナルは四駆やバイクを通じて世界を捉える、現実の自分が知らない自然と人間の世界をシェアする媒介体である。今日も明るい太陽の下でジャーナルをめくりながら、砂漠を走る四駆の窓ガラスが開いているか閉まっているのかが気になる自分であったりする。