先週の無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第311号の告知です。
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●第311号(No.311) 2012/5/5「レフティ・グッズ・プロジェクト <左手・左利き用品を考える>第4回」は、
「左手でも切りやすいハサミ」とは?<4>です。
今回は、ある刃物会社のサイトの記事から。
結論から言いますと、どうも時代にそぐわない主張に思われます。
現状における便法ではあるだろうけれど、それ以上でもなければ、それ以下でもない、というものです。
利き手の問題に置いて本当に大事なことは何か、という観点から言いますと、やはり退けざるを得ない提言ではないか、というのが、私の考えです。
利き手とは何かと言いますと、単にどっちかをよく使う、そのよく使う方の手というだけではないのです。
それぞれの手には初めから決められた役割があり、両手には分担があるのです。
利き手は利き手としての役割、非利き手には利き手にはない役割があるのです。
それぞれが補完し合っている一つの対の関係です。
寄席の紙切り芸人さんの技を見ればわかります。
利き手に持ったハサミを鮮やかに操り、もう一方の手に持った紙をカミ(神)技のごとく巧みに動かし、切りぬいてゆきます。
両手の連携があっての芸です。
これはハサミで切るという作用を行う器用な利き手と、巧みに位置関係を読みとる感覚器官としての非利き手の連係プレーの勝利です。
利き手の問題は、片手だけで考えてはいけないのです。
確かに右手だけで片づけられれば、便利この上ないでしょう。
しかし、そうではないのです。
真の利き手にふさわしい選択の方法を考えてゆきましょう。
私は、これからの持続可能なシンプルライフ、エコライフの時代にあっても、基本となるものは最大多数の最大幸福を追求する功利主義ではなく、少数派や弱者を切り捨てたりしない、すべてを肯定的に受け止める万民の幸福を目指す多様性容認の姿勢であろうと考えます。
詳細は、本誌で。
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「左利きの鋏の選び方を考える・前編~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii311号」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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●第311号(No.311) 2012/5/5「レフティ・グッズ・プロジェクト <左手・左利き用品を考える>第4回」は、
「左手でも切りやすいハサミ」とは?<4>です。
今回は、ある刃物会社のサイトの記事から。
《「左手で鋏を使われている方」、「左利きのお子さんがいらっしゃる方」への正しい鋏の選び方を説明しています。》というページについてです。
結論から言いますと、どうも時代にそぐわない主張に思われます。
現状における便法ではあるだろうけれど、それ以上でもなければ、それ以下でもない、というものです。
利き手の問題に置いて本当に大事なことは何か、という観点から言いますと、やはり退けざるを得ない提言ではないか、というのが、私の考えです。
利き手とは何かと言いますと、単にどっちかをよく使う、そのよく使う方の手というだけではないのです。
それぞれの手には初めから決められた役割があり、両手には分担があるのです。
利き手は利き手としての役割、非利き手には利き手にはない役割があるのです。
それぞれが補完し合っている一つの対の関係です。
寄席の紙切り芸人さんの技を見ればわかります。
利き手に持ったハサミを鮮やかに操り、もう一方の手に持った紙をカミ(神)技のごとく巧みに動かし、切りぬいてゆきます。
両手の連携があっての芸です。
これはハサミで切るという作用を行う器用な利き手と、巧みに位置関係を読みとる感覚器官としての非利き手の連係プレーの勝利です。
利き手の問題は、片手だけで考えてはいけないのです。
確かに右手だけで片づけられれば、便利この上ないでしょう。
しかし、そうではないのです。
真の利き手にふさわしい選択の方法を考えてゆきましょう。
私は、これからの持続可能なシンプルライフ、エコライフの時代にあっても、基本となるものは最大多数の最大幸福を追求する功利主義ではなく、少数派や弱者を切り捨てたりしない、すべてを肯定的に受け止める万民の幸福を目指す多様性容認の姿勢であろうと考えます。
詳細は、本誌で。
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「左利きの鋏の選び方を考える・前編~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii311号」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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