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中国の古典編―漢詩を読んでみよう(12)特別編-中島敦「山月記」より-楽しい読書303号

2021-10-01 | 本・読書
 ―第303号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2021(令和3)年9月30日号(No.303)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(12)
特別編-中島敦「山月記」より」


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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2021(令和3)年9月30日号(No.303)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(12)
特別編-中島敦「山月記」より」
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 6月以来、久しぶりの
 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」の12回目です。

今回も引き続き、漢代の英傑たちの作品から「李陵と蘇武」を
 紹介する予定でした。
 しかし、資料が整わず、断念。

 今回は特別編として、「李陵と蘇武」編の参考資料として読んだ
 中島敦の小説「李陵」を含む作品集中にあった、
 詩人になり損ねた男のお話「山月記」を紹介してみようと思います。


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◆ 詩人になれなかった男 ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(13)特別編

  中島敦「山月記」より

  ~ 人生失敗の理由=臆病な自尊心と尊大な羞恥心 ~

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今回の参考文献――

◎中島敦「山月記」


・『現代日本文学館 李陵 山月記』中島敦 文春文庫 2013/7/10
http://www.amazon.co.jp/dp/4167838672/ref=nosim/?tag=hidarikikidei-22

・中島敦「山月記」青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/623_18353.html



 ●「山月記」と著者・中島敦について

「山月記」は、変身譚として有名な短いお話で、
国語の教科書にもよく採用されています。
私も教科書で読んだのが初めでした。

短い中に、職業人としての心構えや、
人生における生きがいとは何か、芸術を究めることの難しさ、
また詩作においても人との切磋琢磨が重要であること、
自信を持つことと尊大であることの違い、自尊心と臆病さ、
などなど人生を考えさせる一編となっています。

著者の中島敦自身、職業人として生きながら、文学の道を進む人でした。
ただ病気持ちで、その転地療養の一環として、南洋庁の官吏として、
南太平洋のパラオに赴任します。
その間に人に託したこの作品は雑誌に掲載され、
中島敦の名を初めて世に知らしめる作品となりました。
一方、病状は回復せず、仕事にも嫌気が差し、帰国。
帰国後、作品が掲載されたことを知り、専業作家となるも、
病気のため33歳でなくなります。



 ●「山月記」ストーリー

隴西(ろうせい/地名)の李徴(りちょう)は、博学才穎(さいえい)の青年、
若くして中央政府の官吏登用試験に合格、職に就くが、
宮仕えに甘んじることを潔しとせず、官を退き、
人との交わりをたち、ひたすら詩作に耽ります。

しかし、詩人としての文名は上がらず、
数年後、生活苦から官吏の職に戻るのですが、
その時、同僚たちはすでに出世し、
彼はその下級官吏として働くことになります。
そして一年後、公用で旅に出て、二度と戻ることはありませんでした。

翌年、監察御史、陳郡の袁■(「にんべん+參」、えんさん)という者が、
勅命での嶺南への旅の途中、商於(しょうおう)の地で、
この先の道には人喰い虎人食いが出るので昼まで待てといわれますが、
早朝に発ちます。

袁■ら一行は虎に襲われます。
しかし、虎は一瞬身を翻して、叢(くさむら)に隠れ、
その草むらから「あぶない所だった」と人の声が聞こえてきます。
その声は、袁■の友、李徴でした。
袁■は、李徴の数少ない友人だったのです。

李徴の虎への変身の話が始まります。
話の終わりに、李徴は過去に書きためた詩を書き取ってくれと頼みます。
それらの作品を見た袁■は思うのです――

 《なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。
  しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、
  どこか(非常に微妙な点において)
  欠けるところがあるのではないか、と。》


一方、李徴は自嘲的にいいます。

 《羞(はずか)しいことだが、
  今でも、こんな[あさましい](傍点)身と成り果てた今でも、
  己(おれ)は、
  己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれているさまを、
  夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。
  嗤(わら)ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。》

そして、即席の詩を述べる。

 《偶因狂疾成殊類 たまたまきょういしつによりてしゅるいとなり
  災患相仍不可逃 さいかんあいかさなってのがるべからず
  今日爪牙誰敢敵 こんにちのそうがたれかあえててきせん
  当時声跡共相高 とうじのせいせきともにあいたかし 
  我為異物蓬茅下 われいぶつとなるほうぼうのもと
  君已乘■(「車+召」)気勢豪
          きみすでにようにじょうじてきせいごうなり
  此夕溪山対明月 このゆうべけいざんめいげつにたいす
  不成長嘯但成■(「口+「皐」の「白」にかえて「自」)
          ちょうしょうをなさずただこうをなす》

そして、
このような運命になった自分について思い当たるところを語ります。

 《人間であった時、己(おれ)は努めて人との交わりを避けた。
  人々は己を倨傲(きょごう)だ、尊大だといった。
  実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、
  人々は知らなかった。
  もちろん、かつての郷党の鬼才といわれた自分に、
  自尊心がなかったとは云わない。
  しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。
  己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、
  求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。
  かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。
  ともに、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。
  己(おの)れの珠に非ざることを惧(おそ)れるが故に、
  あえて刻苦して磨こうともせず、
  また、己れの珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、
  碌々(ろくろく)として瓦(かわら)に伍することもできなかった。
  己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、
  憤悶(ふんもん)と慙恚(ざんい)とによって
  ますます己れの内なる臆病な自尊心を飼い[ふとらせる](傍点)
  結果になった。人間は誰でも猛獸使いであり、
  その猛獸に当たるのが、各人の性情だという。
  己の場合、この尊大な羞恥心が猛獸だった。虎だったのだ。
  これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、
  果ては、己の外形をかくのごとく、
  内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。》

変身の理由は、そういう自分の心の弱さであり、性情のせいだといいます。





 《今思えば、全く、己は、
  己のもっていた僅かばかりの才能を空費してしまったわけだ。
  人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、
  何事かをなすにはあまりに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、
  事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、
  刻苦を厭(いと)う怠惰とが己のすべてだったのだ。
  己よりもはるかに乏しい才能でありながら、
  それを專一に磨いたがために、
  堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。
  虎と成り果てた今、己は漸くそれに気がついた。
  それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔いを感じる。
  己にはもはや人間としての生活はできない。
  たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、
  どういう手段で発表できよう。
  まして、己の頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。
  己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。
  そういう時、己は、向うの山の頂の巖(いわ)に上り、
  空谷(くうこく)に向って吼える。
  この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。
  己は昨夕(ゆうべ)も、あそこで月に向って咆(ほ)えた。
  誰かにこの苦しみが分かってもらえないかと。
  しかし、獣どもは己の声を聞いて、ただ、懼(おそ)れ、ひれ伏すばかり。
  山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、
  哮(たけ)っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、
  誰一人己の気持を分かってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、
  己の傷つきやすい内心を誰も理解してくれなかったように。
  己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。》

最後に、李徴は、妻子に自分が死んだことを告げ、
妻子の面倒を見てくれと頼むのでした。
さらに、帰るときはここを通るな、
その頃には、自分は人の心を持たぬ虎になっているだろう、と。
そう言いおいて、彼らに再会の気持ちを起こさせぬよう、
変身した姿を山の上にさらすのでした。



 ●“芸術家未満”の人の心情

私も作家を目指したことがあります。
私も李徴のように、一人で隠れて穴掘りしていました。

私の気持ちも李徴と同じく若干の自信と、人には負けぬという自尊心、
一方で、所詮は及ばぬのだろうという羞恥心とに襲われて、のものでした。

私も同好の士と切磋琢磨する気持ちを持っていたならば……、
と思わぬでもありません。

まあ、そういう“芸術家未満”の人の心情を描いた名作かもしれません。

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 ● 漢詩の入門書等を読む

★『漢詩入門』一海知義/著 岩波ジュニア新書 1998.6.22

★『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
―漢詩の歴史をたどるシリーズ全4巻。第1巻は『詩経』から屈原の
 『楚辞』、漢や三国時代を経て東晋の陶淵明まで。
 俳優・声優の江原正士が専門家の宇野直人を相手に、代表的な詩
 を対話形式でわかりやすく読み解く。

★『漢詩入門』入谷仙介/著 日中出版 1979/01
―漢詩の有名作をたどりながら、その歴史と構造を解く漢詩入門。

 ▲マークは、本文で取り上げた本
 ★マークは、筆者のおすすめ本です。本選びの参考にどうぞ。
 (基本的に、筆者が“偶然”手にしたものを取り上げています。)

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 ★創刊300号への道のり(4) 2011(平成23)年(4年目)

50.
2011(平成23)年1月15日号(No.50)-110115-
私の読書論-18-“読書は楽し”を実践しよう!
51.
2011(平成23)年1月31日号(No.51)-110131-
 東洋から西洋へ『茶の本』岡倉天心
52.
2011(平成23)年2月15日号(No.52)-110215-私の読書論-19-
 初心者のための読書の仕方を考える
53.
2011(平成23)年2月28日号(No.53)-110228-
 人知らぬ恨「舞姫」森[鴎おう]外
54.
2011年3月31日号(No.54)-110331-特別編 宮沢賢治の詩「永訣の朝」
55.
2011(平成23)年4月15日号(No.55)-110415-私の読書論-20-
 初心者のための読書の仕方を考える(2)
56.
2011(平成23)年4月30日号(No.56)-110430-簡素で高貴な生活
『ウォールデン 森の生活』H・D・ソロー
57.
2011(平成23)年5月15日号(No.57)-110515-
私の読書論-21-初心者のための読書の仕方を考える(3)
58.
2011(平成23)年5月31日号(No.58)-110531-非暴力抵抗主義
『市民的不服従(市民の反抗)』H・D・ソロー
59.
2011(平成23)年6月15日号(No.59)-110615-
私の読書論-22-初心者のための読書の仕方を考える(4)
 最初の一冊の選び方
60.
2011(平成23)年6月30日号(No.60)-110630-
二つの愛の形『赤と黒』スタンダール
61.
2011(平成23)年7月15日号(No.61)-110715-
私の読書論-23-初心者のための読書の仕方を考える(5)
最初の一冊の選び方(2)若いうちに海外の翻訳ものを読もう!
62.
2011(平成23)年7月31日号(No.62)-110731-
最初の一冊:各社「夏の文庫」フェアから―
63.
2011(平成23)年8月15日号(No.63)-110815-
私の読書論-24-初心者のための読書の仕方を考える(6)
最初の一冊の選び方(3)なぜ翻訳ものの古典なのか?
64.
2011(平成23)年8月31日号(No.64)-110831-《死すべき者》人間
 ~二大英雄叙事詩~ホメロス『イリアス』『オデュッセイア』
65.
2011(平成23)年9月15日号(No.65)-110915-
私の読書論-25-初心者のための読書の仕方を考える(7)
最初の一冊の選び方(4)文学は古代から現代まで連続している
66.
2011(平成23)年9月30日号(No.66)-110930-《死すべき者》人間~
 <アキレウスの怒り>『イリアス』ホメロス
67.
2011(平成23)年10月15日号(No.67)-111015-
私の読書論-26-初心者のための読書の仕方を考える(8)
最初の一冊の選び方(5) 文学は西洋から日本まで連続している
68.
2011(平成23)年10月31日号(No.68)-111031-《死すべき者》人間~
 夫婦と家族『オデュッセイア』ホメロス
69.
2011(平成23)年11月15日号(No.69)-111115-
私の読書論-27-初心者のための読書の仕方を考える(9)
最初の一冊の選び方(6) 本選び(選書)の方法 I 読書の目的
70.
2011(平成23)年11月30日号(No.70)-111130-善意の季節
『あるクリスマス』カポーティ
71.
2011(平成23)年12月15日号(No.71)-111215-
私の読書論-28-初心者のための読書の仕方を考える(10)
最初の一冊の選び方(7) 本選び(選書)の方法 II 共通事項
72.
2011(平成23)年12月31日号(No.72)-111231-
 本当に大切なこと―2011年を振り返る

 ・・・

この年の前半は、引き続き、明治時代頃の西洋と我が国の名作を、
後半は、古代ギリシアの名作を。
また、3月11日に、東日本大震災が発生。
3月半ばの号をお休みしました。
発行することがいいのかどうか、迷ったからでした。
世間全般に自粛ムードが漂っていました。

一回のお休みののち、月末編から再開、
特別編として宮沢賢治の妹との惜別の詩「永訣の朝」を紹介しました。

月半ばの発行号では、
「初心者のための読書の仕方を考える」のシリーズを始めました。

「読者は楽しい」を実戦してもらいたいがためでした。

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(12) 特別編-中島敦「山月記」より」をお届けしています。

今回は、特別編です。

中島敦の「山月記」は、芸術家になれず人生も失敗に終わった“芸術家未満”の人の心情を描いた名作です。

部分的にカットするのもどうかということで、全編転載です。

 ・・・

では、弊誌を面白いと思われた方は、購読のお申し込みを!

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(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(12)特別編-中島敦「山月記」より-楽しい読書303号

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