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1970年代は左利き観の転換期「わたしの彼は左きき」の時代-週刊ヒッキイ第588号

2021-02-07 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第588号 別冊編集後記

第588号(No.588) 2021/2/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(4)
 「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(3)」
 ――1970年代は日本における左利き観の転換期だった



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右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第588号(No.588) 2021/2/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(4)
 「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(3)」
 ――1970年代は日本における左利き観の転換期だった
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 「左利き本のために――左利きの人生を考える」
 の第4回目です。

 ここ二回は、昨年10月7日に逝去されました作曲家、
 筒美京平さんの作曲された「わたしの彼は左きき」について、
 発表当時の左利き事情を、私の経験と照らし合わせながら、
 書いて来ました。


第580号(No.580) 2020/10/3
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(1)」

2020.10.3
左利きの人生を考える(1)「左利きライフ」ってなんだ?
-週刊ヒッキイ第580号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2020/10/post-74d0ad.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/9fd4faf107df28e356f39f62a2c1c2b2


第582号(No.582) 2020/11/7
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(2)
 「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(1)」

2020.11.7
左利きの人生を考える(2)「わたしの彼は左きき」の時代:
1970年代(1)-週刊ヒッキイ第582号


第584号(No.584) 2020/12/5
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(3)
 「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(2)」

2020.12.5
左利きの人生を考える(3)「わたしの彼は左きき」の時代:
1970年代(2)-週刊ヒッキイ第584号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2020/12/post-353947.html


 今回は、1970年代が日本における
 左利きに関する考え方、左利き観の転換期であった
 という事実を様々な事実を集めて、
 改めてチェックしておこうと思います。

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 左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
  (左利き本のために)――左利きの人生を考える(4)
  ◆ 1970年代は日本における左利き観の転換期だった ◆
   ~ 「わたしの彼は左きき」の時代(3) ~
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というわけで、今回はちょっとした左利き年表の発表です。

(画像:(書影)手持ち本『左利きの秘密』『右きき世界と左きき人間』『左ききの本』『左利きの本』『左と右の心理学』『鏡の国のアリス』『赤毛のサウスポー』)


 ●1970年代は日本における左利き観の転換期だった

日本における左利き(解放)の歴史について考えるとき、
1970年代が一つの大きな転換期であったように感じます。

大きくいえば、やはり戦後のアメリカ民主主義の導入が
一つの契機になっているように見受けられます。

しかし、これは世の中全般の変容の中の一端でもあったので、
社会全体の大きな変化の枠の中の一端で、
左利きに特化したものとは言えません。

左利き解放の面からいえば、
意義的には二次的な収穫という見方もできるように思います。

その点、明らかに左利きに関する変化という面での変容の時代は、
1970年代であった、と思うのです。

では、1970年代、左利きには、
どのような変化があったのでしょうか。

左利きに関する出来事を年代順にまとめてみましょう。

 ・・・

◆(70年代を迎えるにあたって)
1968(昭和53)年

アメリカ留学から帰国後クリニックを開業された
精神科医・箱崎総一先生が、アメリカ時代には見られなかった
左利きの悩みで苦しむ患者さんが多いのに気付き、
左利きについて啓蒙する最初の左利きに関する本

『左利きの世界』箱崎総一 読売新聞社

―後の〈左利き友の会〉主宰者で精神科医による、
日本初の左利き応援本? <“左利き”の旗手>として、
戦後『太陽の季節』により文壇の寵児となり、
政治家に転身した石原慎太郎さんと
芸能界の左利きとして《わが国の映画界で活躍している一家》
高田浩吉さんとその娘・高田美和さんを紹介し、
高田美和さんの「手記」を掲載。

を出版されました。

この本については、
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』でも
「左利き者の証言」の中で紹介させていただきました。


(画像:『左利きの秘密』カバー裏の箱崎総一先生の略歴と写真)


(画像:(書影)『左利きの世界』『左利きの秘密』)


◆1971(昭和56)年

箱崎総一先生は、このような患者さんたちを救うために
「左利き友の会」を組織します。


(「左利き友の会」のできたころ)
大正10年生まれ、生まれつき左利きの書家・鈴木金造さんは、
左手の書道教室を開き、左利きの子供たちに教えた。
近所の小学校を回って
左利きの子供たちに左手で書かせる運動を起こそうとしたが、

 《「左利きの子どもに、左で書かせることが、
  ほんとうにいいことなのかどうか、
  責任がもてないような気がしたからです」》p.176

という悩みで、中断した。

相談した書道家たちの一致した意見は、

 《「書を左手で書くなんて考えられない。
  そんなばかなことを考えるな」
  「君は左利きなのに、右手で立派に書いているんだろう。
  君がいい手本じゃないか」》p.176

当時はまだ世間的に左手使いを忌避する傾向にあるだけでなく、
特に書道界においては「字は右手で書くものだ」というのが、
鉄板の常識で、「左手で書く」という発想自体がなかったのです。

鈴木さんは、書に関しては左右利きで、
どちらで書いても見る人には区別がつかない。
楷書は右利き向きに作られ、ひらがなも右利き向き。
だが、草書、行書になると、
左手で書いた方がよい味が出るときがある。
書道展に出した作品にも左手で書いたものがあるそうで、
それを明言しないのは、

 《左手で書くことが一種のむほん行為とみなされ、
 書道界で孤立してしまうからにちがいない。》p.177

と「第二部日本編」の著者の草壁さんは書いています。
『左利きの本――右利き社会への挑戦状』ジェームス・ブリス、
ジョセフ・モレラ 草壁焔太訳(講談社 1980(昭和55).12)より

これもhikkiiで書きました。


◆1972(昭和47)年

(6/1)広瀬正さんの左利きテーマのSF小説
『鏡の国のアリス』(河出書房新社)

(『広瀬正・小説全集・4 鏡の国のアリス』集英社文庫)

―反転世界に迷い込んだ男性を主人公にしたもので、
 箱崎先生と左利き友の会をモデルにした会が登場する。

が出版されました。

またこの年(1/1)
イギリスの左利き研究家、マイケル・バーズリーさんの

『右きき世界と左きき人間』マイケル・バーズリー
 西山浅次郎訳 TBS出版会(発売・産学社)

(原著 Left-handed Man in a Right-handed World, 1970)
―左利きのイギリス人左利き研究家の著者が代表を務める
 左利きクラブのこと、
 ロンドンに開店した左利き専門店のことなど。

これもhikkiiで紹介しました。


◆1973(昭和48)年

(1/1)『左ききの本』マイケル・バーズリー 西山浅次郎訳
 TBS出版会(発売・産学社)

(原著 The Left-handed Book―An Investigation
into The Sinister History of Left-Handedness,初出1966)
が出版。

この年の夏(7/5)、麻丘めぐみさんの歌う
「わたしの彼は左きき」(作詞・千家和也 作編曲・筒美京平)

が登場します。

左利きのイメージ・アップと偏見打破に大きな力となりました。

この年は、
左打ちのプロ野球選手、世界のホームラン王と呼ばれることになる、
王貞治さんが日本で二人目、自身初の三冠王に輝きました
(翌年も)。


◆1975(昭和50)年

(1月)左利き友の会『左利きニュース』42号をもって活動停止、
という悲しいニュースがありました。

(1975(昭和50)年ごろか?)
左利きのすし職人【油井隆一】30代はじめ?
―結婚し子供ができた後、鮨職人の修業を始める
 《洋食への未練もあったし、
  一八〇度切り換えて鮨に進むには左利きも気になった。
  しかし、それとなく調べたところ、
  左利きの包丁がないわけではない。
  少ないことは事実だが、世の中、左利きの鮨職人もいる。
  親父の後を継ぎたい、
  口に出したとたんそれが現実となったような気がした。》

 《諸々のハンディを克服して、油井が一人前の職人となり、
  つけ場に立つのは、昭和五十年代の後半である。
  三〇代半ばに達していた。》
  『鮨に生きる男たち』早瀬圭一 新潮文庫より

これもhikkiiで紹介しました。


◆1976(昭和51)年

プロ野球・読売ジャイアンツに、
安打製造機と呼ばれた張本勲選手が入団。

ON砲に変わるOH砲が誕生し、
〈左利きの時代〉を現す代名詞のようにいわれたものでした。

(少なくとも私のまわりではそういう風にいわれたものでした。
 当時、中学のクラス同窓会があり、
 先生宅での二次会で食事をいただいたとき、
 左手で箸を持つ私にたいして。)


◆1977(昭和52)年(8/1)

大リーグ初の女性(左腕)投手の活躍を描いた
『赤毛のサウスポー』ポール・R・ロスワイラー 稲葉明雄訳 集英社

(『赤毛のサウスポー』集英社文庫 1979/4/1)

が出版されました。

(9/5)には、
王貞治選手が、ホームラン世界新記録通算756号を達成し、
国民栄誉賞受賞の第1号に。

さらに、1977年には、
日清食品のインスタントうどん「どん兵衛」が発売され、
左利きの山城新吾さんと川谷拓三さんのお二人が
それぞれ左手箸で食べる、
かけ合い漫才のようなCMがヒットしました。

(これをみて、左手箸ゆえに外食が嫌だった私も、
 勇気を持って
 人前でもご飯が食べられるようになったものでした。)


◆1978(昭和53)年(3/25)

王選手モデルにした強打者と対戦する左腕投手を描く、
ピンクレディー「サウスポー」(作詞阿久悠 作曲都倉俊一)

が発売されヒットしました。

(3.31)
『左と右の心理学 からだの左右と心理』
マイケル・C・コーバリス、イヴァン・l・ビール
 白井常、鹿取廣人、河内十郎共訳 紀伊國屋書店 
(The Psychology of Left and Right, 1976)


◆1979(昭和54)年

(6/1)箱崎総一先生の
『左利きの秘密』箱崎総一 立風書房 マンボウブックス

が出版され、「左利き友の会」のことなどが語られました。

(12/20)には、♪左ききのあなたの手紙~で知られる、
アリスの「秋止符」(作詞谷村新司 作曲堀内孝雄)

も発売されました。


◆1980(昭和55)年

(4/5)映画『ミスターどん兵衛』
山城新吾企画・製作・脚本・監督・主演、共演川谷拓三、他
(山城新吾と川谷拓三の日清どん兵衛のCMがヒットし、映画に。)

同年には、
『右手の優越』R・エルツ 吉田禎吾、内藤莞爾訳 垣内出版 
(『右手の優越―宗教的両極性の研究』ロベール エルツ
吉田禎吾,板橋作美,内藤莞爾 訳 ちくま学芸文庫 2001/6/1 )

(12/20)には、
『左利きの本―右利き社会への挑戦状』
ジェームス・ブリス/ジョセフ・モレラ 草壁焔太訳 講談社
(原著 The Left-handers' Handbook)

が出版されました。

 ・・・

ザッとこんな感じでした。


 ●1980年代からの展開

70年代には、
箱崎総一先生の『左利きの世界』と『左利きの秘密』、
マイケル・バーズリーさんの『右きき世界と左きき人間』と
『左ききの本』という翻訳本、1980年にも、
ジェームス・ブリス/ジョセフ・モレラと
翻訳および日本の部の草壁焔太さんの
『左利きの本―右利き社会への挑戦状』といった
左利きをテーマにした1冊の本が出版されるようになりました。

これは、利き手の科学的な研究者・学者といった専門家ではない、
左利きに関心を持つアマチュアの研究家等の人たちによる、
左利きについての社会的文化的な研究書・啓蒙書でした。


しかし、1980年代に入りますと、

1987(昭和62)年(9/1)には、
精神科医の斎藤茂太さんの
『左ききの人の本 右にでるモノがない!』エムジー

といった左利き応援本だけでなく、
利き手や利き足等の利き側(ラテラリティ)研究の
専門家の手になる研究書も出版されるようになりました。


1983(昭和58)年(6/1)
『左利き学―その脳と心のメカニズム』J・ヘロン編
 近藤喜代太郎、杉下守弘訳 西村書店

1989(昭和64・平成元)年(6/1)
『右利き・左利きの科学』前原勝矢 講談社 ブルーバックス

といった専門家による一書が登場します。


こうして90年代になりますと、

1991(平成3)3月には

『モノ・マガジン』1991年4月2日号 No.188
「特集/左を制するものは時代を制す/左利きの商品学」
ワールド・フォトプレス


(画像:(書影)『モノ・マガジン』1991年4月2日号 No.188「特集/左を制するものは時代を制す/左利きの商品学」)

が出版され、この大いなる刺激により、
私のようなアマチュアの研究家が
本格的に活動を始めるようになるのでした。

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本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(4)
 「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(3)」
 ――1970年代は日本における左利き観の転換期だった」
と題して、
1970年代の日本における左利きに関する出来事を本を中心に年表仕立てで紹介しています。

今回は、1970年代の年表ということで、全文を転載しています。
読者の皆様からも情報をいただけたら、という思いからです。


ほんとうは左手・左利き用品の類いなども年表に組み込んでいきたいのですが、思うように初出年代を究めることができません。

左手(左利き)用ハサミ一つとっても、一般向けに商品として流通し始めた時点を定めることができません。
現在左手用ハサミを製造販売しているメーカーさんでも、始発の時点が明らかになっていないのです。

社史などを調べてもその辺の細かい情報まではなかなか見つけられません。


私も紙で活動していた時代にいただいたいくつかのデータを持っています。

あるメーカーさんの担当者さんから開発のいきさつについて書かれた書き物をいただいたことがありました。
そのうち改めて整理しなければ、と思っています。

現時点で簡単に調べられるのは、本やレコードぐらいです。
ということで、こういう結果になっています。

いずれもう少し内容の整ったものにしてゆきたいと考えています。

さて、どうなりますことやら。

 ・・・

詳細は、本誌で。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』


『レフティやすおのお茶でっせ』〈左利きメルマガ〉カテゴリ

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
1970年代は左利き観の転換期「わたしの彼は左きき」の時代-週刊ヒッキイ第588号
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