2009.10.15(木)
他のサイトのコメンテーターから『以前掲載していたエギングの記事を再掲してください』という内容の有り難いリクエストを2件も頂いた。
こんなことは初めてだったので、正直なところ嬉しかった。そのまま再掲では能が無いところではあるが、編集作業をすると膨大なエネルギーを消費するので、手抜きではありますが、原文のまま再掲させていただきます。誤字脱字等があってもそのままと致します。都合10回シリーズで掲載したいと思います。今夜はその第9回目です。
【第927夜 餌木の歴史について1】
第911夜でエギング道具色々と題して少々書いたが、今夜は餌木の歴史について少々記しておく。
一般に餌木が誕生したのは江戸時代とされている。薩摩(現鹿児島県)の漁師が夜に松明を焚いて漁をしていた時、海に落ちた黒焦げの木片にイカが抱きついたのを見てその漁師により発明されたらしい。
現存する最古の餌木は、「黒焼黒魚(くろいお)型」と呼ばれる魚の形をした江戸時代の焼き餌木である。種子島や屋久島で原型が出来て、薩南に伝わったとされていた。ところが、この餌木の素材に使われた木であるフクギやアマギは九州に自生しておらず、トカラ列島や奄美大島から運ばれたことや、黒焼黒魚が西表島で発見されたことなどから、餌木は従来の説よりも更に南から伝わった可能性が高いことが解ってきた。
いずれにしても、餌木が薩摩地方で著しく発達したのは間違いないようである。薩摩での餌木によるイカ釣りは漁としてではなく、武士の遊びとして流行したようである。
明治時代になると豪商が餌木職人を抱えて、人よりも良く釣れる餌木を金に糸目を付けずに求めたらしい。豪商の遊びとなると半端じゃなくなるが、はてさて、どのくらい釣れたのか興味深いところである。
この続きはまた次の機会に書くことにする。今夜は何だか疲れているのでここまでにしておく。
【10月15日過去の釣行記録】
・2005年第1埠頭南端東側、16:20~22:00、中潮、釣果=2人でキス2・小ダイ3・イイダコ1・アジ15
【この日の釣り情報】
・2005年第1埠頭東側新川港、16:20~22:00、中潮、釣果=メバル4・40cmチヌ1
にほんブログ村
FC2 Blog Ranking
※お願い:下の広告を全部クリックして下さい。