あれは 過ぎた日のことね
だけど 忘れてはいないわ
昔と変わらないあなた そしてこの町
ふたり暮らしてたことが
まるで嘘のようだけど
手にとるように いま.....
心かけめぐるの
あれからあてない 旅にでたけど
想い出だけを支えに 生きてたの
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/51/71823b8ed747735204246b814c47e576.jpg)
今も憶えているかしら
町の小さなお店
季節が通り過ぎて ふたりは他人同士
二度とやり直すことは
出来ぬ過去のことだから
あなたにとって いま.....
幸せならばいいの
ふたりの道は また違うけど
想い出つれて 私は旅に出る
(めぐり逢い) 金子由香利ベストコレクションから
作詞 Patricia Carli
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/91/e0dc0f5bd40020419860dddae9d38bfa.jpg)
人間は役者に過ぎない。しかも一人ひとりが生涯に色々な役を演じ分けるのだ。
(シェークスピア[お気に召すまま]から引用)
さて、私は、どんな役を演じてきただろうか?
人生の秋も過ぎ、今初冬を迎えと言っても気持ちはいつも春の長閑さのなかにあるが。
人生を語るシャンソンは、今でも好きで想い果てしなく空を舞う日々にいる。
そんなある日、大事な友が突然体調を崩し検査入院の結果重大な病気が見つかり現在治療中だ。
入院前に、親しい友人だけを自宅に招かれて、ご主人さまから病状やこれからの治療などの説明を受けた。
ご家族で病気に真正面から向かい合われる姿勢に、ただただ敬意あるのみで感動すら覚えた。
ワーキングウーマンのAさんとは、ゆっくりと会ってお茶を飲む時間もないくらい多忙な年だったようで、それでも時たま見かけるAさんはいつも元気だった。
11月の連休には、京都への家族旅行を楽しみにしていたAさん、時間が取れたら皆で旅行に行きましょうね。
なんて友人仲間で話していた矢先のことだった....。
入院治療を余儀なくされたAさんに暗さはなく、淡々と冷静に病状を語る横顔には強い意志が感じられ、かつ気丈でその爽やかさに驚くのは私たちだった。
そんなAさんだから、友人も多く誰からも慕われているのだろうと思う。
そのAさんの強さは、ここ数年来通い続けている新興宗教への祈りなのではないだろうか?
私自身、何らの信仰を持っていないのが恥ずかしいように思われるが、全く関心がないのだ。
以前、Aさんと一緒に、その●×○支部に行ったことはあるが、逆に新興宗教への疑念のほうが深くなってしまったのだ。
お札を買ってお願い事を書き、窓口の人に渡すシステムなのだが、寄付のようなものなのだろう。私にはどうしても嫌悪感の方が強かった。
信仰は、人それぞれの捉え方が違うし置かれている環境も違うゆえに難しい。
それでも、今、闘病中のAさんに出来ることは何だろう?出来る限りのことを出来る範囲で支えていきたい。
病は、決して他人ごとではなく、いま、わが身に起きても決して不思議ではない。
LA VIES‘EN VA 人生は過ぎていく
どこにもいかずに 私のそばにいて!
手にとるように人生はかけめぐっていく、神様......。
ただ、快方に向かうように祈りを捧げます....。
だけど 忘れてはいないわ
昔と変わらないあなた そしてこの町
ふたり暮らしてたことが
まるで嘘のようだけど
手にとるように いま.....
心かけめぐるの
あれからあてない 旅にでたけど
想い出だけを支えに 生きてたの
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/51/71823b8ed747735204246b814c47e576.jpg)
今も憶えているかしら
町の小さなお店
季節が通り過ぎて ふたりは他人同士
二度とやり直すことは
出来ぬ過去のことだから
あなたにとって いま.....
幸せならばいいの
ふたりの道は また違うけど
想い出つれて 私は旅に出る
(めぐり逢い) 金子由香利ベストコレクションから
作詞 Patricia Carli
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/91/e0dc0f5bd40020419860dddae9d38bfa.jpg)
人間は役者に過ぎない。しかも一人ひとりが生涯に色々な役を演じ分けるのだ。
(シェークスピア[お気に召すまま]から引用)
さて、私は、どんな役を演じてきただろうか?
人生の秋も過ぎ、今初冬を迎えと言っても気持ちはいつも春の長閑さのなかにあるが。
人生を語るシャンソンは、今でも好きで想い果てしなく空を舞う日々にいる。
そんなある日、大事な友が突然体調を崩し検査入院の結果重大な病気が見つかり現在治療中だ。
入院前に、親しい友人だけを自宅に招かれて、ご主人さまから病状やこれからの治療などの説明を受けた。
ご家族で病気に真正面から向かい合われる姿勢に、ただただ敬意あるのみで感動すら覚えた。
ワーキングウーマンのAさんとは、ゆっくりと会ってお茶を飲む時間もないくらい多忙な年だったようで、それでも時たま見かけるAさんはいつも元気だった。
11月の連休には、京都への家族旅行を楽しみにしていたAさん、時間が取れたら皆で旅行に行きましょうね。
なんて友人仲間で話していた矢先のことだった....。
入院治療を余儀なくされたAさんに暗さはなく、淡々と冷静に病状を語る横顔には強い意志が感じられ、かつ気丈でその爽やかさに驚くのは私たちだった。
そんなAさんだから、友人も多く誰からも慕われているのだろうと思う。
そのAさんの強さは、ここ数年来通い続けている新興宗教への祈りなのではないだろうか?
私自身、何らの信仰を持っていないのが恥ずかしいように思われるが、全く関心がないのだ。
以前、Aさんと一緒に、その●×○支部に行ったことはあるが、逆に新興宗教への疑念のほうが深くなってしまったのだ。
お札を買ってお願い事を書き、窓口の人に渡すシステムなのだが、寄付のようなものなのだろう。私にはどうしても嫌悪感の方が強かった。
信仰は、人それぞれの捉え方が違うし置かれている環境も違うゆえに難しい。
それでも、今、闘病中のAさんに出来ることは何だろう?出来る限りのことを出来る範囲で支えていきたい。
病は、決して他人ごとではなく、いま、わが身に起きても決して不思議ではない。
LA VIES‘EN VA 人生は過ぎていく
どこにもいかずに 私のそばにいて!
手にとるように人生はかけめぐっていく、神様......。
ただ、快方に向かうように祈りを捧げます....。