千葉地裁が一審の大審院判決 明治28年発生の謀殺事件
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(はじめに)
・大審院明治29年5月25日判決(大審院刑事判決録2輯5巻79頁)の現代語訳を試みたものです。原文は現代語訳の下にあります。
・東京控訴院(原裁判所)では以下のとおりの判決でした。
被告吉兵衛:謀殺教唆⇒無期徒刑
被告又五郎:謀殺⇒死刑
被告源七:謀殺幇助⇒無期徒刑
被告人ら(現代では「被告人」ですが、この判決では「被告」と呼ばれています)は大審院に上告しましたが、上告は棄却。東京控訴院の判決が確定しています。
・時系列
殺人事件が起きた日:明治28年1月21日。第一審千葉地裁の判決:不明
第二審の東京控訴院判決:明治29年4月20日言渡し。
大審院判決:同年5月25日
控訴院判決から大審院判決まで1ヶ月強しか経っておらず、ものすごいスピードです。
・本判決は、日本研究のための歴史情報裁判例データベース(明治・大正編)に登載されています。
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謀殺ノ件
大審院明治29年5月25日判決・明治29年第523号
大審院刑事判決録(刑録)2輯5巻79頁
◎判決要旨
「初更」とは、十二支の戌の刻を指す。
第一審:千葉地方裁判所
第二審:東京控訴院
被告人 苅込吉兵衛 正司又五郎 正司源七
辯護人 磯部四郎 岡崎正也 安部遜 的塲平次
右吉兵衛ほか2名の謀殺被告事件について、明治29年4月20日に東京控訴院で、千葉地方裁判所の判決に対する被告たちの控訴を審理した。控訴院は、「原裁判所は、被告吉兵衛は謀殺教唆、又五郎は謀殺、源七は謀殺幇助の罪を犯したと認め、又五郎に死刑、吉兵衛と源七には無期徒刑を言い渡したことは妥当である」とし、控訴を棄却した。
この第二審の判決を不当として、被告3名は上告した。検事はこれに答弁せず、刑事訴訟法第283条に基づいて手続きを進めた。吉兵衛及び源七の弁護士磯辺四郎、岡崎正也、安部遜並びに又五郎の弁護士的場平次の弁論が行われ、検事の応当融の意見も聴いた上で、次のように判決する。
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(被告吉兵衛上告趣意書の要旨)
被告吉兵衛上告趣意書の要旨は以下のとおりである。
原裁判所は、「被告吉兵衛が明治28年1月15日に徳太郎あてに書面を送り、道義的な責任感から石高橋家の争いを円満に調停しようとした。しかし、それがうまくいかなかったため、吉兵衛は怒り、徳太郎を殺害するしかないと思うに至った。吉兵衛は又五郎に会い、密かにその本心を打ち明け、徳太郎を殺害すれば、又五郎の借金はすべて帳消しにしてやると言って、徳太郎を殺害することを教唆した。」と判断した。
しかし、一件記録によると、被告吉兵衛が徳太郎に書面を送った後も、示談交渉は順調に進んでおり、関係者から不満が出たことはない。示談書だけでなく、訴訟取下書についても、関係者全員が署名済みであった。徳太郎に対する損害賠償も、実行されようとしていたが、関係者の一人である大野平が出すべき金額の都合がつかなかったので、翌月2日に実行が延期されただけであった。ことに原審が事実認定証拠として列挙した証拠の中には、被告が1月20日以降に又五郎と会ったということ証拠は見当たらない。これは証拠に基づかず、架空に事實を確定した不法の裁判であって、違法である。
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(被告源七の上告趣意書の要旨)
被告源七の上告趣意書の要旨は以下のとおりである。
原裁判所は、「同月21日朝、源七は徳太郎から、借主清水のために、証人中後源衛に対する貸金示談の件について話し合いをし、最終的にその結果がまとまったこと、同日昼過ぎに湊町の數馬伊勢屋こと佐藤巳之助宅で再会することを約束したことを話した。源七は又五郎に対して、同夜、徳太郎が伊勢屋から湊に向かって帰る予定であることを知らせたこと等により、又五郎が犯罪を実行しやすくした」として、源七が又五郎の犯罪行為を容易にしたと判示した。
しかし、一件記録によれば、源七は1月20日の朝に村を出て、その夜は徳太郎の家に泊まり、21日の夜まで村に戻らなかったことが明らかである。また、その間、出先で又五郎に会ったり、使いを送ったりした事実も一切ない。さらに、原裁判所が引用した証拠には、20日に村を出た後、源七が又五郎と会合したり、他の方法で情報を伝え合ったという痕跡は全くないにもかかわらず、原裁判所は源七が又五郎に情報を申告し、示し合わせたと判決しました。
これは証拠に基づかず、架空に事實を確定した不法の裁判である。
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(大審院の判断)
しかし、これらはいずれも原判決の専権である証拠の取捨・事実の認定に対して批難するものに過ぎず、適法な上告理由にあたらない。
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(被告又五郎の上告要旨第一)
被告又五郎の上告要旨の第一点は、被告又五郎には予謀の事実はなく、殺人の意思もない。被害者高橋徳太郎が湊町数馬伊勢屋から帰る途中、被告又五郎にぶつかり、さらに不正な暴行を加えたため、挑発に駆られて持っていた凶器で徳太郎を刺し、結果として死亡させたものである。以前被告が自白したのは、共同被告の濡れ衣を晴らそうとした意図によるものであり、右原院がこの自白を以て謀殺と認定したのは違法である、というものである。
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(大審院の判断)
しかし、これも事実認定の批判にすぎない。
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(被告又五郎の上告要旨の第二)
被告又五郎の上告理由の第二点は以下のとおりである。
仮に、被告又五郎が苅込吉兵衛に教唆されたとしても、被告又五郎がすぐに謀殺を決意したとは言えない。原裁判所は、「被告の父親である源七が犯罪に便宜を与えた」と論じているが、親子関係から推測するに、このような推定は不当であり、直ちに被告が謀殺の意思を持っていたと断定することはできない。被告又五郎は、突然不正な暴行を受けたので、その為急に怒りを爆発させ、持っていた刀で斬りつけ、結果として被害者を死に至らしめたものである。故殺として第194条を適用すべきであったのに、原裁判所が第292条を適用したのは法令の適用の誤りである。
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(大審院の判断)
原審が認定した事実に適用した法律は正当であり、上告の論旨は、原審が認定した事実を誤りとして論じ、法の適用に誤りがあったと主張しているに過ぎない。したがって、適法な上告理由にあたらない。
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(被告吉兵衛・源七の弁護士磯部四郎・岡崎正也の上告拡張書要旨の第一点及び第二点)
◯被告吉兵衛・源七の弁護士磯部四郎・岡崎正也の上告拡張書要旨の第一点。
本件被告人らに対する予審請求書(明治28年2月25日付)を見ると、その公訴を受けた被告人は「庄司源七ほか二名」とあるに過ぎず、上告人吉兵衛に対して公訴を提起した旨の記載はない。したがって、上告人吉兵衛に対しては適法な公訴が提起されておらず、本件公訴は成立していない。よって、原裁判所において有罪の判決が下されたのは違法である。
なお、この予審請求書の欄外に「ほか二名は庄司又五郎、苅込吉平」と記入されているが、この記入には認印がない。よって、この記入は刑事訴訟法第21条に違反しており無効である。
もっとも、本文以外の余白が刑事訴訟法第21条にいう「欄外」に該当するか否かについては議論があるが、刑事訴訟法上、書類の用紙は必ずしも罫紙に限るという規定はなく、また「欄外」とは必ずしも本文の上下に限られるものではない。
◯被告吉兵衛・源七の弁護士磯部四郎・岡崎正也の上告拡張書要旨の第二点。
上告拡張書要旨第二点は、前述したとおり、本件の正犯者である庄司又五郎に対して適法な公訴が提起されていないのであるから、正犯者に対して公訴が成立していない以上、その行為を容易にしたとされる従犯者である源七に対する原判決も、当然に破棄すべきであるというのである。
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(大審院の判断)
本件記録によると、予審判事の請求により現場に出向いたところ、警部が仮予審に取り掛かっていたので、すぐにその引き継ぎを受け、現行犯事件であることから検証調書を作成したものである。したがって、刑事訴訟法第143条の規定に従って調書をし、その上で公訴が受理されたことになる。したがって、仮に上告論旨のいうように、予審請求書に不完全な点があったとしても、本件の公訴の受理・不受理には全く影響しない。よって、第一および第二の論旨ともに、適法な上告理由にはあたらない。
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◯被告吉兵衛・源七の弁護士磯部四郎・岡崎正也の上告拡張書要旨の第三点。
原裁判所では、鑑定人である山崎周太郎の鑑定書が本件における判決の証拠として使用されているが、同鑑定書は、本件の被告人たちに対する起訴が成立する以前に作成されたものであり、かつ、刑事訴訟法第121条に基づく鑑定人と被告人との間に同法第123条に定める利害関係があるかどうかを尋問し、宣誓させる手続きが取られていなかったのであるから、違法に成立したものというべきである。
原裁判所では、同鑑定書は上記の点に関して違法でないというが、鑑定の時間を詳記しておらず、刑事訴訟法に違反しており、違法性を免れることはできない。それにもかかわらず、原裁判所がこの違法な鑑定書を本件の証拠として採用したのは違法である。
また、この鑑定書の作成以外にも、「殺人被告人氏名不詳」と記載された「予審請求書」と題する書類があり、起訴の対象となる被告人が誰であるかを明らかにしていない以上、起訴が適法に成立する理由はない。
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(大審院の判断)
・本件公訴が受理されたのには理由あり、既に述べたとおりであるから改めて説示しない。
・現行犯の場合には、書面での人物の特定は必要でないため、氏名不詳と記載することは違法ではない。
・氏名不詳者という記載であっても、宣誓が行われていれば、宣誓がない鑑定書だとはいえない。
・鑑定書の中で鑑定を行った時間を詳しく記載させるのは、主に費用の基準を定めるためである。したがって、時間が記載されていない鑑定書であっても、その効力が変わることはない。
・なお、本件の鑑定書には「明治28年1月22日午後1時40分から同日午後4時まで」と時間が明記されている。
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◯被告吉兵衛・源七の弁護士磯部四郎・岡崎正也の上告拡張書要旨の第四点。
原判決は、「源七は伊勢屋と源衛宅との間を何度も行き来し、徳太郎を初更後に帰宅させて、又五郎の犯罪を容易ならしめた」と判示しているが、「同夜9時頃、徳太郎はその場に到着したため、又五郎は持っていた刀で突然徳太郎の背後から切りつけた」とも判示している。つまり、初更(10時)後に帰宅させたはずの徳太郎を、その夜9時に襲撃したと認定しており、理由に齟齬がある。
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(大審院の判断)
初更とは十二支の「戌の時」にあたり、当時の午後8時頃に相当する。したがって、原判決文中に最初に「初更」云々と記し、その後「同夜9時頃に待ち伏せした」と判示されていても、理由に齟齬があるとは言えない。
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◯被告又五郎の弁護士的場平次の上告理由の拡張要旨
原判決は、証拠の表示の箇所で「右の事実は被告三名その他佐藤巳之輔、高梨晴治、齋藤織江、福本浅七、三枝信に対する各予審調書に基づき、証拠として十分である」と判示しているが、これらの人々が証人として引用されたのか、参考人として引用されたのか、原判決は明確にしていない。
本件は、殺人犯という最も重大な犯罪が問われており、死刑が宣告されている事件である。原裁判所が引用している証拠において、証人なのか参考人なのか一目でわからないようなことは、このような重大事件であってはならず、刑事訴訟法第203条に違反していると言わざるを得ない。仮に、佐藤巳之輔ら数名が証人として引用したのであれば、原判決は不法な証拠を採用して断罪の用に供したと言わざるを得ない。
証人は刑事訴訟法第121条に従って、氏名、年齢、職業、住所を訊問した後で、第123条に記載されているものかどうかを質問し、同条に抵触しないことを確認した上で宣誓をさせ、偽証罪の罰についても説明してから訊問しなければならない。しかしながら、本件における佐藤巳之輔らの調書を見ると、いずれもまず氏名、年齢、職業、住所を尋ねた後に「庄司源七外二名の被告事件について証人となる資格を聴了し、宣誓をさせた」とだけ書かれている。このような簡単な文言だけでは、証人としての資格の有無を確認したことは分かるが、その資格があるかどうかは明らかではない。これを明確にしないまま宣誓をさせ、訊問を行った証人は、刑事訴訟法第121条に反する違法な手続きによって尋問されたものであり、この違法な手続きによって得られた証言を証拠として採用するのは不法である。
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(大審院の判断)
◎佐藤巳之輔、高梨晴治、斎藤織江、福本浅七、三枝信が証人か参考人かという点については、それぞれの調書を見れば明らかであり、原判決の文中に証人や参考人と明記していなくても違法ではない。また、同人ら(三枝信を除く)の調書の冒頭に「庄司源七外二名の被告事件について証人となる資格を聴了し、宣誓をさせた」と記載されていることについて、上告論旨の通り、その「聴了」という言葉は簡略ではあるが、証人としての資格を訊問し、抵触しないことを認めた上で宣誓をさせたという趣旨であることが認められる。したがって、上告論旨のいう違法はない。
以上の理由により、刑事訴訟法第285条の規定に基づき、本案上告を棄却する。
明治29年5月25日、大審院第二刑事部の公廷において宣告。検事応当融立会い。
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〈原文〉
謀殺ノ件
大審院刑事判決録(刑録)2輯5巻79頁
明治二十九年第五二三號
明治二十九年五月二十五日宣告
◎判决要旨
初更トハ十二支ノ戍ノ時ヲ云フ
第一審 千葉地方裁判所
第二審 東京控訴院
被告人 苅込吉兵衛 正司又五郎 正司源七
辯護人 磯部四郎 岡崎正也 安部遜 的塲平次
右吉兵衛外二名カ謀殺被告事件ニ付明治二十九年四月二十日東京控訴院ニ於テ千葉地方裁判所ノ判决ニ對スル被告共ヨリノ控訴ヲ審理シ原裁判所カ被告吉兵衛ハ謀殺教唆又五郎ハ謀殺源七ハ謀殺幇助ノ罪ヲ犯シタルモノト認メ又五郎ヲ死刑ニ吉兵衛源七ヲ無期徒刑ニ處ス云々ト言渡シタルハ相當ニ付本件控訴ハ之ヲ棄却スト判决シタル第二審ノ裁判ヲ不法ナリトシ被告三名ハ上告ヲ爲シ對手人原院檢事ハ之ニ答辯セス因テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ被告吉兵衛源七ノ辯護士磯部四郎岡崎正也安部遜被告又五郎ノ辯護士的塲平次ノ辯論立會檢事應當融ノ意見ヲ聽キ判决スルコト左ノ如シ
被告吉兵衛上告趣意書ノ要旨原裁判所ニ於テハ「被告カ明治二十八年一月十五日書面ヲ徳太郎ニ送リ責ムルニ徳義ヲ以テシテ石高橋家ノ紛議ヲ圓滑ニ調停シ滿足ノ結果ヲ得ントシタルモ是レ亦充分ニ其効ヲ奏セサリシヲ以テ吉兵衛ハ愈々憤慨ニ堪ヘス寧ロ徳太郎ヲ殺害スルニ如カスト决意シ云々被告又五郎ニ面會シタル際私カニ其眞情ヲ吐露シ若シ徳太郎ヲ殺害シタルナレハ又五郎ノ負債ハ悉ク償却シ遣スヘシトテ徳太郎ヲ殺害センコトヲ教唆シタルヨリ云々」ト判决セラレタリ然ルニ一件記録ニ於テ被告吉兵衛カ右書面ヲ徳太郎ニ送リタル後示談ハ益々進行シツヽアリテ關係人間ニ其實行ニ對シ不滿ヲ生シタル事蹟アルコトナク示談契約書ハ勿論訴訟取下書面ニ至ルマテ各關係人間ノ連署濟ニテ現ニ徳太郎被害ノ常日總テ結了濟ニ至ル處關係人中大野平ノ出金スヘキ金額ノ一部纒ラサリシカ爲メ其實行ヲ翌月二日ニ延期シタルモノナリ殊ニ原院カ本件事實ノ證憑トシテ列擧セラレタル各證據中ニ於テ被告カ一月二十日後ニアリテ又五郎ト面會シタリトノコトハ毫モ見ルヘキ點ナシ依テ原判决ハ判文形式上ニ於テハ右證憑トシテ數點ノ書類ヲ記載セラレタレトモ其實證憑ニ基カスシテ架空ニ事實ヲ確定セラレタル不法ヲ免レスト云ヒ」
被告源七ノ上告要旨ハ原裁判所ニ於テハ「同月二十一日朝源七ハ徳太郎ヨリ借主清水タメ證人中後源衛ニ對スル貸金示談ノ件ニ付徳太郎ト談話ノ末相分ルヽニ當リ同日書過キ湊町數馬伊勢屋事佐藤巳之助方ニ於テ再會スルコトヲ約シ又一方ニ於テハ又五郎ニ同夜伊勢屋ヨリ湊ニ向テ徳太郎ノ歸ルヘキコトヲ申告ケ云々以テ又五郎ノ犯罪ヲ容易ナラシメタリ」ト判决セラレタリ然ルニ一件記録ヲ見ルニ被告源七ハ一月二十日朝居村ヲ出テ同夜ハ徳太郎方ニ同宿シ其後二十一日夜マテハ居村ニ皈リタルコトナク又出先キニ於テ又五郎ニ出會若シクハ使ノ往復ヲ爲シタルコトナキハ明カナリ殊ニ原裁判所ニ於テ本件ノ證據トシテ引用セラレタル各證據ニ於テハ一トシテ被告人カ二十日右村ヲ立出テタル後又五郎ト會合シタルコト若クハ其他ノ方法ヲ以テ申告ケ示合セタリトノコトハ見ルヘキ端緒タモナキニ拘ラス前掲ノ如ク判决セラレタルハ證憑ニ基カスシテ架空ニ事實ヲ確定セラレタル不法ノ裁判ナリト云フニアレトモ
◎右原院ノ職權ニ特任セル證憑ノ取捨事實ノ認定ニ對シ徒ラニ批難ヲ試ムルモノニ過キサルヲ以テ何レモ上告適法ノ理由ナシ
被告又五郎ノ上告要旨ノ第一點被告又五郎ノ所爲ハ豫謀ノ事實ナク又殺人ノ意思モナク被害者高橋徳太郎カ湊町數馬伊勢屋ヨリ皈途被告又五郎ニ衝突シ剩サヘ不正ノ暴行ヲ加ヘタルヲ以テ挑發ニ乘シ携ヘタル凶器ヲ以テ徳太郎ニ切付タル結果遂ニ死ニ致シタルモノニシテ曩キニ被告カ自白シタルハ共同被告ノ無實ノ寃罪ヲ購ハンカ爲メノ意思ニ外ナラス原院カ之ヲ以テ謀殺トシタルハ違法ナリト云フニアリテ
◎是亦事實認定ノ批難ニ外ナラス』
第二點假リニ原院ノ認ムル事實ノ如ク苅込吉兵衛ニ教唆サレタリトスルモ被告ハ直チニ謀殺ノ决意ヲナシタリト云フヘカラス原院ハ父源七カ非行ヲ咎メスシテ犯罪ニ便宜ヲ與ヘタリト論スルモ親子間ノ關係ヨリ想像スレハ此ノ如キ推定ハ不當ニシテ之ヲ以テ直ニ被告ニ謀殺ノ意思アリト斷定スルヲ得ス全ク被告ハ出會シ不正ノ暴行ヲ受ケタル爲メ急ニ怒ヲ發シ携ヘタル刀ヲ以テ切付ケ遂ニ死ニ至ラシメタルモノニシテ故殺ヲ以テ論シ第百九十四條ヲ適用スヘキニ原院カ第二百九十二條ヲ適用シタルハ擬律ノ錯誤ナリト云フニアレトモ
◎原院カ認メタル事實ニ對シ適用シタル法律ハ相當ニシテ上告論旨ハ要スルニ原院ノ認メタル事實ヲ然ラスト論シ以テ擬律ニ錯誤アリト云フニ外ナラサレハ上告適法ノ理由ナシ
被告吉兵衛源七ノ辯護士磯部四郎岡崎正也ノ上告擴張書要旨ノ第一點本件被告人等ニ對スル豫審請求書(明治二十八年二月二十五日付)ヲ見ルニ其公訴ヲ受ケタル被告人ハ庄司源七外二名トアルニ過キサレハ上告人吉兵衛ニ對シ果シテ公訴ヲ提起シタル旨ノ記載アルナシ依テ上告人ニ對シテハ適法ナル公訴ノ提起ナキヲ以テ本件公訴ハ不成立ナルニ原院ニ於テ有罪ノ判决ヲ言渡サレタルハ不法ナリトス但右豫審請求書ノ本文以外ノ條目即チ欄外ニ於テ「外二名ハ庄司又五郎苅込吉平」ト記入シアトモ此記入ニ對シ認印アルナシ依テ該記入ハ刑事訴訟法第二十一條ニ違背セル不法アルヲ以テ其効ナキヤ論ヲ俟タス尤右本文以外ノ餘白ハ刑事訴訟法第二十一條ノ所謂欄外ニ該ルヤ否ニ付論議ナキヲ保セサルモ刑事訴訟法書類ノ用紙ハ必スシモ罫紙ニ限ルトノ明文ナク又欄外トハ必スシモ本文面ノ上下ニ限ルヘキモノニアラサルハ是亦論ヲ竢タサル處トス』第二點前項記載ノ如ク本件正犯者タル庄司又五郎ニ對シテモ適法ノ公訴提起アルナシ而シテ正犯者ニ對シ公訴成立セサル以上ハ其所爲ヲ容易ナラシメタリトノ從犯者タル源七ニ對スル原判决モ亦當然破毀ノ原由アリト信スト云フニアレトモ◎本件記録ニ依ルニ豫審判事ノ請求ニ依リ現塲ニ出張シタル處己ニ警部ニ於テ假豫審ニ着手シ居リタルヲ以テ直ニ其引繼ヲ受ケ現行犯事件ナルニ付檢證調書ヲ作リタルモノナレハ刑事訴訟法第百四十三條ノ規定ニ依リ其調書ヲ作リタルヲ以テ公訴ヲ受理シタルモノナルコトハ勿論ナリトス故ニ假令上告論旨ノ如ク豫審請求書ニ不完全ノ點アリトスルモ本件公訴ノ受理不受理ニ毫モ影響ヲ及ホスヘキモノニアラサルヲ以テ第一第二論旨共上告適法ノ理由ナシ』第三點原裁判所ニ於テハ鑑定人山崎周太郎ノ鑑定書ヲ以テ本件斷罪ノ證據ニ供セラレタルモ右鑑定書ハ本件被告人等ニ對スル公訴ノ成立以前ノ成立ニ係ルモノニシテ且又刑事訴訟法第百二十一條ニ基キ鑑定人ト被告人トノ間ニ於テ同法第百二十三條ノ關係アルヤニ付テ訊問ヲ爲シ宣誓セシメタル手續ナキヲ以テ素ヨリ不法ノ成立ニ係ルモノトス加之該鑑定書ハ右ノ點ニ付不法ナシトスルモ鑑定ノ時間ヲ詳記セサルヲ以テ刑事訴訟法ニ違背セル不法ヲ免レサルモノトス然ルニ原裁判所カ右不法ノ鑑定書ヲ本件ノ證據ニ採用シタルハ不法ナリトス右鑑定書調製以外ニ於テ殺人被告人氏名不詳ト記載シ豫審請求書ト題スル書類アルヲ以テ或ハ被告人氏名不詳トシテ公訴事件成立シタリトノ論ナキヲ保セスト雖トモ公訴ノ目的物タル被告人ノ何人タルヤヲ詳カニセサル以上ハ其被告人ノ在否生死等ヲ知ルニ由ナキヲ以テ被告人ノ氏名ヲ詳ニセスシテ公訴ノ適法ニ成立スヘキ理由ナシト云フニアレトモ◎本論旨中本件公訴ノ受理セラレタル理由ハ前項ニ辯明セシ如クナルヲ以テ更ニ説示セス又現行犯ノ塲合ニ在テハ一定ノ人アルヲ要セサルヲ以テ氏名不詳ト記スルモ違法ニ非ス又氏名不詳者ト記シ宣誓セシメアレハ宣誓ナキ鑑定書ナリト云フヲ得ス又鑑定書中鑑定ヲ爲シタル時間ヲ詳記セシムルハ主トシテ費用額ノ標準ヲ定ムルカ爲メナリ故ニ其記載ナキ鑑定書ト雖トモ其効力ニ増減アルコトナシ况ンヤ該鑑定書ニ時間ハ明治二十八年一月二十二日午後一時四十分ヨリ同日午後四時ニ至ルト明記シアルニ於テヲヤ』第四點原判决ヲ見ルニ「源七ハ伊勢屋ト源衛宅トノ間ニ屡々往來シ徳太郎ヲ初更後歸途ニ就カシメ以テ又五郎ノ犯罪ヲ容易ナラシメタリ云々」ト示シ乍ラ「同夜九時頃徳太郎其塲ニ至リタルヲ以テ又五郎ハ右刀ヲ以テ突然徳太郎ノ背後ヨリ斬付ケ云々」トアリ即チ初更(十時)後歸途ニ就カシメ置キナカラ同夜九時頃之ヲ要撃シタリト謂フニアリテ理由ニ齟齬アル不法ノ判决ナリト云フニ在レトモ◎初更ハ十二支ノ戍ノ時ニシテ凡ソ當時ノ八時ニ當ルヲ以テ原判文中初メニ初更云々ト記シ後ニ同夜九時頃之ヲ要撃シト判示シタレハトテ理由ニ齟齬アリト云フヲ得ス
被告又五郎ノ辯護士的塲平次ノ上告擴張ノ要旨原判决ハ其採證ノ部ニ於テ「右事實ハ被告三名
其他佐藤巳之輔高梨晴治齋藤織江福本淺七三枝信ニ對スル各豫審調書云々ニ徴シ證憑十分ナリトアリテ同人等ハ證人トシテノ引用ナルヤ參考人トシテノ引用ナルヤ原判决ハ明白ナラス
抑本件ハ犯罪中最重大ナル殺人犯ニシテ死刑ノ宣告ヲ受ケ居ルモノナリ此ノ如キ重犯ヲ處斷スルニ原院カ引用スル證據ノ證人タルヤ參考人ナルヤ一目瞭然セサル如キハ刑事訴訟法第二百三條ノ背反ヲ免レス假リニ數歩ヲ讓リ佐藤巳之輔外數名ハ證人トシテノ引用ナリトセハ原判决ハ不法ノ證據ヲ採リテ斷罪ノ用ニ供シタルモノト云ハサルヘカラス抑證人ハ刑事訴訟法第百廿一條ニ從ヒ氏名年齡職業住所ヲ訊問シタル後第百廿三條ニ記載シタルモノナリヤ否ヲ問ヒタル上同條ニ抵觸セサルコトヲ明カニナシ初メテ宣誓セシメ僞證ノ罰ヲ論示シ訊問セサル可ラス然ルニ本件佐藤巳之輔等ノ調書ヲ見ルニ皆同一ニ其初メニ氏名年齡職業住所ヲ問ヒタル後「庄司源七外二名被告事件ニ付證人トナルヘキ資格ヲ聽了シ宣誓セシメタリ」トアリ此簡單ナル文詞ニテハ證人ノ資格アルヤ否ヤヲ聽キタルコトハ事實ナルモ其資格アルヤ否ハ明白ナラス之ヲ明白ニセスシテ宣誓セシメ訊問シタル證人ハ即チ刑事訴訟法第百二十一條ニ背反シタル不法ノ手續ニシテ此不法ノ手續ニ依リ訊問シタル證言ヲ證據トシテ採用シタルハ不法ナリト云フニ在レトモ◎佐藤巳之輔高梨晴治齋藤織江福本淺七三枝信ノ證人ナルヤ將タ參考人ナルヤノ點ハ各自ノ調書ニ徴スレハ明カナルニ依リ原判文ニ證人參考人ト明記セサルモ違法ニアラス又同人等(三枝信ハ除ク)調書ノ冐頭ニ庄司源七外二名被告事件ニ付證人トナルヘキ資格ヲ聽了シ宣誓セシメタリト記載シアルコトハ上告論旨ノ如クニシテ其聽了ノ二字ハ單簡ナリト雖トモ證人タルノ資格ヲ訊問シ其抵觸ナキヲ認メタル上宣誓セシメタルノ意義ナルコトハ認メ得ヘキニ依リ上告論旨ノ如キ違法アルコトナシ
以上ノ理由ナルニ依リ刑事訴訟法第二百八十五條ノ規定ニ則リ本案上告ハ之ヲ棄却ス
明治二十九年五月二十五日大審院第二刑事部公廷ニ於テ檢事應當融立會宣告ス