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文政13年1月上旬・色川三中「家事志」

2025年01月09日 | 色川三中
文政13年1月上旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』をもとに、気になった一部を現代語訳したものです。
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文政13年正月朔(1日)(1830年)
天気晴和、式如例年(例年のとおり式を行う)
#色川三中 #家事志
(コメント)
あけましておめでとうございます。
天気は晴れ渡り、いつもどおりの年始を迎えました。
年が明け、色川三中「家事志」の中では文政13年となり、三中も30歳(数え)。年末年始は体調を崩すことも多いのですが(一昨年は体調を崩していました)、今年はどうなりますか。


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文政13年1月2日(1830年)
三中先生本日は休筆です(明日まで)
#色川三中 #家事志
(コメント)
年が始まって2日目ですが、休筆です。新年早々体調を崩しましたかね。

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文政13年1月3日(1830年)
三中先生本日は休筆です(明日再開)
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日に引き続いての休筆です。昨年末までに町年寄を辞めたり、「ひものや」との件を解決したりといろいろとありました。もともと持病持ちで体が丈夫ではないので、年始を迎えて気が緩んだのでしょう。

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文政13年1月4日(1830年)晴
嘉兵衛は南在(南ルート)へ、茂吉は近在(近場ルート)へ売掛金の回収に出かけた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
例年、正月4日からは三中自らが行商に行くのですが、やはり体調を崩しているようです。売掛金の回収を従業員に行かせています。回収先は医者なので、営業を兼ねて三中自らが顔を出したいところですが、体調がそれを許さないのでしょう。

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文政13年1月5日(1830年)
三中先生本日は休筆です(明後日再開)
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日短い記事を書いたのですが、本日はまた休筆。こういうときはゆっくり体を休めるほかありません。
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文政13年1月6日(1830年)
三中先生本日は休筆です(明日には再開)
#色川三中 #家事志
(コメント)
今日も休筆です。今年記事が書かれたのは1日と4日だけです。三中の体調が回復すると良いのですが。

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文政13年1月7日(1830年) 晴
・弟の金次郎は与兵衛を連れて、西在(西ルート)に売掛金回収に出かけた。嘉兵衛は北在(北ルート)に売掛金回収に行った。
・正月三日から持病のために例年の行商に今年は行けず。病気もようやく快方に向かってはいる。
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中の体調は快方に向かっているものの、本調子からはほど遠く、売掛金の回収は弟と従業員に任せざるをえない状況です。

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〈詳訳〉
・弟の金次郎は与兵衛を連れて、西在(西ルート)に売掛金回収に出かけた。嘉兵衛は北在(北ルート)に売掛金回収に行った。
・正月三日から持病のためにいつもの行商に今年は行けず、例年どおりにできなかった。病気もようやく快方に向かってはいる。様々なことは略す。
・夜になって、高津の茂八の娘「いさ」が来た。茂八という男は、太兵衛の養子となった者だが、昨年中、ことわりもなく家屋敷を売り払った不埒者である。しかし、愚か者に強く言い過ぎると、代々続いてきた家を失うおそれがある(逆ギレされる)。だから言うのは止めた。
←(コメント)高津の茂八は、2年前は餅つきにきてくれて楽しい時を過ごしたのですが(文政10年12月27日条)、昨年に不埒な行為をしたため、三中の評価は厳しくなっています。


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文政13年1月8日(1830年)
三中先生本日は休筆です(明日まで)
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日は相応に長い記事を書いた三中ですが、本日はまた休筆となってしまいました。

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文政13年1月9日(1830年)
三中先生本日は休筆です(明日には再開)
#色川三中 #家事志
(コメント)
今日も休筆です。今年記事が書かれたのは1日、4日、7日だけです。明日からの復活に期待したいです。

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文政13年1月10日(1830年)
・小山大町のこんにゃく屋から、質入れした田地を6両2分で請け戻した。叔父の利兵衛に対応を依頼した。
・元締めの土浦藩士大久保一郎兵衛様と藤井縫右衛門様にご挨拶をした。
#色川三中 #家事志
(コメント)
こんにゃく屋さんからの借金を完済し、質地請戻しをしています。年始から弟らに売掛金回収に動いてもらった成果でしょう。こんにゃくやからは、昨年の行商中にお金を借りていたようです(文政12年1月19日条)。

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