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月の最終日は全員集合・嘉永7年3月下旬・大原幽学刑事裁判

2024年04月08日 | 大原幽学の刑事裁判
月の最終日は全員集合・嘉永7年3月下旬・大原幽学刑事裁判

大原幽学の弟子五郎兵衛が記した大原幽学刑事裁判の記録「五郎兵衛日記」の現代語訳(部分)。
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嘉永7年3月21日(1854年)
#五郎兵衛の日記
幽学先生は、湯島切通しのかつはやへ、御出になられた。昼過ぎにお帰りになり、風呂に入られた。伊兵衛父が借家に来た。幽学先生は伊兵衛父から漁業の相談等をされた。その後、両国の方に外出された。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛日記は、大原幽学だけにスポットを当てておらず、道友たちの行動を日々記録していることが多いのですが、今日の日記は、珍しく幽学先生に焦点が当てられています。
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嘉永7年3月22日(1854年)
#五郎兵衛の日記
高松力蔵様が昼前に借家に来られ、夕方にはお帰りになられた。幡谷老人は帰村の手続きのため、御役所に行った。
小生は菜の漬直し。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
大原幽学は刑事裁判の被告人なのですが、彼を取り巻く人々は、幽学を信頼しており、人生の様々なことを相談しています。五郎兵衛日記に記されている幽学の言葉を読んでも、ピンと来る発言をしているようには見えないのですが、周囲の人々を納得させるような人柄だったのでしょう。

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嘉永7年3月23日(1854年)
#五郎兵衛の日記
節五郎殿は、幡谷老人の手続き関係で蓮屋(公事宿)へ行き、五ツ時には戻ってきた。幽学先生は少々ご不快で御休みになられていた。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
「幡谷老人」というのは、「幡谷」(現成田市幡谷)に住んでいる老人という意味です。
嘉永6年2月25日条では、「幡谷村の古老半十郎」とありますので、この古老のことを指しているのでしょう。日記を書いているうちに、正規の名前ではなく、略したりあだ名を記載するというのは、それだけ近しい間柄となったからでしょう。
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嘉永7年3月24日(1854年)
#五郎兵衛の日記
幽学先生は買物に外出され、腰物三本を買って昼過ぎに戻られた。幡谷老人、伊兵衛父が借家に来られ、日暮れまで語り合った。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
幽学先生は今日は、刀剣を売る転売ヤーの仕事の仕入れ。今日は腰物三本を買ってきました。幡谷老人、伊兵衛父、いずれも高齢者ですが、幽学を囲み、様々な年代の人たちとのコミュニケーションが生まれています。
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嘉永7年3月25日(1854年)
#五郎兵衛の日記
小生、早朝に小石川の高松家に行き、鎖のことを聞いてきた。書物や着物等のことも幽学先生から頼まれていたので、高松家から持ち帰った。
幡谷老人の帰村のため、節五郎殿が蓮屋(公事宿)の手代に手続きを頼みに行った。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
幽学先生は刀剣を売る転売ヤーの仕事をしており、最近は本所や芝あたりで鎖を探しています(3月9日条)等。今日は、五郎兵衛を使いとして、高松家に鎖のことを聞きに行かせています。
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嘉永7年3月26日(1854年)
#五郎兵衛の日記
幽学先生は買物に行かれ、腰物一本買って帰ってこられた。良祐殿来て、晩には帰った。小生は石川様屋敷の平山佐平様方まで白米を取りに行った。途中で雨が降り難渋した。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
大原幽学先生は今日も腰者(刀)の仕入れです。3月24日には3本、今日も1本購入しています。この資金はどこから出ているのでしょうか…。五郎兵衛は白米を取りに行きましたが、途中から雨に降られて困っています…。
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嘉永7年3月27日(1854年)
#五郎兵衛の日記
良祐殿と長左衛門殿が来て、碁を打っていた。小生は丁子屋へたばこを買いに行った。昼前に時雨となり、大雷鳴と共に氷降る。大雨となったが、昼過ぎから天気となる。良祐殿らは夕方には帰られた。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
碁を打つという記事も久しぶりです。借家住まいの者が多かったときは、暇つぶしに碁を打つことが多かったのですが、良祐を初め住込みの仕事となってしまったので、それもなくなってしまいました。皆、忙しく仕事をしていますが、五郎兵衛は相変わらず仕事見つからず。それでもマイペースなのが五郎兵衛の良いところ。

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嘉永7年3月28日(1854年)
#五郎兵衛の日記
小生は、節五郎殿と日本橋へ鯛を買いに行った。幽学先生は買物に行かれ、昼過ぎにお帰りになられた。小見川の茂兵衛殿が来て、借家に泊られた。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
・日本橋に高級魚を買いにいっています。非常に珍しいことですが、鯛が何のためだったかは記載がありません。
・小見川の茂兵衛は、昨年2月の日記にも江戸に来たことが記載されています(嘉永6年2月21日条)。大原幽学の門人で時々小見川(現香取市小見川)と江戸を往復しているのでしょう。
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嘉永7年3月29日(1854年)
#五郎兵衛の日記
今日で3月も終わり。道友一同決算のために借家に集まる。
昼過ぎには高松彦七郎様が御出でになったが、その後御帰りに。夕方には高松力蔵様が御出でになり、お泊り。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
嘉永7年3月は小の月で、今日29日が3月末日です。末日で締めて帳面を作成するのは、経費削減策の一環であり、資金稼ぎの為に住込みで仕事をしている者もこの日は集まって決算作業をします。五郎兵衛は帳面の作成が苦手で、昨年12月には帳面の作成に悪戦苦闘していました(嘉永6年12月3日条)。
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嘉永7年に3月30日は存在しませんので(嘉永7年3月は小の月)、 #五郎兵衛の日記 はお休みです。
#大原幽学刑事裁判 
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嘉永7年に3月31日は存在しませんので(旧暦には31日は存在しません)、 #五郎兵衛の日記 はお休みです。
#大原幽学刑事裁判
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