シベリウス:交響曲第5番/第3番
指揮:クルト・ザンデルリング
管弦楽:ベルリン交響楽団
録音:1970年12月12日、東ベルリン・イエス・キリスト教会
発売:1979年5月
LP:日本コロムビア OW‐7779‐K
このLPレコードは、ドイツがまだ東西に隔てられていた時代の中で生まれた録音だ。指揮のクルト・ザンデルリング(1912年―2011年)は東プロイセン(現在のポーランド)出身。ナチスに追われ、1935年ソビエト連邦に亡命し、1937年モスクワでモーツァルトのオペラ「後宮からの誘拐」を指揮してデビュー。1941年レニングラート・フィルハーモニー交響楽団の第一指揮者に就任し、エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903年―1988年)の下でさらに研鑚を積む。この間、ショスタコーヴィチと知り合い、親交を結んだという。1958年レニングラート・フィルの来日公演では指揮者の一人として日本を訪れている。ベルリン市立歌劇場の指揮者を経て、モスクワ放送交響楽団、さらにはムラヴィンスキーを助け、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務める。その功績が称えられソヴィエト連邦功労芸術家の地位を贈られた。1960年東ドイツ政府に請われて帰国し、ベルリン交響楽団の芸術監督・首席指揮者に就任した。1964年~1967年シュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者も兼務。さらに1976年から4回、読売日本交響楽団を客演指揮し、その結果読売日本交響楽団の名誉指揮者に任じられている。2002年に高齢を理由に指揮活動からの引退した。シベリウス:交響曲第3番は、1907年に完成。その頃、都会暮らしをしていたシベリウスは、交響曲第2番の成功を受けたこともあり、人々との付き合いに疲れ果てていたようだ。これを見たアイノ夫人らは田舎暮らしを勧め、トゥースラ湖を持つヤルヴェンパーという静かな街に移り、ここで終の棲家となるアイノラ荘を建て住み始めた。アイノラというのは、夫人の名前を取って付けたもので、「アイノの棲むところ」といった意味合いを持つ。シベリウスはこの静寂な森の中で一人交響曲第3番を作曲した。このため交響曲第3番は全体に内省的で、暗く、悲しく、寂しい感情に覆われている。交響曲第1番、第2番を聴いてきた聴衆にとっては、その落差に驚かされたはずである。一方、シベリウス50歳の誕生を記念して1915年に書かれた交響曲第5番は、骨太で、英雄的で、しかも華麗に仕上がっており、シベリウスを代表する作品の一つに挙げられている。これら2曲の交響曲で、クルト・ザンデルリングの指揮は、緻密で、滋味豊かで、しかもダイナミックな効果を存分に発揮しており、当時の旧東ドイツの演奏レベルの高さを充分に聴き取ることができる。(LPC)