旅してマドモアゼル

Heart of Yogaを人生のコンパスに
ときどき旅、いつでも変わらぬジャニーズ愛

第15回  砂 ~ Sand ~

2009-05-10 | 円熟途上エッセイ「桃色の独り言」
人生なんて砂の城のようなものかもしれないわね
つくってもつくっても いつの間にか波がさらってしまう
いつも同じことのくりかえし…
誰もが…そうして年をとっていくのかしら


「有閑倶楽部」の原作者としても有名な一条ゆかりの名作「砂の城」を、友人から借りて読んだのはたぶん高校生の頃だと思う。
多感な少女時代、原作の最初の方で描かれる富豪の令嬢ナタリーと捨て子フランシスの純愛を引き裂く悲劇に涙した私だったが、その後の、こちらが本編といっていい、フランシスの遺児であるフランシス(マルコからナタリーが改名)とナタリーとの年の差16歳のラブストーリーは、子供のようなフランシスに恋するナタリーの気持ちが自分の中でいまいち共感できないまま、読み終えた記憶がある。ストーリーとしては面白かったけど。
それに、私の好みは素直で正義感の強い金髪のフランシスより、黒髪でシニカルな視線を持つ不良のフェランだった。(今見ると、フェランってマツジュンのイメージがある。やっぱり好きだ)フランシスとナタリーの場面より、全寮制のヴァン・ロゼ校でのフランシスとフェランの場面の方が好きだったし、コヤシゲに萌える「腐」の片鱗はこの頃からあったのだろう。

話を戻そう。その後、30歳を過ぎてから、文庫シリーズとして発刊されていた「砂の城」を見かけて、思わず手にしていた。
共感できないとは言いつつ、記憶に残る作品ではあったのだ。ナタリーがフランシスと砂の城をつくりながら海辺でつぶやく冒頭の言葉が記憶の底からよみがえっていた。その意味するところの深さを知らずにそれは強烈な記憶として焼きついていた。
La vie est un éternel château de sable sans cesse battu par les flots
表紙のフランス語訳を見ながら、かつては理解できなかったナタリーの気持ちが今ならわかる、そんな気がした。

文庫にして4冊。もちろん大人買いした。気づいたら4巻ぜんぶ読み終えていた。

愛したフランシスに良く似た彼の子供のフランシス。小さなフランシスが成長するに従って、自分が愛しているのは、かつて愛し合ったフランシスなのか、それとも自分にひたすら熱い視線を投げかけ、気持ちをぶつけてくる若いフランシスなのか、苦悩するナタリー。
ナタリーが大人の分別でもって自分の気持ちを押さえ込もうとするその心情に胸が締め付けられた。若いフランシスを愛しながら、一切その気がないように冷静に振舞う姿にも、なついてくるフランシスに冷たく突き放したような態度をとることにも共感した。
フランシスと距離を置こうとアメリカへと一人旅立ち、新たな生活を始めるナタリーに自立する女性のプライドと勇気を感じながら、その裏に隠された意地があまりに切なくて泣けてきた。
二人が結ばれた後でも、フランシスに近づく若い女性の存在に、自分とフランシスの間にある埋めようもない年の差を痛感し、フランシスの行動に不安と恐れを感じるナタリーの気持ちがヤバイほどに分かった。
ただ平穏な幸せを求めているだけなのに、ナタリーの心はたびたび不安に襲われ孤独の中におかれてしまう。

「波が届かないところでつくればいいのに」
波が打ち寄せる海辺で、苦心しながら砂の城を作っているフランシスに手を貸しながらナタリーが言う。
「だめなんだよ。砂が乾いてるからつくれないんだもの」
フランシスの答えにナタリーは寂しげな表情を浮かべる。
「皮肉なものね。安全なところではつくれなくって、つくれる所では波がさらってこわすなんて。まるで…人生をつくってるみたいね」


安定した生活、心穏やかな人生。
それはおそらくほとんどの人が望む生き方だろう。でも、そんな人生を送れる人はほんの一握りに過ぎない。
誰もが、学校や社会といった自分とは異なる他者が存在する世界で生きていて、他者とのぶつかり合いの中で思いもかけず傷ついたり、憂鬱になったり、悲しんだり、苦しんだり、絶望したりする。もちろん、他者と関わりあうことで楽しいこと、嬉しいことだってあるけれど、それだけの人生は存在しない。
そして、どれほどの喜怒哀楽が自分の中であろうとも、気づけば毎日が代わり映えのない連続のように感じるのもまた人生だったりする。

他者との関わり合いのなかでは、恋愛ほど不安定なものはない。現在なんて、大恋愛の末に結ばれて夫婦となったはずなのに、熟年になってリカツに励む女性が出てくるような世の中だ。コツコツ築いてきたはずの「家庭」という安息の場が、実は知らぬうちに波にさらわれ続けて崩れていた砂の城だった…

まあ、そんな夢のないオチはさておき、恋愛に終着点はない。結婚というのは一つの通過点であって二人が共に歩んでいく人生はさらに続く。だから、人生にも終着点はない。人が生き続ける限り、時間は止まることなく容赦なく流れていく。波が大なり小なりつねに終わることなく寄せては返すように。自分ひとりが一つの所に留まり続けることは不可能。波が打ち寄せる砂浜に立っていると、波にさらわれて足元の砂が動くのが感じられる。立っていた場所が自分の意思とは関係なく少しずつ移動する。それと同じことだ。

つくってもつくっても完成しない砂の城。
でも、それでも砂の城をつくろうとするのはなぜだろう。生きていくのはなぜだろう。
その答えを私は、とある名作の中に見つけました。


―砂漠は美しいね。
と、王子は続けて言いました…
―砂漠が美しいのはね、どこかに井戸が隠れているからなんだ…
と、王子は言いました。
私は突然、砂がどうしてこんなに不思議な輝きをしているのかに思い当たって、驚きました。…



ねえ、私たちは、どこかに隠れている自分だけの輝きを探すために生きているのかな。



<引用出典>
「砂の城」一条ゆかり 集英社文庫
「星の王子さま」サン=テグジュペリ ちくま文庫