旅してマドモアゼル

Heart of Yogaを人生のコンパスに
ときどき旅、いつでも変わらぬジャニーズ愛

めざましTVの占いは5位だったけど…5位って微妙じゃね?

2009-02-19 | お手軽ケータイ日記
昨日は更新するのを忘れてました










っても、毎日更新続けてるわけじゃないからいいんだけど


















ちょっと最近の山pのを真似て改行多くしてみた(笑)















さてさて


今日はついに延ばし延ばしにしてきたあの日です






親知らずを抜く日です



右上下















どうか顔が腫れたりしませんように

NEWSクンたち

2009-02-17 | お手軽ケータイ日記
ヒアシンスはどうなったの?

というコメントをいただきまして…
そういや満開になったらをアップしまーすと言ってたな、自分
すっかり忘れてたなぁ

てなわけで、ヒアシンスのNEWSクンたちですけども

は最近撮ったのじゃなくて、2月1日に撮ったものです


なんか


みんなちゃんと真っ直ぐ成長してくれればいーのに、自由すぎてバラバラ

なので絵的にイマイチで載せようか迷ってました



えーと


真ん中が『しげ』
一番成長が遅かった
今は同じ青紫の『ヤマピー』と一緒に、他のコたちよりたくましく咲いてます

手前の濃いピンクは左側が『テゴ』、右側が『マッスー』

『テゴ』はね一番自由だった
みんなと違う方向に向かって勝手に成長してたし
窮屈なのは分かるけど、鉢の外側に向かうなコラ


「手越はさぁ(けーちゃんの舞台に)行くよとか言いながら結局来ないんだよな」(by小山慶一郎)


自由にも程ってもんがあります、手越さん


奥の淡いピンクは『亮ちゃん』と『けーちゃん』

一番ヒアシンスらしく、素直に咲いてたな
今は『亮ちゃん』がさっさと咲き終わりまして…植え替え時期を待ってます

もうちょっとみんなを待っててね



てな感じで
『NEWSクン』たちは今日も元気に咲いてます

春はまた遠くになりにけり

2009-02-16 | お手軽ケータイ日記
今日の鮮やかな夕日


あまりに鮮やか過ぎてハレーション起こしてるけど




まあそんなことより



めっちゃ寒いーっ

テンション一気に

週末の春の陽気だったのにぃ


次の週末またあったかくなんないかなー

春モードのファッションでけーちゃんに会いたいんだもーん





そのまえに…

木曜日に親知らず2本抜くんだった…

おーまいがっ

Endless SHOCK

2009-02-15 | 観たものレビュー
レビューの順番が逆になってしまいましたけども。
感動の記憶が薄れないうちに!と「パイパー」の方を先に書いてしまいました。
別にSHOCKの方が感動が薄かったというわけじゃないんだけどね
「パイパー」より感想をストレートに書きやすいので後回しにしちゃいました。


昨年、菊田一夫演劇大賞を受賞した「Endless SHOCK」は、おそらく演劇の世界で「古典」になりつつある。そう感じたのが今回の舞台だった。
今後も主演「堂本光一」は当分変わることはないだろうが、遠くない将来、光一以下オリジナルキャストが変わったとしても、「Endless SHOCK」はその輝きを失わずに上演され続ける芝居になるだろうと思った。
それを強く感じさせたのは、今回、劇場支配人役に植草さんを持ってきたことにある。

今まで、光一たちと同じ世代の若い劇場支配人(親から引き継いだという設定)だったのが、劇団メンバーと異なる上の世代の支配人となったことで、芝居にリアリティと一層の安定感が増した。さらに、光一に恋心を抱くリカの父親という設定は、今までの芝居にはなかった「親」という新たな視点によって、ストーリー展開にドラマティックな深みを加えた。

「Show must go on」を貫くコウイチの姿勢も、それに賛同したり戸惑ったりする劇団員たちの姿も従来と変わらない。だが、彼らと同じ不安定な存在であった支配人が、ショービズの酸いも甘いも噛み分けた中年の男性になったことは、思っていた以上に大きな変化だった。
この舞台の見せ場でもあるショッキングな事故で幕を閉じる1幕のラスト。
そこで受けた衝撃は、2幕以降も客席を巻き込んでしまうほどの不安定さの中で、いつまでも消えることがない。もちろん、それが「Endless SHOCK」の持つ独特の味わいではあった。
しかし、シェイクスピアの名戯曲をみて分かるように、不安定要素を抱える若者たちを脇から支える大人の存在は欠かせない。

2幕、再び劇場に姿を現したコウイチに無邪気に喜ぶほかの劇団員たち。
コウイチに再び会えたと同時に、死んだはずの彼の登場に激しい動揺を隠せないリカ。
そんなリカに(わかってる、何も言うな)とけん制し、劇団員たちと同じようにコウイチを歓迎する支配人ウエクサ。

今までは、たった一人でコウイチの秘密を胸の内に抱え込んできたリカだが、今回は父親もその秘密を知っていることになっている。
リカの動揺が軽減されたことが、私たち観客にも安堵を及ぼしたことが思いがけない驚きだった。

去年、支配人役が大倉君になったことで、コウイチ、ヤラ、オークラのトライアングルが際立つという思いがけない発見をしたが、今回も新しい発見の連続だった。
去年も言ったかもしれないが、この舞台がまさに「Endless」そのものなのだ。

ああ、来月あたりに観られるものならもう1回観たいなあ。
きっと1か月の間に、またどんどん変貌していっているだろうから。

NODA・MAP「パイパー」

2009-02-14 | 観たものレビュー
昨日、私は渋谷へ「パイパー」を観に行きましたけども

したら、ウチの人は新大久保へけーちゃんの舞台を観にいったらしい

ふーん

すれ違い夫婦やな(違)


だけど、ヤマピーと一緒に観に行く予定立ててたんじゃなかったのかなあ
ピーは別の舞台観に行ってるしね、「ちっちゃな」舞台にね(笑)
てかあそこ、箱もめっちゃちっちゃいよね。
でもイプセンだもんなあ、観に来てた人でピーに気づいた人いるかな?
野間口さんも出てたし、気になる舞台ではあったんだけど…
ジャニーズ漬けになる前の私なら行ってた舞台なんだけどなあ(苦笑


ま、それはさておき「パイパー」です。

野田さんの舞台にはいつも驚かされます。
その言葉遊びの巧みさに、そして時代に寄り添いながらも時代を超越した舞台に。
でも、最近は、セリフの奥に隠されたテーマとかメッセージをやたら気にしながら観るようになっていて、観終えた後、ああ、私は野田さんの芝居を純粋に楽しめなくなってるなあっと感じていました。

もちろん観ている間は、怒涛の展開に夢中になって引き込まれているんだけど、そこに何かしらのメッセージを見出そうとしている自分の存在もなんとなく感じていたんだよね。
だから、一番最初に「キル」を見た時のような純粋な驚きや、「パンドラの鐘」を観た時にザワザワっとした衝撃が背中を駆け巡ったあの感覚は、もう体感出来ないのかなあと思ってました。

「パイパー」のラストシーン、私は思わず涙をこぼしそうになりました。
野田さんの芝居で、こんな鳥肌が立つほどの感情に襲われたのは久しぶりでした。

「絶望」の果てに「希望」がある

時代への皮肉で痛烈なメッセージを含ませた芝居の最後に、私たちに示されたものは、人類へのあたたかい「愛の眼差し」でした、決して諦めたり捨ててはいけない「希望」でした。

舞台は現代から1000年後の火星。
かつて、地球から火星へと人々は希望を抱いて移住してきた。
その人々とともに火星に移住したのが「パイパー」と呼ばれる何か。
人間を「幸せ」にするため、人間とともに常に存在する「パイパー」。
まるで生物のような、否、ロボットのような、不思議な存在。
そして人類の幸せが「パイパー値」という数値で表わされ評価される世界。
そんな「幸せ」を追求したはずの世界が、長い歳月を経て、パイパーが人類を襲う世界へと変貌し、残された人々は窮屈な生活を強いられている。
いったい人類とパイパーの間に何があったのか。

過去と現在が舞台上でめまぐるしく入れ替わり展開しながら、火星に移住した人類とパイパーの歴史が少しずつ明らかにされていくのだけれど、そこに繰り広げられる光景はまるで地球の歴史を見ているかのようでした。
完璧なはずの世界に初めての「殺人」と「誕生」が起こり、人々はいつしか「信仰」に「幸せ」を見出すようになる。しかし、その信仰はやがて極端に歪められ、信仰に背を向ける者と敵対する。
それは人類の幸せを数値化していた「パイパー値」が、誰もが同じ基準でなくなることでもあり、それは「パイパー」そのものをも混乱させてしまう。

人類はこれからも同じ歴史を繰り返すのだろうか。
それは逃れようのない人類の宿命なのだろうか。
そんなことを思いながら、気がついたら、火星で起こった歴史を、その行き着く先がどうなったのか、私も見てみたくてたまらなくなってました。同じように自分が生まれる前、火星で何が起きたのか分からず苦悩する、妹ダイモスのように。
なぜなら、その歴史は、もしかしたら、地球に住む私たちがいつか辿る道なのかもしれないから。
私たちの未来はいったいどうなるのか。

やがて、地球から見捨てられ、食料も尽き、荒れ果てた場所で、人が生きていくために、最後の最後にたどり着いたその結末。
その衝撃に目を耳を覆いたくなりながら、でも、そこに「子に向ける母の愛」を感じることで私たちは救われるのです。

倫理を超越する愛の力。

数日前、くしくも「生と死」についてエッセイを書きましたが、「人は人を殺してよいのか」という問い。
子供を殺された親が「犯人を私が自分の手で殺したい」という発言に、賛同こそすれ嫌悪を感じないのは、親の愛がすべてを超越するからだと、いうのは言い過ぎでしょうか。
ただただ「我が子に生きてほしい」と願う親の思い。
親の願いを引き継いで生きた子供には「夢」と「希望」がある。
ただ、時代や世間が、その夢も希望も毟り取ってしまうことがあるけれど。

いつ帰ってくるとも分からない恋人を待ち続ける姉フォボス
新たな命を授かり新たな世界へと旅立とうとする妹ダイモス

絶望の果てを見た二人に、奇跡のように輝きが戻るラストシーン
そのとき、遥か昔、荒涼の大地に蒔かれた種が永い時を経て大輪の花をも咲かす

たとえそれがよくできた芝居の筋書きだからだとわかっていても、現実世界も同じなのだと思いたい。
絶望の果てにあるのはさらなる絶望なんかではなく、そこから再生し甦るための夢と希望なのだと。
そして、私たち人間がそれぞれに抱く夢や希望は、数値で測れるものではない。
夢や希望に共通の基準なんてない。それは自分だけのものだから。

そう、私たちに「パイパー」は不要なのだ。


やっちゃった

2009-02-13 | お手軽ケータイ日記
ただいまシアターコクーンに来ています


今日はNODA・MAP『パイパー』を観にきました


今朝の芸能ニュースにはちょっとびっくりしましたが…
りえちゃんのお腹を気にすることなく楽しみたいかと!




けども…

コンタクトを忘れてきてしまいました…

プチショック

顔はハッキリ見えないだろうと思うので、まあ芝居を見るのに支障はないのでガマンします

気分は上々、理由は言えないけど

2009-02-12 | お手軽ケータイ日記
友人に、最近の私は


新婚のだんな様が、長期出張に行ってしまった若妻


のようだと言われた管理人ですけども



若妻だってぇ……ムキャ


「ちょっとあんた、若妻って年じゃないでしょ」と言ういかにも正しい意見はあえてスルーするぜ





えーと



まだ言えません



でも今回はとっても心強いのです



ご協力いただける方、同行をお探しの方、まだ募っております



なんのことだかピンときた方、ご連絡お待ちしております

第13回  問 ~ Question ~

2009-02-11 | 円熟途上エッセイ「桃色の独り言」
今回はエッセイというよりは、シゲへの「手紙」になるかもしれない。
「問-Question」というテーマで、彼が自問自答したその内容は、私たち読者への「問いかけ」でもあると思ったから。

彼の「問い」はこういうものだった。

どうして人を殺してはいけないのか。
自分を殺すことはいいのか。
どうして人は生きるのだろうか。
生きていることの意味は?
自分が生まれてきた意味は?

生と死をあえてテーマの内容に持ってきた彼の真意は知るよしもないが、ただ、近頃の不条理がまかり通る世の中で、どうでもいい理由で人が安易に殺されたり、不景気社会の非情さに生きる希望を失ったり、抜け道の見えない未来を思い、この時代に生まれたことを恨んだり、その恨みの矛先が筋違いの方へ向けられて陰惨な事件を引き起こしたり、そんな陰鬱になるような話題ばかりが横行する毎日に、センシティブな感性を持つ彼には何か思うところがあったのかもしれない。

なぜ人を殺してはいけないのか。
その問いに彼が出した答えは「ならば、君は殺されたいのか?」。
「自分を守るために、他人を殺してはいけないという法律があるのだ。それ以外に理由なんかない。」
法律を勉強している彼らしい答えだと思った。
もちろん、私も誰かに殺されたいなどとは思わない。私の大切な人生が、他人の手によって勝手に絶たれるなんて考えたくもない。つまり、人を殺すということは、その人のその後の人生を他人である自分が終わらせるということだ。そんな重いツケを背負って、その後の人生を生きていくなど考えられない。だから私は他人を殺したいとは思わない。

普通、人は「人を殺してはいけない理由」を人としての倫理や感情でもって答える。ただ、その答えは、道徳や倫理、人としての当たり前の感情を理解できない人にはわかりにくい答えだ。
「ならば君は殺されたいのか?」 殺人罪を犯した人にこう問いかけたら、いったいなんと答えるのだろう。
「自分は殺されてもいいから誰かを殺す」そんな風に言う人は「まず矛先を自分に向けるべき」だと彼は言う。そして、「ならば自分を殺すことはいいのか」と彼は問いかける。

自分で自分の命を絶つ。「自殺」という言葉でくくられるこれもまた一つの殺人行為だが、他者を殺す行為と異なる点は、そこに至るまでの感情に「怒」や「憤」や「恨」がないことだ。日本人には理解しがたい「自爆テロ」のような行為は別として。
「僕は、何度か死にたいと思ったことがある」と彼は書いているが、私もまた「死にたい」と思ったことが過去にある。それでも、彼と同様、実際に死のうとして何かをしたことはない。それは、たとえ今辛くても、この辛さが一生涯にわたって続くものだとは思えなかったからだ。降り止まない雨がないのと同じように、どこまでも辛い人生というのがあるとは思えない。必ずどこかに「救い」はあると私は思ったのだ。それは、他者からの物理的、精神的な救いかもしれない。あるいは環境の変化かもしれない。だけど、一番の救いはきっと、自分の心の中にあるのだ。

「僕はこう感じたんだ。死ぬほど辛いことを経験したなら、1度死んだことになるのではないかと。何もかも投げ出したいなら、何度だって生まれ変わればいいんだ。そう思えたとき、僕は少しだけ生きることが気持ちよくなった。」

私の考え方とは若干異なるし、実際には人は何度も生まれ変われるわけじゃないが、考え方・発想の転換として、彼の言葉に共感できることはとても多い。
また、彼は森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』という曲を引き合いに出し、その歌詞から、生きること、死ぬことについてこう語っている。
「死は、遅かれ早かれいつか絶対にやってくる。わざわざ自ら向こう側に行く必要なんかない。」
だから、それまでの間、自分の人生を全うすればいいのだ、と。

人は死んでしまったら、それで終わりだ。だけど、もしかしたら、明日、思いがけない幸運が転がり込んでくるかもしれない。いや、明日でなくても、それがたとえ数年後のことかもしれなくても。自分の人生を80年と考えた場合、その先に待っている幸せな時にたどり着くことを途中で諦めてしまうのはもったいない。
何かで読んだのだが、毎日どんなことでもいい。1日を終えたらその日を振り返って、道端に可愛い花を見つけた、風が気持ちよかった、そんな些細なことでもいい、何かよかったことを1つ見つけて、日記でも手帳でも何かに書きとめるといいらしい。そうすると、意外なことに、何もないと思っていた自分の周りに楽しいこと、幸せなことが転がっていることを発見できるらしい。

でも、私はそうすることを誰にでも勧めているわけではない。そこに生きるための意味を見つけてほしいわけではない。

どうして人は生きるのだろうか。
生きていることの意味は?
自分が生まれてきた意味は?

その自ら投げかけた問いに、彼は意味などないと言いきっている。意味を探そうとするから苦しいのだと。
それは彼の出した結論であって、私はそれを否定もしないし、反対にその意味を探そうとする人についても否定しない。彼が考えて考えて出した答えは彼のものだから。それを否定する権利など私にも誰にもない。
でも、もし「生きる」ことに意味を持たせるのだとしたら、それは一つしかないと私は思う。

「この世に生まれてきたから」

生まれてきたのは自分の意思ではない、でも、この世に生まれてきたからには、いつかその命が自然に消えていくまで、生き続けていくしかない。そして「死ぬとき」までをどう生きるかというのは、人生の目標や目的であって、生きるという意味とはまた別の次元の話だと思う。
だが、子孫を残すために生きるだけの動植物と違って、私たち人間はそれぞれ異なった、色々な生き方ができる唯一の生物だ。
スタンダールの墓標にある「生きた、書いた、愛した」ではないが、「生きた」以外の言葉で、自分の人生を表現できる生き方をしていきたいと心から思う。


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引用出典 : 集英社刊「Myojo」2009年3月号 66頁「加藤成亮の発展途上エッセイ『青い独り言』」

どこ?

2009-02-09 | お手軽ケータイ日記
我が部署の、というより社内で知らない人はいない、『有名人』Aさん

私的には『ちょっと珍しい生き物』で『ちょっと変わったペット』みたいな存在なんだけど

毎日、何かしらやってくれるので、ある意味『目が離せない人(ってか生き物)』


んで、写真は、予定表に本人が書いていった午前中のAさんの行き先



…………。



「岩」のあとは象形文字?

ニュアンスで書いちゃった?


ただこれを「岩淵」だと分かってあげられる私たちもすごいよね

新生です

2009-02-08 | ジャニーズ雑記
観てきました『Endless SHOCK』


一言で言うと、新生SHOCKですね


ストーリーそのものに変化はないのだけど、去年たっちょんが演じた劇場支配人役がカッチャンに替わったことが、想像以上の変化を生んでました

私の予想を超えたカッチャンの存在感が、既知のストーリーに奥行きを与えてました


大満足


では、レビューは後日あらためて