さて、次は松平忠輝について。
『関ヶ原群雄伝』との最大の違いは、忠輝の存在と言えます。
歴群では関ヶ原の合戦後~大阪の陣を描いた作品は多々あったと思いますが、
忠輝の出番はというと、そんなにはないかな・・・とは。
担当氏にも「新鮮で良い」と言われたかな?
はい、白状します!
実はこの忠輝、作者の「勘違い」がまず生み出しました。
二条城会見の時に人質役で、大坂城に入っていたと完全に思い込んでました。
12歳の時に秀忠の名代で大坂城に来たのを、間違えて覚えていたな・・・
「大坂城にいるんだから、このまま豊臣方にしてしまえ!」的なプロット作ってから、
人質は義直、頼宣だと気がつきました。
忠輝が代わりに立候補(w して、大坂城に入っているのが、ちょっと強引ですね。
で・・・忠輝といえば、避けては通れないのは父・徳川家康との関係。
家康に出生時から嫌われた、その後も冷遇されていた・・・
史実では大坂夏の陣後に改易、臨終の席にも呼ばれなかったと言います。
・・・何故、そこまで嫌われ、改易されたのか?
これは結構、諸説が入り混じっています。
容貌が見にくかったから(あ、すみません。この容姿、本作中はざっくり無視でしたw)
大坂夏の陣がらみ・・・
そして、義父・伊達政宗との関係・・・
作中の理由は忠輝の「資質」から来るものだとしています。
実際のところ、母親(茶阿局)は石田三成系の人間とも見られるので、
そのあたりも関係しているのかな・・・と思ったりもしています。
本作では秀頼と共に、忠輝の成長でもありました。
秀頼の成長は作者の意図したところですが、忠輝に関しては「勝手に成長してくれた」という面が強く(w
父家康に愛されず、それ故に反乱し、それを乗り越えて秀頼と共に歩み出す・・・と。
当初から漠然とこのイメージはあったものの、書く内に固まってきたような感じがします。
それなので、1巻の冒頭を読むと、ちょっとキャラに違和感あったりしますが(w
それと、2巻の235ページの「金扇」の大馬印を仰ぎ見る忠輝(と幸村)!!
これ、作者のイメージそのものです。三好先生、ありがとうございます。
ひとつ、忠輝で悔いが残るとしたら、、、
幼い頃の家康との初体面シーンを、描写する隙間がなかったことですね。
作中、結城秀康が無理やり合わせたことになっているのですが。
いっそ、このブログで書こうかな(w