風の噂でうちの従兄弟殿が
「楠で砦をつくったらしい」
と、聞きまして。
どこに?八田城に??
とか思いつつ、、、
福岡教育大学 千本木直行 http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~bijutsu/room-mokutyo.html
肩書きが最近
「木彫家」になっているらしく。
前は鉄で作品作ってなかったっけ?
まあ、、、あれ運ぶの重い!!ので木の方が軽くていいかw
はい!「歴史作家」として作品を論評しても良い!!
そう、地元サイドの許可をいただきましたので、
あくまで歴史屋として、語りたいと思います。
「天秤」と「SEED」は置いておくとしてw
余談ですが、「SEED」と聞いて、
最初に考えたのが「ガンダムSEED」で、
次が悪魔の実。。。
・・・歴史作家視点に戻りますかw
「砦」という言葉は古そうなのですが、
所見は『太閤記』(1625)なので江戸時代ですね。
で、、、これは石垣を再現しているんでしょうか?
畿内最古の石垣は、北畠の居城・霧山城(多気御所)とも言われていますが、
これは、徳川時代の二条城の石垣っぽいですね。
戦国末期~江戸の積み方のよう。
しかし、石垣ではない!わざわざ「樟」で作成しているのだから、
何か理由があるに違いない!!
1336年(建武3年)1月27日の京都合戦で、
楠木正成は
「新型の盾」を考案しています。
それは歩兵に持たせるもので、側面に金具を取り付けて、
盾と盾を連結させ、、、
足利の騎馬を防ぎ止めたといいます(『太平記』巻15)
そう、それはまさに戦場の真ん中に、
突如として、城壁が現れたように見えたでしょう。
つまり、砦!!
(苦しい・・・とかの突っ込みはなしの方向で!)
作品の厚みが『太平記』の記述とやや違いますが、
それはそれとして。
如何ですか?従兄弟殿!!
・・・そういえば、15年くらい前に食わせてくれると言った、
フランス料理を食わせて貰ってないなぁww
そして、これが我が一族の魂の宿る大樟。
智本光隆