歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

樟の砦!!

2014-08-01 01:32:35 | 日記
風の噂でうちの従兄弟殿が「楠で砦をつくったらしい」
と、聞きまして。
どこに?八田城に??
とか思いつつ、、、


福岡教育大学 千本木直行 http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~bijutsu/room-mokutyo.html


肩書きが最近「木彫家」になっているらしく。
前は鉄で作品作ってなかったっけ?
まあ、、、あれ運ぶの重い!!ので木の方が軽くていいかw


はい!「歴史作家」として作品を論評しても良い!!
そう、地元サイドの許可をいただきましたので、
あくまで歴史屋として、語りたいと思います。


「天秤」と「SEED」は置いておくとしてw
余談ですが、「SEED」と聞いて、
最初に考えたのが「ガンダムSEED」で、
次が悪魔の実。。。
・・・歴史作家視点に戻りますかw


「砦」という言葉は古そうなのですが、
所見は『太閤記』(1625)なので江戸時代ですね。
で、、、これは石垣を再現しているんでしょうか?
畿内最古の石垣は、北畠の居城・霧山城(多気御所)とも言われていますが、
これは、徳川時代の二条城の石垣っぽいですね。
戦国末期~江戸の積み方のよう。


しかし、石垣ではない!わざわざ「樟」で作成しているのだから、
何か理由があるに違いない!!


1336年(建武3年)1月27日の京都合戦で、
楠木正成は「新型の盾」を考案しています。
それは歩兵に持たせるもので、側面に金具を取り付けて、
盾と盾を連結させ、、、
足利の騎馬を防ぎ止めたといいます(『太平記』巻15)


そう、それはまさに戦場の真ん中に、
突如として、城壁が現れたように見えたでしょう。
つまり、砦!!
(苦しい・・・とかの突っ込みはなしの方向で!)
作品の厚みが『太平記』の記述とやや違いますが、
それはそれとして。
如何ですか?従兄弟殿!!


・・・そういえば、15年くらい前に食わせてくれると言った、
フランス料理を食わせて貰ってないなぁww



そして、これが我が一族の魂の宿る大樟。



智本光隆