歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

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本能寺将星録紀行9―天王山 天下への道―

2011-02-11 08:08:01 | 本能寺将星録
朝起きたら、関東は今日も雪ですが・・・
さて、第9回は天王山の後編でございます。
結構つらい山道を経て、山頂付近へ。



「山崎合戦之地」石碑。


天正10年6月13日、西上した羽柴秀吉軍と明智光秀軍が激突。
この日まで光秀に味方する有力武将はなく、逆に羽柴方は3万余の大軍と伝わっています。



羽柴方が軍旗を掲げた「旗揚げの松」


山崎は狭隘の地ですが、それが機能するのは北西の天王山を制圧した話。
開戦前、羽柴方はこの山を占拠して、軍旗を松に掲げたと伝わります。
その時点で既に明智光秀の命運を決したとも言えましょか。

作中、天王山を占拠した細川忠興がこの松に「錦の御旗」を掲げています。
ちなみに細川頼有に下賜されたあの旗、作中の説明通りのものであり、
現在も現存しています。




山中には「秀吉の道」として絵巻物が。




かくして、明智光秀は小栗栖の露と消え、




秀吉は天下へ綺羅を飾ります。

そして、16年。秀吉の死によって天下は再び乱れ、
以後のお話は『関ヶ原群雄伝』をご覧下さい。

宣伝はこの位に、山頂へ。


 



天王山頂。宝積寺から40分程度。


山頂まで登るとほぼ視界が利きません。
作中、忠興の本陣は「旗揚げの松」の辺りと言うことに。

そして下山。


 

山頂少し下にあるのが、「十七烈士の墓」
禁門の変における、眞木和泉以下、長州藩士の墓です。
一応、こちらも参拝を。

この「本能寺将星録紀行」、次が多分最終回に。
次回作の準備を進めている時期ですが、ブログの方ではもう少し将星録がらみの話を引っ張ります。
多分、新企画っぽい何かが。



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