本日5月28日・・・
本能寺将星録秘話も3人目に突入。
今回は忠興の義父で珠子の父、明智日向守光秀。
さて、本作は元々が「本能寺の変の明智側」ということでスタートしております。
従いまして、本来であるならば「光秀を勝たせる!」という物語であるはずのような気がします。
実際、当初構想の中には忠興を「源氏の武者」の立場に立たせて、
光秀と共に戦わせるというものありました。
作中にも多少、そんな空気残っているかも知れませんが・・・
執筆を進めるにつれ、忠興が勝手にどんどん信長サイドに行ってしまった結果(w
『本能寺将星録』は「明智物」というより「本能寺物」になりました。
結末は読者のみなさまには御存知の通り・・・
明智光秀は史実そのまま、次の時代の主役になることはありませんでした。
本作の舞台は言わずと知れた本能寺の変。
ここの所、テレビの歴史バラエティーなんかでも本能寺の変を取り上げるの目立つ気がします。
今年のNHK大河ドラマ「江」でも2年前の「天地人」でも取り上げられましたね、本能寺の変。
その主役は御存知、明智光秀。
では、その光秀は何が理由で本能寺に信長を討ったのか?
それは今日に至るまではっきりと示されてはいません。
世上、言われているものとしても信長に対する怨恨、武田征伐で辱めを受けた、家康接待の不手際、
西国への左遷、精神を病んでいた、天下への野望があった・・・・・多分、もっとあったかと思います。
『信長公記』『太閤記』など当時の史料は暗に怨恨を匂わせているようですが、
本能寺の変当時生存し、江戸時代も存続した家々の者達の多くが、この事変に対して語ることをしてはいません。
それは徳川幕府始め、細川家も含めて。
本作では羽柴秀吉、高山右近サイドの動きは全く別にすれば、「朝廷黒幕説」を採りました。
作中、近衛前久、吉田兼見らの作成した「密勅」が明智光秀に下されています。
光秀は朝家の命があったからこそ、大恩ある信長を裏切った・・・
それが『本能寺将星録』の光秀像の基本になっています。
本能寺の変は朝廷が主導、関与した・・・・・少なくとも光秀の行動は容認していたという説です。
1990年代くらいから多く用いられるようになりました。
信長死後に光秀は征夷大将軍に任じられていた・・・とするものもあります。
本作でも光秀の征夷大将軍就任を巡る動きは書いて見ました。
案外あれが近いんじゃないかなと、内心思っていたりもします。
光秀決起の真相が完全に明らかにされることは、今後も難しいと思います。
何れにしても光秀は今日5月28日、愛宕山において連歌の会を催します。
「時は今、雨が下しる皐月かな」
そして、本能寺の変の幕が開きました。
次回へ続け!!(w
本能寺将星録秘話も3人目に突入。
今回は忠興の義父で珠子の父、明智日向守光秀。
さて、本作は元々が「本能寺の変の明智側」ということでスタートしております。
従いまして、本来であるならば「光秀を勝たせる!」という物語であるはずのような気がします。
実際、当初構想の中には忠興を「源氏の武者」の立場に立たせて、
光秀と共に戦わせるというものありました。
作中にも多少、そんな空気残っているかも知れませんが・・・
執筆を進めるにつれ、忠興が勝手にどんどん信長サイドに行ってしまった結果(w
『本能寺将星録』は「明智物」というより「本能寺物」になりました。
結末は読者のみなさまには御存知の通り・・・
明智光秀は史実そのまま、次の時代の主役になることはありませんでした。
本作の舞台は言わずと知れた本能寺の変。
ここの所、テレビの歴史バラエティーなんかでも本能寺の変を取り上げるの目立つ気がします。
今年のNHK大河ドラマ「江」でも2年前の「天地人」でも取り上げられましたね、本能寺の変。
その主役は御存知、明智光秀。
では、その光秀は何が理由で本能寺に信長を討ったのか?
それは今日に至るまではっきりと示されてはいません。
世上、言われているものとしても信長に対する怨恨、武田征伐で辱めを受けた、家康接待の不手際、
西国への左遷、精神を病んでいた、天下への野望があった・・・・・多分、もっとあったかと思います。
『信長公記』『太閤記』など当時の史料は暗に怨恨を匂わせているようですが、
本能寺の変当時生存し、江戸時代も存続した家々の者達の多くが、この事変に対して語ることをしてはいません。
それは徳川幕府始め、細川家も含めて。
本作では羽柴秀吉、高山右近サイドの動きは全く別にすれば、「朝廷黒幕説」を採りました。
作中、近衛前久、吉田兼見らの作成した「密勅」が明智光秀に下されています。
光秀は朝家の命があったからこそ、大恩ある信長を裏切った・・・
それが『本能寺将星録』の光秀像の基本になっています。
本能寺の変は朝廷が主導、関与した・・・・・少なくとも光秀の行動は容認していたという説です。
1990年代くらいから多く用いられるようになりました。
信長死後に光秀は征夷大将軍に任じられていた・・・とするものもあります。
本作でも光秀の征夷大将軍就任を巡る動きは書いて見ました。
案外あれが近いんじゃないかなと、内心思っていたりもします。
光秀決起の真相が完全に明らかにされることは、今後も難しいと思います。
何れにしても光秀は今日5月28日、愛宕山において連歌の会を催します。
「時は今、雨が下しる皐月かな」
そして、本能寺の変の幕が開きました。
次回へ続け!!(w
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