歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

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本能寺将星録秘話第7回―明智光秀2―

2011-06-02 00:00:01 | 本能寺将星録
本日はついに?6月2日。
本能寺の変、当日でございます。


さて、丹波道より洛中に進軍した明智勢は本能寺を襲撃、織田信長は自害して果てます。
嫡男で家督を継いでいた織田信忠も二条新御所で死に、光秀は一瞬にして洛中を制しました。
ここまでは良かった。光秀の側からすれば。
しかし、一気呵成な洛中制圧に反して、以後の行動は余りにも無計画で蛋白。
細川家の与力は得られず、筒井にも日和見されます。
最大の?は安土に赴いて京をからっぽにしている点でしょうね。
そして「中国大返し」の羽柴秀吉に敗れ、「三日天下」は終わりを告げました。
本能寺の変のあざやかさに反して、山崎の合戦でのあっさりとした負け方。
ここは本書と同時期に刊行された、神宮寺元氏『明智軍戦記』でも疑問が呈されていました。


『本能寺将星録』では光秀サイドの行動を「武辺の果てに散ったクーデター」の一点に絞っています。
光秀は信長を本能寺で討つのに、朝廷の密命を受けた。
しかし、信長を討ったことが諸将の指示を得られないこと、羽柴秀吉には抗しきれないこと、
そして朝廷が自分と心中する気がないこと・・・内心でそれは承知した上での決起だった。
それでも武家として朝家の臣として、源氏の武者として立った。
それが本作の明智光秀という人物像になっています。


智本光隆の歴史群像大賞優秀賞作は新田義顕を主人公にした『風花』です。
その父は後醍醐天皇の命で南朝のために命を散らせた新田義貞。
時々、新田義貞=明智光秀という解釈聞きます。朝廷に忠誠を誓ったが、結局は使い捨てにされる・・・
それでもその信任を最後まで疑わず、戦陣に散った武将。
作者は必ずしも義貞=光秀だと思っている訳ではありませんが、
本作の光秀のイメージのひとつであったことは確かですね。


織田信長は朝廷をどうするつもりだったのか?実際のところは分かりません。
仮に廃絶を考えていた場合、信長が生存すれば間違いなくそれは実行されたでしょう。
本能寺の変が光秀の朝廷守護のための決起であるならば、光秀こそが天皇と朝廷を護ったことになります。


本作では山崎の合戦に光秀は勝利しますが、明智家も事実上崩壊しました。
あのラストは明智に辛辣すぎるなと、書いている本人も思いました(光慶の件が特にですね・・・)
ですが、主殺し(本作の信長殺害の黒幕は秀吉です。ですが、光秀にも反逆の意思はありました)の罪を、
必ず償わせるとした忠興の言葉のまま、あのようになりました。


光秀は丹波地方では今でも「名君」と讃えられています。
京都にある母校の教授に、
「光秀の描き方次第で、あの辺り(丹波)の売上かわるよ」って言われたくらいです。
丹波の皆さんに本作がどう映っているのかは分かりません。ですが、確かに言えることがひとつあります。
明智光秀の能力で織田信長に勝っているものは、正直いってないかも知れません。
人気も含めて(w 
ですが朝廷を中心としたこの国の姿を守る・・・
この一点において、明智光秀は織田信長に「勝った」のだと思います。



しかし、本能寺の変当日に朝廷ならぬ政権がとんでもないことに。
とんでもないって言うか、しょうもないって言うか・・・
今日、「これは本能寺の変です!」っていう政治家、絶対いる気がするな。
いたら全力で笑ってやろう(w

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