12月24日発売の『細川忠興戦記 本能寺将星録』に先駆けて、このブログでもちょこっと企画を。
今年6月末、本作執筆のために取材に行きましたので、その写真を随時公開したいと思います。
その第1回は京都紫野の「高桐院」(こうとういん)です。
同院は京都の大徳寺塔頭のひとつで細川忠興、珠子(ガラシャ)の墓があります。
初回から墓ってのも何ですが、まずはご本人に挨拶が大事(笑)
大谷家の場合、墓所が群馬県伊勢崎にあるので楽でした。吉勝も吉継も入ってないんですが・・・
高桐院は慶長6年(1601)建立、開祖は細川藤孝の弟・玉甫紹そう(王に宗)です。智本光隆は京都在住が長かったので、
大徳寺には行ったことがありましたが、高桐院はこれが初めて。
参道、そして緑の天蓋
書院南庭
本作は本能寺の変(天正10年)が舞台ですので、もちろん高桐院は登場しないのですが、
ここをモデルとした庭が度々登場しております。
そして、忠興と珠子の墓所へ。
「誠心誠意、書かせて頂きます」と挨拶を。そして、前作の描写を謝罪。
これは千利休秘蔵の石灯篭。天下一の灯篭との評があったもので、豊臣秀吉から求められたものの、
裏面に傷をつけてキズモノとしてこれを逃れ、切腹の際に忠興へと贈ったという逸話が。
後日、完全を忌む忠興自身が付けた傷もあるとの伝承あり。
ちなみに、後に細川家が転封された熊本の泰勝寺には藤孝、麝香夫妻、忠興、珠子夫妻の墓石が
一ヶ所にあるとのことですが、4つ同じ大きさのようです。
去年、大河ドラマ「天地人」で直江兼続夫妻が同じ大きさの墓で並んでいるとありましたが、
そう言えば僕の地元の酒井重忠夫妻も同様。(2代目からは藩主のみ)
これは、全国的に同様か?
珠子の墓は大坂の崇禅寺にもあるとのことです。
しかし、横には細川藤孝以下、歴代当主の墓も。
その中で、自分と珠子の墓だけ別に建立する忠興。
ちなみに、ちょうど今の時期は紅葉の名所として有名。
「緑の庭」から「赤の庭」へ?
今年6月末、本作執筆のために取材に行きましたので、その写真を随時公開したいと思います。
その第1回は京都紫野の「高桐院」(こうとういん)です。
同院は京都の大徳寺塔頭のひとつで細川忠興、珠子(ガラシャ)の墓があります。
初回から墓ってのも何ですが、まずはご本人に挨拶が大事(笑)
大谷家の場合、墓所が群馬県伊勢崎にあるので楽でした。吉勝も吉継も入ってないんですが・・・
高桐院は慶長6年(1601)建立、開祖は細川藤孝の弟・玉甫紹そう(王に宗)です。智本光隆は京都在住が長かったので、
大徳寺には行ったことがありましたが、高桐院はこれが初めて。
参道、そして緑の天蓋
書院南庭
本作は本能寺の変(天正10年)が舞台ですので、もちろん高桐院は登場しないのですが、
ここをモデルとした庭が度々登場しております。
そして、忠興と珠子の墓所へ。
「誠心誠意、書かせて頂きます」と挨拶を。そして、前作の描写を謝罪。
これは千利休秘蔵の石灯篭。天下一の灯篭との評があったもので、豊臣秀吉から求められたものの、
裏面に傷をつけてキズモノとしてこれを逃れ、切腹の際に忠興へと贈ったという逸話が。
後日、完全を忌む忠興自身が付けた傷もあるとの伝承あり。
ちなみに、後に細川家が転封された熊本の泰勝寺には藤孝、麝香夫妻、忠興、珠子夫妻の墓石が
一ヶ所にあるとのことですが、4つ同じ大きさのようです。
去年、大河ドラマ「天地人」で直江兼続夫妻が同じ大きさの墓で並んでいるとありましたが、
そう言えば僕の地元の酒井重忠夫妻も同様。(2代目からは藩主のみ)
これは、全国的に同様か?
珠子の墓は大坂の崇禅寺にもあるとのことです。
しかし、横には細川藤孝以下、歴代当主の墓も。
その中で、自分と珠子の墓だけ別に建立する忠興。
ちなみに、ちょうど今の時期は紅葉の名所として有名。
「緑の庭」から「赤の庭」へ?
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