下の更新でも書いてますが、これは本来ならば12日頃に更新予定だった訳で。
一応、載せてから行きますね。
さて、『本能寺将星録』の舞台は本能寺の変(当たり前か)
で、この日本史上最大のクーデター、現在に至るまで謎だらけ。
知名度の割に、解明されていないことがあまりにも多いのです。
例えば、本能寺襲撃が明智勢の誰によるものなのかすら、はっきりとは分かっていない。
そして、肝心の動機。黒幕の存在。
本作では「朝廷黒幕説」と「羽柴秀吉黒幕説」を混ぜています。
「イエズス会黒幕説」も多少は入れて見ました。
入っていないのは「細川藤孝黒幕説」。
つまり、足利義昭、もしくは朝廷が藤孝を仲介として明智光秀に接近した・・・というものですね。
細川に限らずですが事変直後、畿内武将の行動が明らかにされていないのがこの本能寺の変。
秀吉の大返しですら変事を知ったのが何日なのか、高松を発ったのが何時なのか、
実ははっきりとは分かっていません。
通説では信長の遭難を知った細川父子は剃髪し、珠子を三戸野に幽閉します。
本作では本能寺の変そのものに、細川は関わっていません。
しかし、「事変発生直後、細川は明智と同心していた」というのは、ゼロの可能性ではないと思います。
山崎の合戦において、細川は丹後を動いていないとされます。
しかし、『永源師壇紀年録』などは忠興は天王山に出陣したとし、
積極的に動いたとする見方もあります(信憑性は別にして)。
これらは当然、羽柴方として信長の仇を討とうとした行動と取るのが普通です。
ですが、「事件当時は明智方だったが、山崎の合戦で光秀を見限った」との仮定を立てて見ました。
「洞ヶ峠の日和見」は筒井順慶ですが、天王山を占拠していた細川忠興は、
合戦の最終局面で光秀を見捨てた・・・・・それが今作の発想のひとつになっています。
(無論、作中はそうではありません。あくまで、下敷きにしたということです)
本能寺の変時、細川家の当主は49歳の藤孝であり、
20歳の忠興に何処まで決定権があったのかは定かではありません。
本作は勝龍寺城に忠興を置き、信長死後のキャスティングボードを取らせて見ました。
結果、忠興は主君・信長の仇を取ることに成功しましたが、義父の光秀を失う結果となりました。
書き終わって「これって忠興が光秀の兵を使い潰して信長の仇を討ち、反逆の意思のあった光秀も結局は死なせた」
と作者自身が思いました。
それもまた、忠興が望んだ結末なのかも知れません。
話ついでにIFの先のIFを。
『本能寺将星録』の終章では忠興が朝廷と畿内の支配権を握りました。
一方、関東に降った蒲生氏郷は厩橋か川越に本拠を置くでしょう(会津にはまだ入らないかと)。
冬姫(氏郷の妻。信長の二女)も連れて行きますかね。
関東には武田の旧臣達が数多くおり、それらは氏郷の下に集まります。その中には当然、真田の姿も。
やがて氏郷は忠興が進める中央の政治体制に反発し、東国武士と共に反乱を決意。
陸奥の大名達も傘下に収めて、上洛作戦を実行します。
しかし、その頃には忠興も畿内の織田旧臣を傘下に入れ、毛利、長宗我部とも友好関係を築いている。
性格的に氏郷迎撃に尾張あたりまで進軍。そうなると鍵を握るのは三河の徳川家康。
そして、織田家の実質当主となった津田信澄。
天下布武の真の後継者を巡り、合戦の火蓋が切って落とされる。
信長に将来を嘱望された二人の決戦。そして、珠子と冬姫は。
そんなところが智本光隆の考えた『本能寺将星録』のアフターストーリーですが、みなさんはどう思われるでしょうか?
一応、載せてから行きますね。
さて、『本能寺将星録』の舞台は本能寺の変(当たり前か)
で、この日本史上最大のクーデター、現在に至るまで謎だらけ。
知名度の割に、解明されていないことがあまりにも多いのです。
例えば、本能寺襲撃が明智勢の誰によるものなのかすら、はっきりとは分かっていない。
そして、肝心の動機。黒幕の存在。
本作では「朝廷黒幕説」と「羽柴秀吉黒幕説」を混ぜています。
「イエズス会黒幕説」も多少は入れて見ました。
入っていないのは「細川藤孝黒幕説」。
つまり、足利義昭、もしくは朝廷が藤孝を仲介として明智光秀に接近した・・・というものですね。
細川に限らずですが事変直後、畿内武将の行動が明らかにされていないのがこの本能寺の変。
秀吉の大返しですら変事を知ったのが何日なのか、高松を発ったのが何時なのか、
実ははっきりとは分かっていません。
通説では信長の遭難を知った細川父子は剃髪し、珠子を三戸野に幽閉します。
本作では本能寺の変そのものに、細川は関わっていません。
しかし、「事変発生直後、細川は明智と同心していた」というのは、ゼロの可能性ではないと思います。
山崎の合戦において、細川は丹後を動いていないとされます。
しかし、『永源師壇紀年録』などは忠興は天王山に出陣したとし、
積極的に動いたとする見方もあります(信憑性は別にして)。
これらは当然、羽柴方として信長の仇を討とうとした行動と取るのが普通です。
ですが、「事件当時は明智方だったが、山崎の合戦で光秀を見限った」との仮定を立てて見ました。
「洞ヶ峠の日和見」は筒井順慶ですが、天王山を占拠していた細川忠興は、
合戦の最終局面で光秀を見捨てた・・・・・それが今作の発想のひとつになっています。
(無論、作中はそうではありません。あくまで、下敷きにしたということです)
本能寺の変時、細川家の当主は49歳の藤孝であり、
20歳の忠興に何処まで決定権があったのかは定かではありません。
本作は勝龍寺城に忠興を置き、信長死後のキャスティングボードを取らせて見ました。
結果、忠興は主君・信長の仇を取ることに成功しましたが、義父の光秀を失う結果となりました。
書き終わって「これって忠興が光秀の兵を使い潰して信長の仇を討ち、反逆の意思のあった光秀も結局は死なせた」
と作者自身が思いました。
それもまた、忠興が望んだ結末なのかも知れません。
話ついでにIFの先のIFを。
『本能寺将星録』の終章では忠興が朝廷と畿内の支配権を握りました。
一方、関東に降った蒲生氏郷は厩橋か川越に本拠を置くでしょう(会津にはまだ入らないかと)。
冬姫(氏郷の妻。信長の二女)も連れて行きますかね。
関東には武田の旧臣達が数多くおり、それらは氏郷の下に集まります。その中には当然、真田の姿も。
やがて氏郷は忠興が進める中央の政治体制に反発し、東国武士と共に反乱を決意。
陸奥の大名達も傘下に収めて、上洛作戦を実行します。
しかし、その頃には忠興も畿内の織田旧臣を傘下に入れ、毛利、長宗我部とも友好関係を築いている。
性格的に氏郷迎撃に尾張あたりまで進軍。そうなると鍵を握るのは三河の徳川家康。
そして、織田家の実質当主となった津田信澄。
天下布武の真の後継者を巡り、合戦の火蓋が切って落とされる。
信長に将来を嘱望された二人の決戦。そして、珠子と冬姫は。
そんなところが智本光隆の考えた『本能寺将星録』のアフターストーリーですが、みなさんはどう思われるでしょうか?
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