さて、少し昔話をしましょうか(w
私の母の実家は割に来客の多い家で・・・祖母に多いというべきだったのか、
そんな人たち、よく手土産に持ってきてくれたものに、、、
「片原饅頭」
がありました。
地元の土産物としては王道も王道。
確か、家のどこかにカラ箱ひとつ残してあったはず・・・
天保3年(1832)創業の「志満屋本店」
前三デパート(現前橋テルサ)の南の通りに店舗がありました。
こちらの店、当時としてはおそらく稀有でしょうが、
障がい者を雇用し、製造に従事させたことでも有名。
キリスト教的な精神から・・・と聞いたことがあります。
製糸業の盛んな前橋は欧米人が多く、今でも教会は多いです。
この片原饅頭様、老舗だけにいろいろ伝説もある(w
ある時期、喧嘩なのかなんなのか、親族が近所に別の饅頭屋出したこともあったとか、
場所は前三のあたりと聞いてますから、50メートルくらいしか離れていない。
味は似ていたそうですよ。ところが、、、、
新店のほうは翌日には、すっかり固くなって食べられず、数年で閉店したとか、
「店内の秘伝の井戸水に秘密がある!」
とか囁かれたそうです。
真相は不明。。。
させ、そんな片原饅頭、、、
うちの母が「奥さん、いい子持ちだねぇ」と褒められたこともある店ですが(w
後継者の息子さんは大学に進学、研究者になってしまい・・・
後継者不在ということで1996年、惜しまれつつ閉店となってしまいました。
惜しまれつつ・・・というか、最後のほうは殺気立っていて、
当時、高校生で「最後に買えないもんかな?」と前を通りかかったら、すさまじい人人人・・・
当時の県知事、市長が惜しむコメントを出したと記憶してます。
そして最後の店主の方が「商売人としてお役にたてず、相すみません」と涙ながらのコメントもあったような。
そうして、永遠に市民の記憶の奥底に眠るはずだったわけですが、、、
復活。
こちらの片原饅頭を再現させたのは、福島正幸氏。
ウィキにも項目のある、有名な競輪選手だった人です。引退後、餃子店を経営してそちらでも成功を収めています。
その福島氏が数年前から「私の使命・宿命」として片原饅頭の再現にチャレンジし、
最初は「ふくまんじゅう」として販売しておりましたが、
昨年9月、ついに「片原饅頭」の名で販売を開始しました。
新聞記事などによると、最後の職人頭のところに通い詰め、
味を再現した後は、名称について交渉したそうです。
その問題がクリアできたらしく、ついに復活!!
して、その味はどこまで再現できたかというと・・・
ご本人が新聞等で語られるところ「9割」とのこと。
実はこれ、辛口なことにうちの家族、親戚の意見とも一致しています。
それでも、日々「本物」を目指して現在も研鑽中とのことです。
いずれ、あのテルサ横の店舗が再び開くのか!?
もしくは、けやきウォークあたりに出店か?
・・・で、どうして今、この話題を取り上げているのかというと。。。
現在、シュミ戦ラスト30枚の攻防中。
のどを通るものは、この片原饅頭のみ・・・
お願い、もう少しうちの近所で売って下さい。
そのあたり、志満屋さんの「救世」の精神を引き継いで。
まくれるか否かの、勝負の瀬戸際でもあるし(w
智本光隆
私の母の実家は割に来客の多い家で・・・祖母に多いというべきだったのか、
そんな人たち、よく手土産に持ってきてくれたものに、、、
「片原饅頭」
がありました。
地元の土産物としては王道も王道。
確か、家のどこかにカラ箱ひとつ残してあったはず・・・
天保3年(1832)創業の「志満屋本店」
前三デパート(現前橋テルサ)の南の通りに店舗がありました。
こちらの店、当時としてはおそらく稀有でしょうが、
障がい者を雇用し、製造に従事させたことでも有名。
キリスト教的な精神から・・・と聞いたことがあります。
製糸業の盛んな前橋は欧米人が多く、今でも教会は多いです。
この片原饅頭様、老舗だけにいろいろ伝説もある(w
ある時期、喧嘩なのかなんなのか、親族が近所に別の饅頭屋出したこともあったとか、
場所は前三のあたりと聞いてますから、50メートルくらいしか離れていない。
味は似ていたそうですよ。ところが、、、、
新店のほうは翌日には、すっかり固くなって食べられず、数年で閉店したとか、
「店内の秘伝の井戸水に秘密がある!」
とか囁かれたそうです。
真相は不明。。。
させ、そんな片原饅頭、、、
うちの母が「奥さん、いい子持ちだねぇ」と褒められたこともある店ですが(w
後継者の息子さんは大学に進学、研究者になってしまい・・・
後継者不在ということで1996年、惜しまれつつ閉店となってしまいました。
惜しまれつつ・・・というか、最後のほうは殺気立っていて、
当時、高校生で「最後に買えないもんかな?」と前を通りかかったら、すさまじい人人人・・・
当時の県知事、市長が惜しむコメントを出したと記憶してます。
そして最後の店主の方が「商売人としてお役にたてず、相すみません」と涙ながらのコメントもあったような。
そうして、永遠に市民の記憶の奥底に眠るはずだったわけですが、、、
復活。
こちらの片原饅頭を再現させたのは、福島正幸氏。
ウィキにも項目のある、有名な競輪選手だった人です。引退後、餃子店を経営してそちらでも成功を収めています。
その福島氏が数年前から「私の使命・宿命」として片原饅頭の再現にチャレンジし、
最初は「ふくまんじゅう」として販売しておりましたが、
昨年9月、ついに「片原饅頭」の名で販売を開始しました。
新聞記事などによると、最後の職人頭のところに通い詰め、
味を再現した後は、名称について交渉したそうです。
その問題がクリアできたらしく、ついに復活!!
して、その味はどこまで再現できたかというと・・・
ご本人が新聞等で語られるところ「9割」とのこと。
実はこれ、辛口なことにうちの家族、親戚の意見とも一致しています。
それでも、日々「本物」を目指して現在も研鑽中とのことです。
いずれ、あのテルサ横の店舗が再び開くのか!?
もしくは、けやきウォークあたりに出店か?
・・・で、どうして今、この話題を取り上げているのかというと。。。
現在、シュミ戦ラスト30枚の攻防中。
のどを通るものは、この片原饅頭のみ・・・
お願い、もう少しうちの近所で売って下さい。
そのあたり、志満屋さんの「救世」の精神を引き継いで。
まくれるか否かの、勝負の瀬戸際でもあるし(w
智本光隆
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