歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

去年の今日と今年の仕事

2012-03-15 05:22:21 | 日記
今日は3月15日・・・か。
1年前のこの日、編集部に「新潟回りで山形入りますから!!」
と電話入れ、実は返事はあんまり聞かずに出発しました。
関越道―北陸道―日本海東北自動車道を荒川胎内で下り、113号で米沢の北(南陽市)へ。
そこから13号を北上して山形市へ・・・と。
所要時間は7時間半。そして、前回の写真の直後に家族と合流しました。


出発時点、実はこれが通れるか情報はほとんどなし。
「行けるんですか?」とも聞かれた。「分かりませんが、行きます」・・・と。
当時、中越の地震をイメージしていたために、道が崩落していることも想定されました。
(被害はまったく、別の種別のものでしたが)
無事に戻ってきて、その道筋をこのブログにアップ(2011年3月16日更新)以後、
アクセス数が飛躍的に上がりました。
あの段階で、まだあのルートを通った人はあまりいなかったらしい。
多少、誰かの役に立ったのだろうか・・・


その時、執筆していたのが『豊臣蒼天録』第1巻の5章冒頭あたり。
現在、3巻の校正(1回目だけど)が最終段階。
はっきり言って疲れ果てているが、今は仕事に専心出来る環境の自分は恵まれている。
そう思う。非常に眠いが(w



なでしこの澤選手が「良性発作性頭位眩暈症」だそうです。
あ・・・同じ病だ(2011年2月5日更新)
あれ、ほんとに頭がぐるぐる回ります。
悪い種別の眩暈ではないと、医者は言ってましたが・・・
澤選手、お大事になさって下さい!!



智本光隆

2012-03-11 01:55:27 | 日記
1年が立ちました。
津波被害、地震被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。
犠牲になられた皆様に、深い哀悼の意を表したい思います。
そして、いまでも数多い行方不明者の方々が、一刻でも早くご家族のもとに帰れますよう、
祈念申し上げます。




2011年3月15日18時、山形駅。



智本光隆

本日より初稿!!

2012-03-08 23:07:20 | 豊臣蒼天録
夕方、初稿ゲラを受け取る!!
先日、「ところで、やっぱ締め切り前とか、ホテルにカンヅメとかされるもの?」
と聞かれました。


「いえ、そんなに偉くないです。自分で自分をカンヅメします」


有森さんの名言と大違いです。
そんなわけで、第3巻の仕上げ作業が始まります。
がんばるぞー
・・・とか爽やかに言うだけ言おう。言うだけなら言える。
さて、ファミレス行こう・・・



しばらく、ベイについてぼやいていない(w
オープン戦がわりかし好調とか、ひちょりが結婚とかありますが(おめでとうございます
なにやら近日中に、ホッシーから重大発表があるとか。
なんだ?もしや、コンプライアンス違反的な何かがベイに!?



智本光隆

豊臣蒼天録紀行13―膳所城 琵琶の浮城―

2012-03-07 21:22:07 | 豊臣蒼天録
えー本来は瀬田の唐橋の次にやる予定でしたが・・・
ざっくり忘れ、彦根に行ってしまいました(w
途中に入れるにも何なので、彦根編が終わったこのあたりで膳所を!!


まず、唐橋の東から瀬田川に沿って歩く!!





今回、瀬田の唐橋と膳所城がどのくらいの距離か、知っておきたいのありました。
視認は出来るか・・・とかですね。



こんな釣りの光景も。


実際、唐橋が肉眼で見えたのは東海道本線鉄橋あたりまで。
しかし、思うに一体どこからが「琵琶湖」になるのだろう・・・
とか考えながら徒歩で50分くらい。



膳所城址公園到着。


膳所城は現在では整備された公園です。
ちょうど、学校が終わったくらいの時間だったので子供、学生が多い。




側の高校の剣道部らしいです。ちょっとめずらしい光景かも・・・?





城碑と天守跡。


関ヶ原の合戦翌年、家康が東海道の抑えとして大津城を廃し、新たに築かせた城です。
「瀬田を制する者は~」を具現した城。
本丸は湖上に築かれた為、「琵琶の浮城」の異名があります。
瀬田城、大津城の後継的な城でもあり。
作中では2巻1章の舞台となっております。





さて、膳所城から少し北へ。
近江大橋を越えると完全に「琵琶湖」ですかね?(正式な定義知らん。。。)
思えば『関ヶ原群雄伝』の大谷吉勝、『本能寺将星録』の細川忠興、
そして『豊臣蒼天録』では秀頼、忠輝など主人公が、
「琵琶湖をみつめて何やら考えるシーン」がある智本作品。
でも、側まで来たのは2回目くらい・・・かな?



そして、琵琶湖の蒼空を仰ぐ。

豊臣蒼天録紀行12―彦根城3 決戦!!あの白い猫―

2012-03-04 21:15:37 | 豊臣蒼天録
さて、天守から下りると人だかりが。
そして、スタッフが。。。



「はい、スタンバイお願いします!」


そこへ、颯爽と登場したのが、、、







集まった観客に手を振るその姿。
意外と普通に歩いて登場(当たり前か)




彦根のスーパーアイドル、ひこにゃんの登場


大人気です。
動くたび、鈴の音が聞こえます。
「かわいいー」と声援が飛びかいます。
はっきり言って、彦根のどこよりも沸いていまいした。
・・・まあ、隣にいた女子の集団が、

「ていうか、あれだよね。ひこにゃんはどうやれば自分が可愛く見えるか、知り尽くしてるよね。
研究し尽くしてるよねー」


・・・と冷静に分析したりしてましたが。
とにかく、すごい人気でした。


「もしかして、ここでこの猫を倒せば彦根攻略!?」
とか思ったら、
「ひこにゃんにパンチとかキックとかしないで下さいね」
とスタッフの前置き。
・・・やった奴いたんだろうか(w




ただ、登場して10分くらいこんな感じが続き。。。

スタッフ「あ、ひこにゃんずっとこんな感じですけど、大丈夫ですか?」

・・・どうやら、バクテンしたりはしないらしい(w


ただ、智本光隆が聞いたスタッフの会話によると。
・・・どうやら、この中の人は代役らしい。
この数日は反則な残暑なので、倒れた・・・のかな?
この場所も木陰でしたしね。


さて、そんな白猫に別れを告げて後は彦根城を散策の数枚を










幕末の大老、井伊直弼も彦根藩主です。
この像は第1回大河ドラマ「花の生涯」(昭和38年)に際して建てられたもののよう。




そして、第2巻に登場の表御殿猿楽舞台(能舞台)
作中よりあとに建てられたので、厳密にはモデルですが(w
いずれにせよ、これだけの規模の城郭が今に残るのは貴重なことです。
城がなくば、あの猫とて住む場所を失うわけだし(w
(ただし、井伊直孝の白猫伝説は彦根ではないらしいけど)