さて、バッテリーコーチだった大矢さんが監督に就任した1996年。
この年が谷繁にとっての転機となります。
この前年までキャッチャーのところで代打が出されることもありましたが、
大矢体制で谷繁は正捕手に完全固定されます。
この96年は開幕からベイスターズは首位を独走します。
その点、今年と似てますね。
もっとも、5月には失速して5位に終わっていますがw
そして1997年。
横浜は前半戦の不振から、夏前から怒涛の快進撃。
8月には首位ヤクルトに2ゲーム差に詰め寄ります。
そこで2連戦に連敗してファンがメガホンをグラウンドに投げ込み、
佐々木はじめ選手が拾いに来たにも今や懐かしい・・・
この2年間で谷繁は横浜の正捕手としての地位を固め、
オフには巨人へのFAが話題になります。
この時、巨人、横浜双方のOBである青田昇氏が、
「横浜が7年もかけて育てた捕手を金で浚うような真似をするな!」
と言っていたのを思い出します。
そして1998年は今更語るまでもなし―――
玉置宏さんが
「大魔神のMVPは当然の事と思いますが、
私は同じものを谷繁君に上げたいと思います。
今年の彼は古田の上を行きました」
と優勝直後に語るまでに成長しました。
その後、権藤さんが退任して森監督が就任し、、、
谷繁の師匠筋に当たる大矢、権藤氏と森氏は不仲ですが、
それが影響してか谷繁は2002年に横浜を去ります。
この時、玉置さんに「申し訳ありませんでした」と、
頭を下げたという話も伝わっています。
中日に移籍した後はリーグ優勝3回に貢献し、
球界を代表する捕手へと成長を遂げて行きます。
その谷繁が引退します。
98年V戦士の多くが横浜を去り、他球団で引退していますが、
他の選手もそうですが・・・谷繁はそれ以上に横浜ファンに愛され続けました。
テレビで中日戦を見ては、
「おい谷坊、初球は外角の変化球から入れよ」とか、
「迂闊なストレート投げさせてんじゃねぇよ!」とかw
谷繁には迷惑な話だったかも知れませんが、
ベイファンは横浜を去ってからも谷繁のことが好きなのです。
サインの覚えが悪く、「リードに酔っている」と言われても、
谷繁のことが好きなのです。
佐々木が強い横浜の象徴なら、
谷繁は「成長する横浜」の象徴でした。
谷繁が成長と共にチームは強くなり、そして優勝し、
チームを去ると共に強かった時代も去りました。
横浜を去ってなお、谷繁ほどファンに愛された選手はいないでしょう。
谷繁に関しては今、落合GMと諍いがあるとも聞きますが、
ベイファンからすれば「そりゃそうだ、谷繁が素直に落合の言うこと聞くはずない」
が本音でしょうね。
きっと「何で自分は交代なんですか?」と佐々木に直談判した時より、
谷繁的にはハードルは低いでしょうw
谷繁が横浜で正捕手をつかみ、そして今日まで現役を続けたのは、
その「強気」と「負けん気」にあったと思います。
それはきっと、中日の兼任監督になった今でも何一つ変わらないことでしょう。
1996年、横浜の時代を担う黄金バッテリーとして期待された斎藤隆と谷繁。
何の因果が、この2人は同じ年にグラウンドを去ります。
谷繁の今後がどうなるが分かりませんが、
斎藤の時と同じ言葉・・・というか願いを送りたいと思います。
谷坊、長い間お疲れ様。
何時かまた、横浜で。
智本光隆