SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

天才少女

2022-06-10 22:19:00 | 日記
名ピアニストとして活躍した
クララ・シュ—マン。
5歳になった時に
父ヴィ—クは正式な
レッスンを開始しました。

    🥀🥀🥀

殆ど独学でピアノの演奏技術
や作曲理論の勉強に
明け暮れたヴィ—クは、
ライプツィヒの町で、
ピアノ教師兼ピアノと
楽譜店の経営者となりました

   🎵🎵🎵🎵🎵

クララは初めからピアノの
前に正しく座り、
すぐに楽曲が弾けるように
なったようです。
ヴィークはクララに
テクニック以上にピアノで
歌うことの大切さを教えました。
そして音楽理論や作曲の
手ほどきをおこないます。

わずか1年後、
6歳のクララは
人前で演奏することに
なりました。
演奏会の当日、
馬車がお迎えにきたのは
良いのですが
会場を間違えてしまい
こわい思いをしたという話を
昔・むかしに読んだ
記憶があるのですが、、。


その日の曲目は
フィールド ポロネ—ズ
モ—ツァルト ソナタ
ウェ—バ― 舞踏への勧誘
などのプログラムで
大成功でした。

又、8歳の演奏会では
オ—ケストラ伴奏で
モ—ツァルトのピアノ協奏曲
を演奏したのです。

8歳半の時にフンメルの
ピアノ三重奏曲を演奏
しましたが、
ヴァイオリニストと
チェリストをはるかに
超える腕前に
聴衆の一人が驚嘆して
ヴィ―クに弟子入りを
申し込んできたのです。
それがロベルト・シュ―マン
でした。


結婚式前夜に作曲した
「献呈」のピアノ演奏です。




ミルテの花。