SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

コロナでもインフルエンザでもなく。

2022-12-13 20:33:00 | 日記
曜日の夜は
目の痛みのために
ほぼ9時間近く眠ったで
しょうか。
翌日は風邪症状。
これはまずいとばかりに
昨夜は薬の力を借りて
ひたすら眠りましたが
何とか乗り越えたようで
週末の本番に
間に合いそうです。

   ✨✨✨✨

息子達から今年最後の
冬キャンプの映像が
届きました。





  ✨✨✨✨✨✨

そこで今夜は
ドビュッシーの
「美しき夕」です。

「Beau soir」
1891年、ドビュッシーの
18歳の時の作品で
ポール・ブルジェの詩が
舞台になっています。
夕暮れの風景を描きながら
自然の美しい流れを
人生の流れにたとえ、
若く美しい間に生きる喜びを
味わうように、と歌って
います。
ppで始まり、ppで終わる
もの静かな旋律は
アルペジオで支えられる
伴奏に支えられ、
詩の内面を浮き彫りにします


《歌詞大意》

沈みゆく太陽に河が薔薇色に
映え、そよ風が麦の畑に
流れる時、幸福への想いが
悩む心へと立ちのぼるようだ。
若く、夕暮れの美しい間に
この世に生きることの魅力を
味わおうとすることの想い、
そうだ、この水が海に向かって流れるように、
私たちは墓に向かって
行くのだから。

  ✨✨✨✨✨✨

歌 ジェシー・ノーマン
 ジェームス・レヴァイン





チェロ ミシャ・マイスキー
ピアノ ダリア・オヴォラ



イケメン作曲家

2022-12-10 22:27:00 | 日記
ロール・スクリーンを
新しくしました。


取り外しや
サイズの採寸など
全て自分で取り付ける
つもりでしたが、
金具を付け替えるぬことになり
最後は業者さんに
頼みました。

一人暮しの後期高齢者なので
感じの悪い職人さんですと
不安なのですが、
チャイムが鳴り、
ドアを開けると背が高く、
爽やかなイケメン君の登場。

3本のロールスクリーンを
テキパキと15分で 
付け終わると
箱やエヤパッキンなどを
きれいに片付けて持って
帰ってくれました。(*^_^*)
   
  
  ✨✨✨✨✨


そこで今夜は
イケメン作曲家達です。


ラフマニノフ(ロシア)
(1873ー1943)

作曲とピアノ演奏をこなす
音楽家は、ラフマニノフが
最後でしょうか。
ロシア革命後はアメリカに
移住、名ピアニストとしても
大活躍しました。






チャイコフスキー(ロシア)
(1840ー1893)


 
裕福な家庭に生まれ、
法務省に勤務しますが、
音楽院に入学し直し、
ロシア民族音楽の要素を
西欧音楽に融合させました。
一度も合うことのなかった
パトロン、
フォン・メック夫人との
不思議な関係でも
知られています。




リスト(ハンガリー
(1811ー1886)


 

父はハンガリーの名門
エステルハージ侯爵家の執事
ホールに聴衆を集めて
一人でピアノを弾く
リサイタル形式を確立して
華々しい演奏活動を
展開しました。
  
  
  ✨✨✨✨✨


ラフマニノフの
ヴォーカリーゼ。

指揮 アンドレ・プレヴィン
   ロンドン・フィル




指揮者で作曲家の
アンドレ・プレヴィン。
イケメンです。



小学生のホー厶・コンサート

2022-12-10 05:44:00 | 日記
姉妹3人でレッスンに
来られる小学生の
お嬢さん達。

11月中ばに、
「もうすぐお母さんの
お誕生日なの」と
話してくれました。

「お母さんはどの曲が
好きかしら?」と尋ねると
「《すなおな心》が大好き」と、、、。

そこで内緒で練習を
することにして
「お母さんのバースディ•
ミニコンサート」を
計画しました。

1.バースディ•ソング

2.すなおな心

3.夕方のうた

4.シュタイヤー舞曲

5.乗馬 

6.エリーゼのために

どれも小さな頃に弾いた
懐かしい曲ばかり。

プログラム5枚は
それぞれが手作りして
薔薇の花一本を
添えました。

昨夜はいよいよ
本番でしたが、
「突然のコンサートに
吃驚するやら嬉しいやら。
子供達の成長を感じる
思い出に残る誕生日に
なりました。」と
お母さまから
ラインが入りました。❣️

  🥀🥀🥀🥀🥀

先ほどお母さまに
お会いしましたところ
「このところ私が帰宅すると
「ピアノの練習終わった」
いうので、不思議に
思っていたのです」と。

初めて聴く美しい曲に
とても感動されたようで
涙ぐんでおられました。

早速、レッスンにやって来た 
発案者のお嬢さんから
コンサートの様子を聞き
私の心もほっこり。

「なにも弾けない」と
残念がられたお父さまは
来年は弾いて下さるかも。
しれません。


   ✨✨✨✨✨


リヒャルト・シュトラウス
「家庭交響曲」

シュトラウス自身の
家庭の様子を描きましたが
この曲を書いたのは
1902年。
ソプラノ歌手の妻との間に
できた長男フランツが
5•6歳の頃でした。

第1部は「のんびりした夫」
の主題と
「夢みるようで活発な妻」
の主題に息子の主題が
加わり展開されていきます。
更に伯父や伯母も登場です。

第2部は子供の遊びが中心で 
日が暮れると
子供を寝かしつける
子守唄になります。

第3部は夫が作曲に打ち込み
その傍らに寄り添う妻との
情景が描かれています。

第4部は夫婦が子供の教育を
めぐって言い争いを始めます
そこに息子が顔を出し
二重フーガが展開されます。
子供が泣き出すほど
激しいケンカになりますが、
次第に落ち着いて
和解するのです。

アンドレ・プレヴィン指揮
ウィ―ン・フィル
第1部 (5’03")


















クラシックTV

2022-12-08 23:02:00 | 日記
今夜のタイトルは
「ラブ•ガーシュイン」

小さな方から断崖君まで
みんなが好きな
ラプソディ•イン・ブルーの
作曲家です。

   ✨✨✨✨✨

あの出だしの魅力的な
クラリネット・ソロ。
ゆっくりとしたトリルから
2オクターブ以上に
わたってクレッシェンド
しながら、
グリッサンドしていく
サイレンのような響き。
ジャズとクラシックを
結合させた独自の作風で
アメリカはもちろん、
ヨーロッパにも
知られるようになりました。

レナード•バーンスタインの
弾き振りです。


ラプソディ・イン•ブルー
オーケストラ•パートは
ガーシュインにとって
未知の領域であったので、
のちに
《グランド•キャニオン》
を作曲して名をあげる
ファーディ・グローフェに
手伝ってもらったのです。
グローフェはオーケストラの
編曲にかけては職人的な
腕を持っていました。

ガーシュインが、
まず、2台のピアノで
演奏する形式で曲を
完成させ、
これをグローフェが
ピアノと管弦楽パートに
振り分けて編曲し、
初演にこぎつけました。

一夜にして世界的な
名声を得ましたが、
その後、ガーシュイン自身
独学で勉強した
オーケストレーション
《ピアノ協奏曲ヘ短調》や
《パリのアメリカ人》は
《ラプソディ•イン•ブルー》に比べても、
全く遜色のない仕上がり
だと言われています。

アメリカは建国以来、
国際的な名声をかち得た
作曲家はごく少なく、
ガーシュインは、
フォスターに続く
二人目の大作曲家で
一躍アメリカ音楽の寵児と
なりましたが、
名声が上がるにつれて
マスコミに追いまわされ、
38歳の若さで
世を去りました。
彼の命を直接奪ったのは
脳の腫瘍ですが、
間接的には過労が原因だと
言われているのです。

ピアノ協奏曲ヘ短調
独奏 ユジャ•ワン



金髪のジェニー

2022-12-08 09:05:00 | 日記
あれもこれも
片付けたいと
思いつつ
時間ばかりが
過ぎていきます。


「アメリカ民謡の父」と
呼ばれた
スティ―ブン•コリンズ•
フォスターは
1826年、アメリカ北部の
ペンシルヴェニア州
ピッツバ―グで生まれました。
生涯で約200曲の
親しみやすい歌曲を書き、
「おお、スザンナ
「草競馬」などが広く
知られています。
フォスターが1854年に
作詞•作曲した
「金髪のジェニー」は
フォスターの妻のジェ―ン
をモデルにした曲で
「ジェニー」は彼女の
愛称でした。
ジェ―ンはピッツバ―グの
開業医の長女で
茶色の目と髪を持つ
美しい少女だったようです。
原題は
"Jeanie with the Light Brown Hair"ですが、
日本語に訳す時に
教会音楽家の津川圭一氏が
「茶色」では
インパクトがないので
「金髪」に変えたようです。
「I dream of Jenie with
the light brown hair」を
「夢に見し、わがジェニーは
ブロンドの髪ふさふさと、、」
と直されたのです。

金髪のジェニー初版譜



ジェ―ンは陽気で
人々の心を惹きつける
可愛いい19歳のお嬢さん、
フォスターが24歳の時に
結婚し、薔薇色に輝く生活が
スタートしました。

結婚の年には「草競馬」を
作曲しています。
翌年には彼の名を
決定的にした
名作「故郷の人々」
《スワニー河》が
作られましたが、
驚くべきことに
わずか15ドルで
売り渡してしまったのです。
初版だけでも10万部も
売れたのに、その印税は
本当の作曲者である
フォスターのもとには
全く入らなかったのです。

沢山の名作を生み出した
にもかかわらず、
フォスターの人生は
平穏ではなく、
愛妻ジェーンとの
結婚生活も長く続かずに
1860年からは別居状態に
なってしまいました。

妻子を捨ててニューヨークに
行きますが、
1861年に南北戦争が始まり
彼の歌はさっぱり売れずに
収入は減る一方でした。
不摂生がたたって
担ぎ込まれた病院で
貧困のうちに、
37歳の短い生涯を
閉じてしまいます。
ジェーンが駆けつけた時は
すでに遅く、神に召された
あとだったようです。

倒れる数日前に作曲した
「Beutiful dreamer」






アルゲリッチとリヒテルの聴きくらべ

2022-12-06 22:29:00 | 日記
今朝は名神高速道路の
西宮インターから吹田までの
大渋滞に引っかかり
大幅遅刻でした。💦 

少し遅くなってしまった
ランチタイムは
お鮨です。
お腹が空いていたので
写真は少ししかありません。





  ✨✨✨✨✨✨

チャイコフスキー
ピアノ協奏曲第1番
ド派手な冒頭で、
今では大変な人気曲です。

しかし、作曲当初
チャイコフスキーは、
敬愛してやまない
モスクワ音楽院の院長の
ニコライ•ルービンシュテインに真っ先に弾いて
聴かせたのですが、
思いがけず「演奏不可能」と
酷評され、自分のいう通りに
書きかえなければ演奏しない
と言われてしまいました。

チャイコフスキーは
一音符だって変えるつもり
はなく、
このまま発表すると
答えたので、
親しかった二人の間には
深い溝が生じてしまいます。

チャイコフスキーは
このピアノ協奏曲を
ドイツの大指揮者で
同時に名ピアニストとして
国際的な名声を得ていた
ハンス•フォン•ビューローに
捧げてしまいました。
ビューローは大喜びで
アメリカ演奏旅行でこの曲を
演奏することにしたいと
申し出たのです。
ボストンで初演したのを
皮切りに各地で演奏し
大成功を収めました。

ビューローはこの大成功を
電報で知らせてきましたが、
チャイコフスキーは
その返電を打つお金を
調達するのにも
苦労するほどに
経済的に困っていました。

この曲の大きな特徴は
聴いた瞬間にロシアを
感じるところです。
第1楽章の第2主題には
ウクライナの民謡が使われて
いるのですが、
チャイコフスキーという
名字は、ウクライナの
伝統的な名字である
チャイカが由来なのです。


華やかな独奏ピアノ、
そして親しみやすい旋律、
ロシア人でなければ
書けない旋律が大衆の心を
とらえました。

曲の真価を悟った
ニコライ•ルービンシュテインは潔く自分の非をみとめ、
この曲の普及に力を入れ
1878年のパリの
万国博覧会の際に
他のどんなピアニストよりも
感動的にこの曲を弾くように
なっていたのですが、
第1楽章が終わった時に
ホールに大変な騒ぎが起こり
ました。
パリの聴衆の感動の表現
だったそうです。


チャイコフスキー
ピアノ協奏曲第1番
独奏 マルタ•アルゲリッチ
指揮 シャルル•デュトワ
スイス•ロマンド管弦楽団
(34’57’’)




この曲の名盤と呼ばれている
リヒテルとカラヤンの
共演も貼っておきます。




3Bの一人

2022-12-05 22:56:00 | 日記
東山魁夷の
新しいカレンダーを
頂いてきました。

今日は薄曇りで寒い一日、
夕方には冷たい小雨が
パラつきました。
本格的な寒さの到来です。

クリスマスを待つ馬小屋。
動物が置かれました。


  🥀🥀🥀🥀🥀🥀

シューマンは、
ブラームスが20歳の時に
出会いましたが、
自身の主催する
「音楽新報」に
彼の絶筆となった
「ブラームス論」を
書いています。

ヨハネス・ブラームス
(1833ー1897)

父はコントラバス奏者、
恩人であるシューマンの妻
クララに終生思慕の情を
抱いていたのではないかと
いわれていますが、
シューマンの死後も
クララと子供達を支えて、
ブラームスは生涯独身を
通しました。

ブラームスはバッハ、
べートーヴェンと並んで
ドイツを代表する
作曲家です。
ハンス・フォン・ビューロー
は、この3人を「三大B」と
呼びました。

ブラームスは気に入らない
作品の多くを生前に破棄
していますので、
現存する作品は素晴らしい
ものばかりです。

きらびやかで
楽しい音楽ではなく
地味ですが、
旋律にドイツやハンガリー
の民謡をのぞかせ、
男性的でありながらも
情緒的で、
程よく抑制が効いた
美しい音楽です。

ブラームスが
得意とした楽器は
ピアノでした。
そのピアノの腕前を買い、
伴奏者として
無名の時代から
彼を引き立てたのは
有名なヴァイオリニストの
ヨアヒムで、
ブラームスは彼のために
ヴァイオリン協奏曲を
書いています。

  ✨✨✨✨✨


ブラームスピアノ協奏曲1番

大変に長い作品なので
2楽章の1部分のみ。





最晩年のピアノ作品である
「6つの小品」の第2曲目
「間奏曲」 
演奏 グレン•グールド



クリスマス•キャロル

2022-12-04 22:26:00 | 日記


午前中はべーゼンドルファ
と共に過ごし、
午後からバッハのアリアの
合わせです。
指揮者氏が小さく指揮して
下さると
「バッハはなんて楽しいの」とソプラノの真由子先生は
満面の笑みでしたが
ズレるとたちまち地獄行き。(笑)
スリル満点の曲です。




少し疲れたので簡単三昧。
今夜は茶碗蒸しと
蒸し野菜にしました。
蒸器一つで出来上がります。

茅乃舎の「茶碗蒸しのもと」で更に手抜き。
さつまいもやごぼう、
ブロッコリーなどの野菜+
鶏肉を蒸しましたが、
とりわけ美味しかったのは
皮を剥いたお茄子です。

ちらりとTVで観たので
早速、実践。
蒸し茄子は皮を剥くのと
剥かないのでは味は大違い。
吃驚でした。

ぜひお試しあれ。

  ✨✨✨✨✨✨

思いがけず
フランス人の神父さまの
リハーサルを聴かせて頂いた「Oh holy night」
クリスマス•シーズンには
デパートやスーパーでも
英語の歌詞で
耳にすることが
多いですね。

この曲はフランスに生まれた
アドルフ•シャルル・アダン
が作曲した
クリスマス・キャロルです。
原題は
「Cantique de noel」

フランス語圏では
歌詞の冒頭を取って
「Minuit chretiens」の
名でも親しまれています。

今夜はフランス語
バージョンを聴きながら
休むことに致します。











過激な内容の歌劇

2022-12-03 23:24:00 | 日記
気温が低く寒いのですが
お天気に恵まれ、
きらめくような
きれいな朝でした。

  🍁🍁🍁🍁🍁
  
ジュール•マスネ。
(1842ー1912) 

フランスの作曲家。
パリで活躍したオペラの
作曲家です。
代表作は「ウェルテル」 
《若きウェルテルの悩み》を
題材にしています。
「マノン」 は
《マノン・レスコー》に
基づくオペラです。

「タイス」は高い評価を
得られるようになった
51歳の円熟期の作品で、
アナトール•フランスの小説
《舞姫タイス》を題材に、
舞台は4世紀のエジプト。




若い修道士のアタナエルは
美貌の高級娼婦である
タイスに、娼婦をやめて
信仰の道に入るように説得
するのですが、
タイスに魅惑され堕落して
いくのです。
原作の内容が過激であった
ことから、
パリのオペラ座で行われた
初演は失敗に終わります。
そこでマスネは大幅に改訂し
同じオペラ座で再演、
多くの人々に親しまれる
オペラになりました。

中でも一番親しまれたのが
第1場と2場の間に
演奏される
「タイスの瞑想曲」です。

約5分間の間奏曲ですが、
自分の人生を振り返り、
改心していくタイスの
心の動きを描いていて、
最後は信仰へと
心を開くさま
音で描いています。
  
   ✨✨✨✨✨









ピアノ-フォルテ

2022-12-02 22:52:00 | 日記
この夏の暑さで
一気に大きくなった
椋の木から、
ハラハラ•ハラハラと
落葉が音を立てながら
落ちてくるのです。



落葉いっぱいの庭。💦💦
そんな庭を放ったらかしで
今日はピアノの練習に
出かけました。
 




その昔、鍵盤楽器の
製造業者であった
バルトロメオ•クリストフォリは18世紀の始めに
造りかけたチェンバロを、
更に優れた楽器にしようと
試みました。

当時の鍵盤楽器は
鳥の羽根軸や皮革できた爪で
弦をはじいて音を出して
いましたが、音も小さく、
表現が限られていました。

そこでひっかく代わりに
ハンマーで叩いて
音を出す新しい方法を
取り入れました。
これこそ現代のピアノへの
第一歩でした。




クリストフォリは
大きな音も小さな音も
出すことの出来る楽器を、
フォルテ-ピアノと
名付けます。
しばらくすると
ピアノ−フォルテとなり、
やがてフォルテが取れて
新しい楽器の名はピアノと
なりました。

又、ピアノは同じ音でも
変化に富んだ音質や、
繊細な音色を出す事を
可能にしました。
変化に富んだ音色の
決め手はタッチです。
そして新しい楽器に
付けられたペダルは
画期的な改良の一つでした。

当時のピアノの鍵盤は
54鍵でしたが、
それから300年の間、
改良に改良を重ねて
ドビュッシーの時代に
88鍵なりました。


  ✨✨✨✨✨✨









いつもお世話になっている
ピアノは少しお歳を召した
べーゼンドルファ•インペリアルですが、
アクションはきれいに
リビルドされてピカピカ
です。

今日もピアノの反応に
色々教えられた時間に
なりました。

   ✨✨✨✨✨

シベリウス
「ロマンス」
(3‘04’’)


  








ロミオとジュリエット

2022-12-02 00:11:46 | 日記
12月を迎えた途端に
寒さ厳しい朝。
昨夜は何だか寝付けない
長い時間を布団の中で
過ごしました。

   ✨✨✨✨✨

シェークスピアの戯曲
「ロミオとジュリエット」

チャイコフスキーや
ベルリオーズもこの戯曲を
題材に音楽を書いています。
1934年にプロコフィエフは
レニングラードの
バレエ学校の
創立200年祭で
上演する曲を依頼され、
52曲で構成されるバレエ曲を完成させました。
しかし酷評されて契約を
撤回されてしまいます。

そこでプロコフィエフは
組曲を2つ作り
第1組曲を1936年に
第2組曲を1937年に
レニングラードで発表
しましたが、
彼のオーケストラ音楽の
最高傑作と呼ばれるように
なりました。

バレエはその後、
1938年の12月に
チェコスロバキアで初演
されます。



バレエ
「ロミオとジュリエット」
記念貨幣です。


   ✨✨✨✨✨

イタリアのヴェローナ。
代々、対立を続けている
モンタギュー家の
一人息子のロミオと、
キャビュレット家の
一人娘ジュリエットが
恋に落ち、二人とも
命を落としてしまう
悲劇ですが
その中の
「モンタギュー家と
キャビュレット家」の音楽は
テレビドラマやCMにも
よく使われていますので、
お耳にされることが
多いのでは
ないでしょうか。

ロイヤル・バレエ団
「Dance of the Knights」
(1‘37‘‘)



  ✨✨✨✨✨

「ロミオとジュリエット」
演奏会用組曲は
オーケストラの中に
ピアノも加わります。
半世紀以上も前ですが
山田一雄先生の
熱い指揮に圧倒され、
生きた音楽の魅力に
取り憑かれた
思い出のになりました。




クリスマス・ソング。

2022-12-01 07:09:00 | 日記
いよいよ11月も終わり。


昔、クリスマス・ツリーを
飾りながら聴いたのは
ビング・クロスビーの
ホワイト・クリスマス
でした。

ビング・クロスビー
(1903ー1977)

アメリカの歌手で俳優。
世界初のマルチ・メディア
スターと言われ、
20世紀を代表する世界的な
人気と影響力を持つ音楽家
でした。

彼は1930年代にラジオと
共に普及し始めた
マイクロフォンを使って
声を張り上げずに、
なめらかに発声する歌唱法、
「クルーナー・スタイル」を
最初に確立した歌手として
知られています。
それまでの歌手といえば、
大ホールでオーケストラを
バックに通す声量が
あることが、
一つの条件でした。
ビング・クロスビーは
おさえた低い声で、
ささやくように
情緒を込めて歌う
歌い方を確立して
いきました。



又、クリスマスソングの王様とも呼ばれ、
1942年の第2次世界大戦中に録音された
「ホワイト・クリスマス」は
世界中に5000万枚以上を 
売り上げたとされ
ギネス記録に認定されて
います。
カバー版やLPを含めると
1億枚以上が売れたそうです。






映画「上流社会」より
ビング・クロスビーと
ルイ・アー厶ストロング。




フランク・シナトラと。