原尻の滝に続いて行ったのが「荒城の月」で有名な大分県竹田市の岡城址です。竹田といえば「竹田の子守唄」を思い出しますが、子守唄の竹田は京都府の竹田地方で、こちらは「たけた」です。よく間違われるとバスガイドさんが言っていました。
駐車場に到着し現地ガイドさんの先導で頂上までの約700mを歩き始めましたが、歩くと言うより登るという道で、お年寄りには少しつらそうです。
山城だけあって、石垣はきりたっており、この木の下は70mの崖になっています。木のために崩れかけていて補修工事中です。
山頂は海抜325mで見晴らしのいいところでした。山の上にあるだけに、強固なこの城は本能寺の変後に島津軍が3万の兵で攻めたときも、若干18歳の城主志賀親次はわずか1000の兵で守りぬいたそうです。天守閣のあった所は当時のものは何もなくて、碑がたっていました。明治になって、城が払い下げられ、瓦をとる目的などで岡城も取り壊されました。
登っていく途中に瀧廉太郎の銅像が建っていました。
瀧廉太郎は東京生まれですが内務官僚だった父の転勤にともないあちこちを回り、父の故郷である竹田市にも住んだそうです。そのころに荒廃した岡城址で遊んだことが「荒城の月」の作曲をするときに影響したというのです。「荒城の月」は文部省が中学校唱歌として募集した曲で作詞した土井晩翠は仙台の青葉城をイメージしたそうです。
廉太郎が12歳から14歳まで過ごした家が竹田市にあり、「瀧廉太郎記念館」になっています。
廉太郎の妹の孫がNEWS23の筑紫哲也さんで、筑紫哲也さんはこの記念館の名誉館長をされていたそうです。筑紫さんの写真が飾られていました。
筑紫さんは、今の日本の政治状況をあの世で嘆いておられることでしょう。