大阪圭吉著『銀座幽霊』
収録作は、「三狂人」「銀座幽霊」「寒の夜晴れ」「燈台鬼」「動かぬ鯨群」「花束の虫」「闖入者」「白妖」「大百貨注文者」「人間燈台」「幽霊妻」の11編。
大坂圭吉は、1912年に生まれ、32年に甲賀三郎の推薦により「デパートの絞刑吏」を〈新青年〉に発表し、探偵文壇にデビューした。43年応召、45年7月2日にルソン島にて戦病死したとされている。僅か33歳の生涯だった。
当時の探偵小説界を代表する雑誌〈新青年〉でデビューを果たし、24歳の若さにして最初の著書『死の快走船』を刊行。発表した作品は必ずしも好評ばかりではなかったが、探偵小説家として前途洋々だったと言えるだろう。大阪圭吉の活動期間は、日本探偵小説第二の隆盛期と重なっていて、その点でも恵まれていた。
古典的な正統派である作風は、江戸川乱歩の評論「日本の探偵小説」で次のように評価されたと本作の解説にある。
“理知探偵小説と云ふものを、その本当の意味で掴んでゐる点では、先輩作家の間にも多く類例がないほどだと思ふ”
“たゞその作風がドイル以来の正統派であつて異彩に乏しいこと、これまで発表された全部の作品が悉く短編であつて、謎の提出からその解決までの距離が短く、あれかこれかと読者の理知を働かせ、読者を楽しませる余裕を欠いてゐることなどの為に、その着想と論理との優れてゐる割合には、大きく人をうつ所がないのではあるまいか。”
私は推理小説の解説は最後に読むようにしている(たまにツラッとネタバレを書く解説者がいるからだ)ので乱歩の論評に影響されたわけでは無いのだが、読後の感想は概ねこれと同じだった。多分、誰が読んでも一緒だろう。
論理を重んずるあまり怪奇趣味や意外性が薄くなっている点、人物描写が平板な点が大阪圭吉の欠点だろうか。少ない頁数の中でオチまで語りきるために、全体として駆け足な印象になっているのもマイナスなのかもしれない。
ただ、私自身がそれほど熱心に探偵小説・推理小説を愛好してきた者でないせいか、それらの欠点を加味しても、大阪圭吉という作家のフェアプレー精神に則った創作活動には好ましさを強く感じるのだ。
猟奇趣味者の割に、私があまり探偵小説・推理小説を読まないのは、これまでに嫌な意味で騙された気分になった作品がいくつかあったからだ。大阪圭吉の作品にはその嫌な騙し討ちがない。雰囲気で誤魔化しもしない。だからバッド・エンドな作品でさえ読後感がすごく良い。
僅か50枚前後という窮屈な枚数の中で、探偵作家らしく誰が読んでも納得できる論理と謎を構築しているところに、大阪圭吉の才能と人柄を感じる。一度は忘れられかけた彼の作品が、今日、貴重な本格推理小説として評価されているのは、まさしくこの職人気質ともいえる誠実な創作姿勢によるものだ。
収録作の中では、「三狂人」「動かぬ鯨群」「大百貨注文者」が特に好印象だった。
探偵小説なので、うっかりネタばらししないようにさらっと触れておく。
「三狂人」は、うらぶれた私立脳病院で起こったグロテスクな殺人事件と失踪事件。
「脳味噌を詰め替えなくっちゃア」が口癖だった脳病院の院長が頭をかち割られ脳味噌を取り出されるというブラックな笑いと、「トントン」「歌姫」「怪我人」と呼ばれる三人の入院患者の奇行が気持ち悪くて愉しい。
三人の狂人のあだ名はそれぞれの癖や外見からつけられているのだが、これが事件の説くための重要な鍵となる。
「動かぬ鯨群」は、沈没した捕鯨船に乗っていたはずの砲手が妻の前に姿を現したことから明るみになる捕鯨会社の暗部。探偵小説に加えて社会派小説の渋みもある。
「大百貨注文者」は、誰も頼んだ覚えがないのにゴム会社の社長宅にやってきた火薬店の番頭や弁護士、マネキン・ガールなど七人の奇客の話。彼らが、なぜ、誰に呼ばれたのかが、この後発覚する殺人事件の重要ポイントとなる。収録作の中では最もユーモア色が強い。
日中戦争以降、急速に戦時体制を強めた日本において、殺人事件を扱う探偵小説の執筆は困難になった。そんな時世に合わせて大阪はユーモア探偵小説路線に切り替えていくのだが、本作の収録作にもチラホラみられるお笑い要素から、大阪にはユーモア探偵小説の適性があったと思われる。
しかし、戦争の深刻化はユーモア探偵小説の執筆すら困難にした。
1943年、ついに大阪は招集される。満州からフィリピンへと転戦し、終戦の年にルソン島にて戦病死。戦地に赴く前に本格長編推理小説を書き上げ、甲賀三郎に託したと伝えられているが、甲賀の急逝により原稿は行方不明となっている。もし発見されれば、大坂の唯一の長編小説となるのだが、どのようなものであったか。
大阪圭吉は、戦争によって摘まれてしまった多くの才人のなかの一人だ。
若し、彼にもっと多くの時間があったなら、どんな作品を発表しただろうか。本来のフィールドである本格探偵小説で大作を書き上げたかもしれないし、笑いのセンスを生かしたユーモア探偵小説を書いたかもしれない。
何れのジャンルにしても、江戸川乱歩が『死の快速船』の「序」で述べた“その興味と情熱の純粋性に於いては、探偵文壇に比類なし”の大阪の作品は、長く愛されるものになったと思うのだ。
収録作は、「三狂人」「銀座幽霊」「寒の夜晴れ」「燈台鬼」「動かぬ鯨群」「花束の虫」「闖入者」「白妖」「大百貨注文者」「人間燈台」「幽霊妻」の11編。
大坂圭吉は、1912年に生まれ、32年に甲賀三郎の推薦により「デパートの絞刑吏」を〈新青年〉に発表し、探偵文壇にデビューした。43年応召、45年7月2日にルソン島にて戦病死したとされている。僅か33歳の生涯だった。
当時の探偵小説界を代表する雑誌〈新青年〉でデビューを果たし、24歳の若さにして最初の著書『死の快走船』を刊行。発表した作品は必ずしも好評ばかりではなかったが、探偵小説家として前途洋々だったと言えるだろう。大阪圭吉の活動期間は、日本探偵小説第二の隆盛期と重なっていて、その点でも恵まれていた。
古典的な正統派である作風は、江戸川乱歩の評論「日本の探偵小説」で次のように評価されたと本作の解説にある。
“理知探偵小説と云ふものを、その本当の意味で掴んでゐる点では、先輩作家の間にも多く類例がないほどだと思ふ”
“たゞその作風がドイル以来の正統派であつて異彩に乏しいこと、これまで発表された全部の作品が悉く短編であつて、謎の提出からその解決までの距離が短く、あれかこれかと読者の理知を働かせ、読者を楽しませる余裕を欠いてゐることなどの為に、その着想と論理との優れてゐる割合には、大きく人をうつ所がないのではあるまいか。”
私は推理小説の解説は最後に読むようにしている(たまにツラッとネタバレを書く解説者がいるからだ)ので乱歩の論評に影響されたわけでは無いのだが、読後の感想は概ねこれと同じだった。多分、誰が読んでも一緒だろう。
論理を重んずるあまり怪奇趣味や意外性が薄くなっている点、人物描写が平板な点が大阪圭吉の欠点だろうか。少ない頁数の中でオチまで語りきるために、全体として駆け足な印象になっているのもマイナスなのかもしれない。
ただ、私自身がそれほど熱心に探偵小説・推理小説を愛好してきた者でないせいか、それらの欠点を加味しても、大阪圭吉という作家のフェアプレー精神に則った創作活動には好ましさを強く感じるのだ。
猟奇趣味者の割に、私があまり探偵小説・推理小説を読まないのは、これまでに嫌な意味で騙された気分になった作品がいくつかあったからだ。大阪圭吉の作品にはその嫌な騙し討ちがない。雰囲気で誤魔化しもしない。だからバッド・エンドな作品でさえ読後感がすごく良い。
僅か50枚前後という窮屈な枚数の中で、探偵作家らしく誰が読んでも納得できる論理と謎を構築しているところに、大阪圭吉の才能と人柄を感じる。一度は忘れられかけた彼の作品が、今日、貴重な本格推理小説として評価されているのは、まさしくこの職人気質ともいえる誠実な創作姿勢によるものだ。
収録作の中では、「三狂人」「動かぬ鯨群」「大百貨注文者」が特に好印象だった。
探偵小説なので、うっかりネタばらししないようにさらっと触れておく。
「三狂人」は、うらぶれた私立脳病院で起こったグロテスクな殺人事件と失踪事件。
「脳味噌を詰め替えなくっちゃア」が口癖だった脳病院の院長が頭をかち割られ脳味噌を取り出されるというブラックな笑いと、「トントン」「歌姫」「怪我人」と呼ばれる三人の入院患者の奇行が気持ち悪くて愉しい。
三人の狂人のあだ名はそれぞれの癖や外見からつけられているのだが、これが事件の説くための重要な鍵となる。
「動かぬ鯨群」は、沈没した捕鯨船に乗っていたはずの砲手が妻の前に姿を現したことから明るみになる捕鯨会社の暗部。探偵小説に加えて社会派小説の渋みもある。
「大百貨注文者」は、誰も頼んだ覚えがないのにゴム会社の社長宅にやってきた火薬店の番頭や弁護士、マネキン・ガールなど七人の奇客の話。彼らが、なぜ、誰に呼ばれたのかが、この後発覚する殺人事件の重要ポイントとなる。収録作の中では最もユーモア色が強い。
日中戦争以降、急速に戦時体制を強めた日本において、殺人事件を扱う探偵小説の執筆は困難になった。そんな時世に合わせて大阪はユーモア探偵小説路線に切り替えていくのだが、本作の収録作にもチラホラみられるお笑い要素から、大阪にはユーモア探偵小説の適性があったと思われる。
しかし、戦争の深刻化はユーモア探偵小説の執筆すら困難にした。
1943年、ついに大阪は招集される。満州からフィリピンへと転戦し、終戦の年にルソン島にて戦病死。戦地に赴く前に本格長編推理小説を書き上げ、甲賀三郎に託したと伝えられているが、甲賀の急逝により原稿は行方不明となっている。もし発見されれば、大坂の唯一の長編小説となるのだが、どのようなものであったか。
大阪圭吉は、戦争によって摘まれてしまった多くの才人のなかの一人だ。
若し、彼にもっと多くの時間があったなら、どんな作品を発表しただろうか。本来のフィールドである本格探偵小説で大作を書き上げたかもしれないし、笑いのセンスを生かしたユーモア探偵小説を書いたかもしれない。
何れのジャンルにしても、江戸川乱歩が『死の快速船』の「序」で述べた“その興味と情熱の純粋性に於いては、探偵文壇に比類なし”の大阪の作品は、長く愛されるものになったと思うのだ。