青い花

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古典落語〔正〕

2018-10-25 07:31:55 | 日記
興津要編『古典落語〔正〕』は、「古典落語 上・下」(1972年刊)の合本。
「明烏」「三人旅」「厩火事」「千早振る」「そこつ長屋」「三方一両損」「たがや」「居残り佐平次」「目黒のさんま」「小言幸兵衛」「道具屋」「時そば」「芝浜」「寿限無」「三枚起請」「崇徳院」「野ざらし」「青菜」「らくだ」「がまの油」「子別れ」の21編を収録。

話芸を活字で読むのは正しい楽しみ方ではないかもしれないが、落語はある程度知識がないと笑いどころが理解できないので、予備知識を得るために本書を手にした。

巻末に収録されている興津要による「落語の歴史」は、落語初心者向けの良いガイドである。
〈らくご〉という読み方が完全に普及したのは昭和になってから、との解説には大変驚かされた。少なくとも江戸時代には普及していたと思っていたので…。

落語は江戸時代の初めは〈はなし〉といわれていた。
それが、天和・貞享(1681~88)以後は、上方中心に〈軽口〉〈軽口ばなし〉と呼ばれるようになる。上方用語である〈軽口〉時代は、明和・安永時代(1764~81)に上方文学に衰退とともに終わる。その後、舞台が主として江戸に移り、江戸小咄時代に入ると、〈落とし噺〉と呼ばれるようになった。
〈落語〉という文字が使用され始めたのは、天明年間(1781~89)からだが、当時は〈らくご〉とは読まず、〈おとしばなし〉と呼んでいたのだそうだ。落語ということばに歴史あり、である。

無論、落語そのものの歴史についての解説も丁寧である。
落語家の先祖は、なんと戦国時代のお伽衆まで遡れるのだ。
もっとも彼らの笑話『戯言養気集』(元和活字本)は、信長、秀吉、秀次などの武将に関するエピソードが多く、純粋の笑話ばかりではないのだけど。

テキストとして読むことにした本書であるが、ショートショート集としても秀逸であった。
くだらない馬鹿話から泣かせる人情噺まで古典落語の有名作を網羅している。並びも短めの噺から始まり、「らくだ」や「子別れ」など長めの噺を終わりの方に持ってきているのが、落語慣れしていない読者にはありがたい。


私のお気に入りは、「厩火事」「そこつ長屋」「らくだ」の3編だ。

「厩火事」は、働き者の髪結いの女が年下のヒモ亭主に惚れぬいていることから起こったもめ事が中心の話。

年上であるがゆえに若い亭主の愛情を信じ切れない女房が、それを仲人に相談する。
自分は亭主の不平を言うくせに、仲人が亭主をけなし始めると、途端に亭主の擁護にまわるのが、うざったくもあり可愛くもあり。
仲人から別れた方が良いと言われても、それが女房の欲しいアドバイスではないので、四の五の言って話が進まない。

そんな女房に、仲人は孔子の厩火事のエピソードを持ち出して亭主の心を試すように勧めてみるのだが、女房は孔子が何者か分かっていないので話が噛み合わない。そこで、仲人は孔子の話とはあべこべの内容の麹町の殿様の瀬戸物の話を聞かせる。女房の亭主が偶々瀬戸物愛好家なので、こちらの方が話の通りが良かった。
要するに、亭主の一番大事にしている瀬戸物をうっかりを装って割って、その時の亭主の反応で愛情が有無を探るという作戦なのだ。

一足先にうちへ行って、亭主に瀬戸物のことを聞かずに、女房の体の心配をするように言って欲しいと、仲人に工作を頼む女房のいじらしさに対して、亭主の放った一言が酷い。いっそ清々しいくらいのクズっぷりであるが、往々にして、この手の男には妙な愛嬌があるから女房と別れたとしても新たな寄生先には困らないし、絶対心を入れ替えてはくれないだろう。結局は惚れた方が負けというオチである。


「そこつ長屋」の原話は寛政頃の笑話本『絵本噺山科』にある。この話にいろいろ肉付けされて現在の「そこつ長屋」になった。

ある長屋に住む仲良し二人組のやり取りが主なのだけど、いっぽうがまめでそそっかしく、いっぽうが無精でそそっかしいという、ボケとボケの組み合わせなので、ありえないような内容の会話がスピーディに展開していく。収録作品の中で最も生で聞きたいと思ったのがこの噺だ。

兄貴(まめでそそっかしい方の男)が、雷門付近で、菰を被せられた行きだおれの死体を見かけて、こいつは熊の野郎(無精でそそっかしい方の男)に違いないと訴える。
この時点で既に一人合点ばかりで、何を言っているのかさっぱりだ。絡まれた番人らしき男の「わからない人が出て来たな…」「こまるな、この人は…」等のボヤキには全文同意である。

兄貴はまめな男らしくとっとと長屋に帰ると、寝ている熊公を叩き起こして、「おめえの死骸を引き取りに行くのさ」などと言い出す。
熊公の方は死んだ覚えがないので驚くが、兄貴から「驚いている場合じゃねえ」と急き立てられ、大勢の人々に注目されているのに恥らいながら、自分の死体を引き取りに来たと、番をしている男に申し出る。番人の「こまるな。おんなじような人がもう一人増えちまって…」とのボヤキには心の底から同情してしまう。

最後、自分の死骸(らしき行きだおれ)を抱きかかえた熊公の「抱かれてるのはたしかにおれだけれど、抱いているおれは、いったいどこのだれなんだろう」の台詞は最高に間抜けで、哲学的な風格すら漂わせている。お腹の底から笑える名作だ。


「らくだ」は、ホラー的な雰囲気の中で、裏長屋に住む庶民の生活を浮き彫りにした力作。
どんな人間でも酒を飲むとそれなりに変わるものだが、らくだの兄貴分とくず屋の性格が酒量に比例してじわじわと逆転していく描写には、得体の知れない滑稽味と不気味を覚える。

ある長屋に馬という名前の男が住んでいた。
この男は乱暴で金と酒にだらしなく、とてもではないが好人物とは言い難い。大きな図体でノソノソと動く姿は、本名の馬よりらくだを彷彿とさせるので、誰もがらくだと呼ぶのだった。

ある日の昼過ぎ、らくだの住む長屋を訪ねた兄貴分が、布団の中で死んでいるらくだを発見する。
さっそく葬式の算段を立て始めた兄貴分。そこへ運悪くやって来たくず屋にらくだの持ち物を売り払おうとするが、この家にはガラクタしかないと言われてしまう。
そこで、兄貴分はまだ仕事中だと渋るくず屋の商売道具を取り上げて、脅したりすかしたりしながら、月番や大家のもとに出向いて香典と酒と煮しめをせびってくるように言い含める。しかし、らくだの心証は死してなお最悪なため、誰からも一銭も出してもらえなかった。

すると、兄貴分は口から血反吐を垂れ流しているらくだの死骸をくず屋に背負わせて、いいように処置をつけてくれないなら座敷で死骸にかんかんのうを踊らせる、と脅して来いと言い出すのだった。
これに参った大家たちから目当ての金品をせしめるのに成功した兄貴分は、今度は同じやりかたで八百屋から早桶代わりの四斗樽を手に入れようとする。これにも成功した二人は、樽に死骸を放り込むと酒盛りを始めるのだが…。

飲むほどに酔うほどに性格の入れ替わっていく二人の人物の会話の推移は、短編小説としても傑作なのだが、落語は一人の落語家が演じるもの。よほどの巧手でなければ、耳で聞いただけで、この噺の可笑しさ怖さを観客に理解させるのは難しいだろう。
血を吐いて死んでいるらくだの死骸発見から始まって、死骸を背負って踊らせるという不謹慎。途中で落っことした死骸と間違えて樽に突っ込んだ願人坊主を火にかけてしまうという恐ろしい展開。「あつい、あつい、あつ、あつ、あつ…」と騒ぐ願人坊主を見ながら、「ここは、日本一の火屋(ひや)だ」「ああ、冷酒(ひや)でもいいからもう一ぱい」と、火葬と酒をかけて締める狂ったオチまで、落語としては長い噺でありながらすべてが笑える無駄のない構成である。
ところで、らくだの死骸が踊らされたかんかんのう踊りとは、唐人踊りとも言われ、江戸時代後期に流行した異風な踊りのことなのだそうだ。兄貴分とくず屋がらくだの死骸を人形の様に操りながら、手拍子を叩いて謳っている様子を想像すると、おおらかな時代だったのだなあと、妙に感心してしまうのだった。
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