長野旅行・その2は善光寺です。
実は元々の計画では、松本城の後はすぐに上野城に行く予定でした。が、行きの道が思ったより混雑していなかったので、少し時間に余裕が出来て善行寺詣を思いついた次第です。うちのカーナビが古過ぎるせいで、途中妙な道に誘導されて松本城から善光寺に到着するまで二時間以上かかりましたが……。
私たちは、本堂→山門→経蔵の順に見て回りました。
いずれも内部の撮影は禁止です。
なので、今回のブログは旅行記にしては画像の枚数が少ないです。
善光寺は日本最古の仏像といわれる「一光三尊阿弥陀如来」を本尊とする無宗派の単立仏教寺院です。
古来より「遠くとも一度は参れ善光寺」と、多くの参拝客を集めているのはそういう間口の広さのせいかもしれません。
駐車場から本堂へ。
途中、ドローン禁止の看板を見て、未成年がドローンの墜落事故を起こしたのが、善光寺の御開帳の最中だったなと思い出しました。
国宝「本堂」。
国宝の木造建築としては、高さ約29m間口約24m奥行約54mという、東日本では最大級、全国でも4番目の大きさです。
本堂は度重なる火災で焼失し、その度に再建されてきました。現在の本堂は、1707年(宝永元年)再建です。奥に「お戒壇巡り」の入り口があります。
本堂では、夫と娘コメガネが有名な「びんずる尊者」を撫でまわしていました。
コメガネは体のどこも痛めていないのですが、「びんずる尊者」を撫でるという行為自体が楽しかったようです。夫は右肩を撫でていました。そういうのも心のアルバムに留めておいて。
あと、コメガネは境内の売店で数珠を買っていました。
紫の玉がキラキラしているのが可愛く見えたそうです。そろそろ自分自身の数珠を持っていても良い年頃かも。
重要文化財「山門」。寛延三年(1750)に建立。
地震による損傷や老朽化のため、平成十四年10月から平成十九年12月まで、山門としては初の大規模な修復工事となる平成大修理を実施しました。
山門の上から見る風景。転落防止のネット越し。
前回のブログにも書きましたが、この日は37度もあって善光寺の敷地内ですでにグッタリでした。
もうお昼をとうに過ぎていましたが、何も食べる気が起きず、そのまま上田城址に移動。車中で水やお茶をがぶがぶ飲みましたが、飲んでも飲んでも体が水分を欲している感じがしました。
次回のブログは、長野旅行・その3上田城址の予定です。
実は元々の計画では、松本城の後はすぐに上野城に行く予定でした。が、行きの道が思ったより混雑していなかったので、少し時間に余裕が出来て善行寺詣を思いついた次第です。うちのカーナビが古過ぎるせいで、途中妙な道に誘導されて松本城から善光寺に到着するまで二時間以上かかりましたが……。
私たちは、本堂→山門→経蔵の順に見て回りました。
いずれも内部の撮影は禁止です。
なので、今回のブログは旅行記にしては画像の枚数が少ないです。
善光寺は日本最古の仏像といわれる「一光三尊阿弥陀如来」を本尊とする無宗派の単立仏教寺院です。
古来より「遠くとも一度は参れ善光寺」と、多くの参拝客を集めているのはそういう間口の広さのせいかもしれません。
駐車場から本堂へ。
途中、ドローン禁止の看板を見て、未成年がドローンの墜落事故を起こしたのが、善光寺の御開帳の最中だったなと思い出しました。
国宝「本堂」。
国宝の木造建築としては、高さ約29m間口約24m奥行約54mという、東日本では最大級、全国でも4番目の大きさです。
本堂は度重なる火災で焼失し、その度に再建されてきました。現在の本堂は、1707年(宝永元年)再建です。奥に「お戒壇巡り」の入り口があります。
本堂では、夫と娘コメガネが有名な「びんずる尊者」を撫でまわしていました。
コメガネは体のどこも痛めていないのですが、「びんずる尊者」を撫でるという行為自体が楽しかったようです。夫は右肩を撫でていました。そういうのも心のアルバムに留めておいて。
あと、コメガネは境内の売店で数珠を買っていました。
紫の玉がキラキラしているのが可愛く見えたそうです。そろそろ自分自身の数珠を持っていても良い年頃かも。
重要文化財「山門」。寛延三年(1750)に建立。
地震による損傷や老朽化のため、平成十四年10月から平成十九年12月まで、山門としては初の大規模な修復工事となる平成大修理を実施しました。
山門の上から見る風景。転落防止のネット越し。
前回のブログにも書きましたが、この日は37度もあって善光寺の敷地内ですでにグッタリでした。
もうお昼をとうに過ぎていましたが、何も食べる気が起きず、そのまま上田城址に移動。車中で水やお茶をがぶがぶ飲みましたが、飲んでも飲んでも体が水分を欲している感じがしました。
次回のブログは、長野旅行・その3上田城址の予定です。