オスカー・ワイルド著『アーサー・サヴィル卿の犯罪』には、ボルヘスによる序文と、「アーサー・サヴィル卿の犯罪」「カンタヴィルの幽霊」「幸せの王子」「ナイチンゲールと薔薇」「わがままな大男」の5編が収録されている。
本書は、ボルヘス編集の“バベルの図書館“(全30巻)の6巻目にあたる。私にとっても6冊目の”バベルの図書館“の作品である。
ワイルドと言えば、本書にも収録されている「幸せの王子」の他には、「ドリアン・グレイの肖像」と「サロメ」の二作しか読んだことがなくて、デカダンスな作家というイメージが強かった。それも的外れではないのだろうが、本書を読んでみるとワイルドとは案外軽妙な作風の作家でもあったのだなと、認識を改めたのだった。
ボルヘスは序文で、“他の著作家たちが深淵そうに見せようと努力するのとは違ってワイルドは、ハイネと同様、本質的に浮薄であったし、またそう見せようと努力していた。その浮薄に見えるというところがいまでは彼の名声を損なっている。”と述べているが、私は寧ろ、本書によってワイルドの浮薄さを知り、彼の著作に興味を持ったのだった。言われてみれば、彼の作品からは、悲劇に終わる作品からでさえ、生みの苦しみといった重さは感じられない。
ワイルドは親族にこんなことを言ったのだそうだ。
“なるほどぼくはオスカー・フィンガル・オウフレアティ・ウィルズ・ワイルドさ。でも飛行船が、高く上がるために重荷をつぎつぎに投げ落として行くように、ぼくもいまやすでにオスカー・ワイルドになるに至った。いずれ未来の世代に対しては、ぼくはワイルドかオスカーだけになるだろう。”
人々に忘れられ貧窮の中で死亡したワイルドは、生涯かけて浮薄を貫いた。本書の中で、ワイルドの浮薄精神が特に生きているのが、「アーサー・サヴィル卿の犯罪」と「カンタヴィルの幽霊」の二作である。
「アーサー・サヴィル卿の犯罪」は、主人公のアーサー・サヴィル卿が、美貌と無軌道ぶりで評判のウィンダミア夫人の夜会で、手相術師ポジャーズ氏が客人たちを占っているのを見かける場面から始まる。
アーサー卿はたいそう裕福な青年で、シビル・マートンという婚約者を持つ身だった。彼はポジャーズ氏に興味を持ち、ウィンダミア夫人の仲介で占って貰うことにした。
その場で、アーサー卿は、彼が三ヶ月以内に船旅に出ることと、遠縁の身内を一人亡くすことを告げられる。鑑定はそれで終了したが、アーサー卿は、ポジャーズ氏が一瞬浮かべた恐怖の表情を見逃さなかった。ポジャーズ氏はきっと、アーサー卿の掌から今告げたこと以上の運命を見たに違いない。
“それは何と気ちがいじみた理不尽なことか!恐ろしい罪の秘密、血塗られた犯罪のしるしが、自分の手に記されている、それも自分には読めないが他人には見分けのつく文字で記されている、というようなことがあってよいものか?逃れるみちはないのか?”
凶事の予感に怯えたアーサー卿は、ポジャーズ氏と二人きりになる機会を捉えると、先ほど述べた以外に何が見えたのか教えて欲しいと頼み込み、ポジャーズ氏の事務所で占ってもらう予約を取り付けたのだった。
果たして、鑑定を受けたアーサー卿は、真っ青になってポジャーズ氏の事務所を出ることになった。アーサー卿の掌には、彼が殺人を犯すという狂相が現れていたのだ。
彼は茫然となった。そして、何故か、殺人の宿命から逃れる方法を考えるのではなく、誰かを殺さないうちはシビルとの婚礼は挙げられない、殺人を遂行してしまうまでは結婚する資格はないと思い込んだのだった。
その時から、アーサー卿は滑稽なまでの気真面目さで、殺人の遂行のために奔走する。
彼は、便箋に自分の友人・親戚の名前を書きだして、熟考の末に、母方のまたいとこクレメンティーナ・ビーチャム夫人をターゲットに選んだ。そして、殺害方法を毒殺と決めると、持ち前の行動力をもって、目当ての品を手に入れ、夫人のもとを訪ねるのだった。
アーサー卿は、夫人との歓談の中で、胸やけに苦しむ彼女に、アメリカ製の特効薬と偽って、銀のボンボン入れに致死量のアコニチンのカプセルを入れて渡すと、飲み忘れることの無いよう念を押して辞去した。そして、その晩のうちに、理由も言わずに(当然である)シビルに結婚の延期を告げると、泣き崩れる彼女を宥めて、翌朝にはヴェネツィアに旅立ったのだった。
アーサー卿は、ヴェネツィアでクレメンティーナ夫人の訃報をじりじりしながら待ち続けた。そして、22日目にして漸く夫人の死亡通知を受け取ると、足取りも軽くロンドンに舞い戻ったのだった。
ところが、アーサー卿は夫人の遺品の整理中に、例のボンボン入れの中にまだカプセルが入っているのを見つけて驚愕する。夫人の死は単なる病死だったのだ。これでは、シビルと結婚できない。彼は呻きを漏らし、ソファーに沈み込んだ。
再度の婚礼の延期に、シビルの両親は心を痛め、破談にさせようと娘の説得に努め始めた。
アーサー卿は数日で絶望から立ち直ると、友人・親戚のリストを再検討し、今度はチチェスターの司祭長をしている叔父の爆殺計画を立て、速やかに準備を進めた。
彼は、ウィンダミア夫人の邸宅で知り合った革命家気質のルヴァロフ伯爵のことを思い出すと、伯爵からテロリストのヴィンケルコップ氏を紹介してもらう。ヴィンケルコップ氏に面会してみると、この人物もまた、ウィンダミア夫人の屋敷で会ったことのある人物だった。ウィンダミア夫人の顔が広いのか、アーサー卿の行動範囲が狭いのか、ちょっとよく分からない。ともあれ、時限爆弾を製造してもらうと、彼はさっそく叔父のもとに仕掛けに行った。
その日から、アーサー卿は、各種の新聞に目を通し、叔父の死を告げる記事を探し続けた。しかし、待てど暮らせど、どの新聞もチチェスターの司祭長については一言も触れない。爆弾装置は何と三ヶ月も経ったから爆発したが、当の司祭長はその六週間前に町を去っていたのだった。
アーサー卿は、激しく絶望した。
彼は殺人を犯すために誠心誠意尽くしたのだ。しかし、運命の女神は二度も彼を裏切った。善意の不毛さに打ちひしがれた彼は、もう結婚を破談にしてしまおうかと考えた。
そんなアーサー卿が、深夜クレオパトラズ・ニードルの近くを歩いていると、一人の男が川べりの欄干に凭れかかっているのが見えた。
ポジャーズ氏だった!
その時、アーサー卿の頭に名案が閃いた。彼は後ろから忍び寄ると、ポジャーズ氏の両足を抱えて、テムズ河に放り込んだ。
続く数日間、彼は絶望と不安の間を行き来していた。が、ついに待ち焦がれたそれが訪れた。給仕が届けた夕刊に、手相術師ポジャーズ氏の自殺を報じる記事が載っていたのだ。アーサー卿は新聞を手にしたまま外に飛び出すと、マートン家に向かい、シビルに明日結婚しようと告げたのだった。
数年後、彼らは男女二人の子供の親になっていた。
ウィンダミア夫人がオールトン・プライオリに一家を訪ねてきた。相変わらず浮名を流すことと珍しい人物を贔屓することに忙しいウィンダミア夫人は、とっくの昔に手相術には飽きていた。しかし、アーサー卿は、自分達夫婦の幸せが手相術に拠るものと信じて疑わない。
「ぼくの生涯の幸福はすべてそのおかげなんですから」と言うアーサー卿に、ウィンダミア夫人は、「そんなばからしい話って、生まれてこの方聞いたことありませんよ」と答えたのだった。
なんとも滑稽で皮肉な物語だった。ウィンダミア夫人の最後の台詞には、多くの読者が頷くのではないだろうか。
怨恨や金銭目的から殺人を犯す話はよくあるが、幸せな結婚のためとは、殺人の動機としてかなり個性的である。手相術師の鑑定を信じたアーサー卿は、気違いじみた思い込みの激しさと有り余る行動力で、愛するシビルと結ばれるため殺人の成就に奔走する。しかも、犠牲者として選んだ二人の親族は、アーサー卿が好いている人物なのだ。
アーサー卿は二度に渡って殺人に失敗する。これはもう、占いが外れたということではないのか。彼は殺人者になる運命ではなかったのだ。良かった、良かった。普通だったらそう思うのではないか。そもそも普通だったら、端から殺人を犯すなんて鑑定は信じないか…。
しかし、普通でない真面目さと誠実な魂の持ち主であるアーサー卿は、占いに沿うように、己の人生を矯正するのである。その結果、アーサー卿の運命を鑑定したポジャーズ氏が、アーサー卿の殺人の犠牲者となる。ポジャーズ氏は、アーサー卿が三ヶ月以内に船旅に出ること、親戚を一人亡くすこと、殺人を犯すことを当てたが、自分が彼に殺されることは予見できなかった。何という皮肉であろう。
アーサー卿がたかだか手相術師の鑑定を信じ込んでしまった理由も希薄なら、殺人を成功させなければ幸せな結婚が出来ないと思い詰めた理由もよく分からない。彼の心理が何一つ理解出来ないながらも、必死に奔走する様が異様に面白くてスイスイ読み進めることが出来た。当の手相術師を殺害しておきながら、手相術のおかげで幸せになれたと感謝しているのにもクスッとなる。
おまけにアーサー卿夫妻の結婚式を執り行ったのは、アーサー卿が爆殺しようとしたチチェスターの司祭長なのだ。信じられないくらい馬鹿げた展開だが、アーサー卿自身は、己を罪深いとも滑稽とも思っていない。喜劇とは、演者が真剣でないと笑えないものだ。
「カンタヴィルの幽霊」もまた、本人が真剣になればなるほど、読者には滑稽に見える物語だった。
カタンヴィル卿の屋敷に憑りついているサー・サイモンの幽霊は、その禍々しい容貌で、長年カタンヴィル家の人々や使用人達を驚かし、時には死に至らしめることもあった。
ところが、屋敷がアメリカ人のオーティス一家に買い取られたことで、彼の人生(?)が大きく変わってしまう。オーティス一家は幽霊など恐れないドライな現代っ子だった。
かくてサー・サイモンは、オーティス家の大人たちからは、顔色が悪いわよと薬を勧められたり、ぶら下げている鎖が錆びているよと油を渡されたりするはめになる。子供たちからは罠に嵌められ、ずぶ濡れになったり、煤まみれになったりする。何とか復讐を誓い、挑戦を繰り返すが、罰当たりなアメリカ人どもには一向に通じず、連敗記録を更新するばかり。それでも、サー・サイモンもオーティス一家も幸せになって物語が終わるのである。この展開の鮮やかさに、ワイルドという人は、苦しむことなく物語を紡ぎだすことが出来る真の天才なのだなと思い知らされたのだった。
本書は、ボルヘス編集の“バベルの図書館“(全30巻)の6巻目にあたる。私にとっても6冊目の”バベルの図書館“の作品である。
ワイルドと言えば、本書にも収録されている「幸せの王子」の他には、「ドリアン・グレイの肖像」と「サロメ」の二作しか読んだことがなくて、デカダンスな作家というイメージが強かった。それも的外れではないのだろうが、本書を読んでみるとワイルドとは案外軽妙な作風の作家でもあったのだなと、認識を改めたのだった。
ボルヘスは序文で、“他の著作家たちが深淵そうに見せようと努力するのとは違ってワイルドは、ハイネと同様、本質的に浮薄であったし、またそう見せようと努力していた。その浮薄に見えるというところがいまでは彼の名声を損なっている。”と述べているが、私は寧ろ、本書によってワイルドの浮薄さを知り、彼の著作に興味を持ったのだった。言われてみれば、彼の作品からは、悲劇に終わる作品からでさえ、生みの苦しみといった重さは感じられない。
ワイルドは親族にこんなことを言ったのだそうだ。
“なるほどぼくはオスカー・フィンガル・オウフレアティ・ウィルズ・ワイルドさ。でも飛行船が、高く上がるために重荷をつぎつぎに投げ落として行くように、ぼくもいまやすでにオスカー・ワイルドになるに至った。いずれ未来の世代に対しては、ぼくはワイルドかオスカーだけになるだろう。”
人々に忘れられ貧窮の中で死亡したワイルドは、生涯かけて浮薄を貫いた。本書の中で、ワイルドの浮薄精神が特に生きているのが、「アーサー・サヴィル卿の犯罪」と「カンタヴィルの幽霊」の二作である。
「アーサー・サヴィル卿の犯罪」は、主人公のアーサー・サヴィル卿が、美貌と無軌道ぶりで評判のウィンダミア夫人の夜会で、手相術師ポジャーズ氏が客人たちを占っているのを見かける場面から始まる。
アーサー卿はたいそう裕福な青年で、シビル・マートンという婚約者を持つ身だった。彼はポジャーズ氏に興味を持ち、ウィンダミア夫人の仲介で占って貰うことにした。
その場で、アーサー卿は、彼が三ヶ月以内に船旅に出ることと、遠縁の身内を一人亡くすことを告げられる。鑑定はそれで終了したが、アーサー卿は、ポジャーズ氏が一瞬浮かべた恐怖の表情を見逃さなかった。ポジャーズ氏はきっと、アーサー卿の掌から今告げたこと以上の運命を見たに違いない。
“それは何と気ちがいじみた理不尽なことか!恐ろしい罪の秘密、血塗られた犯罪のしるしが、自分の手に記されている、それも自分には読めないが他人には見分けのつく文字で記されている、というようなことがあってよいものか?逃れるみちはないのか?”
凶事の予感に怯えたアーサー卿は、ポジャーズ氏と二人きりになる機会を捉えると、先ほど述べた以外に何が見えたのか教えて欲しいと頼み込み、ポジャーズ氏の事務所で占ってもらう予約を取り付けたのだった。
果たして、鑑定を受けたアーサー卿は、真っ青になってポジャーズ氏の事務所を出ることになった。アーサー卿の掌には、彼が殺人を犯すという狂相が現れていたのだ。
彼は茫然となった。そして、何故か、殺人の宿命から逃れる方法を考えるのではなく、誰かを殺さないうちはシビルとの婚礼は挙げられない、殺人を遂行してしまうまでは結婚する資格はないと思い込んだのだった。
その時から、アーサー卿は滑稽なまでの気真面目さで、殺人の遂行のために奔走する。
彼は、便箋に自分の友人・親戚の名前を書きだして、熟考の末に、母方のまたいとこクレメンティーナ・ビーチャム夫人をターゲットに選んだ。そして、殺害方法を毒殺と決めると、持ち前の行動力をもって、目当ての品を手に入れ、夫人のもとを訪ねるのだった。
アーサー卿は、夫人との歓談の中で、胸やけに苦しむ彼女に、アメリカ製の特効薬と偽って、銀のボンボン入れに致死量のアコニチンのカプセルを入れて渡すと、飲み忘れることの無いよう念を押して辞去した。そして、その晩のうちに、理由も言わずに(当然である)シビルに結婚の延期を告げると、泣き崩れる彼女を宥めて、翌朝にはヴェネツィアに旅立ったのだった。
アーサー卿は、ヴェネツィアでクレメンティーナ夫人の訃報をじりじりしながら待ち続けた。そして、22日目にして漸く夫人の死亡通知を受け取ると、足取りも軽くロンドンに舞い戻ったのだった。
ところが、アーサー卿は夫人の遺品の整理中に、例のボンボン入れの中にまだカプセルが入っているのを見つけて驚愕する。夫人の死は単なる病死だったのだ。これでは、シビルと結婚できない。彼は呻きを漏らし、ソファーに沈み込んだ。
再度の婚礼の延期に、シビルの両親は心を痛め、破談にさせようと娘の説得に努め始めた。
アーサー卿は数日で絶望から立ち直ると、友人・親戚のリストを再検討し、今度はチチェスターの司祭長をしている叔父の爆殺計画を立て、速やかに準備を進めた。
彼は、ウィンダミア夫人の邸宅で知り合った革命家気質のルヴァロフ伯爵のことを思い出すと、伯爵からテロリストのヴィンケルコップ氏を紹介してもらう。ヴィンケルコップ氏に面会してみると、この人物もまた、ウィンダミア夫人の屋敷で会ったことのある人物だった。ウィンダミア夫人の顔が広いのか、アーサー卿の行動範囲が狭いのか、ちょっとよく分からない。ともあれ、時限爆弾を製造してもらうと、彼はさっそく叔父のもとに仕掛けに行った。
その日から、アーサー卿は、各種の新聞に目を通し、叔父の死を告げる記事を探し続けた。しかし、待てど暮らせど、どの新聞もチチェスターの司祭長については一言も触れない。爆弾装置は何と三ヶ月も経ったから爆発したが、当の司祭長はその六週間前に町を去っていたのだった。
アーサー卿は、激しく絶望した。
彼は殺人を犯すために誠心誠意尽くしたのだ。しかし、運命の女神は二度も彼を裏切った。善意の不毛さに打ちひしがれた彼は、もう結婚を破談にしてしまおうかと考えた。
そんなアーサー卿が、深夜クレオパトラズ・ニードルの近くを歩いていると、一人の男が川べりの欄干に凭れかかっているのが見えた。
ポジャーズ氏だった!
その時、アーサー卿の頭に名案が閃いた。彼は後ろから忍び寄ると、ポジャーズ氏の両足を抱えて、テムズ河に放り込んだ。
続く数日間、彼は絶望と不安の間を行き来していた。が、ついに待ち焦がれたそれが訪れた。給仕が届けた夕刊に、手相術師ポジャーズ氏の自殺を報じる記事が載っていたのだ。アーサー卿は新聞を手にしたまま外に飛び出すと、マートン家に向かい、シビルに明日結婚しようと告げたのだった。
数年後、彼らは男女二人の子供の親になっていた。
ウィンダミア夫人がオールトン・プライオリに一家を訪ねてきた。相変わらず浮名を流すことと珍しい人物を贔屓することに忙しいウィンダミア夫人は、とっくの昔に手相術には飽きていた。しかし、アーサー卿は、自分達夫婦の幸せが手相術に拠るものと信じて疑わない。
「ぼくの生涯の幸福はすべてそのおかげなんですから」と言うアーサー卿に、ウィンダミア夫人は、「そんなばからしい話って、生まれてこの方聞いたことありませんよ」と答えたのだった。
なんとも滑稽で皮肉な物語だった。ウィンダミア夫人の最後の台詞には、多くの読者が頷くのではないだろうか。
怨恨や金銭目的から殺人を犯す話はよくあるが、幸せな結婚のためとは、殺人の動機としてかなり個性的である。手相術師の鑑定を信じたアーサー卿は、気違いじみた思い込みの激しさと有り余る行動力で、愛するシビルと結ばれるため殺人の成就に奔走する。しかも、犠牲者として選んだ二人の親族は、アーサー卿が好いている人物なのだ。
アーサー卿は二度に渡って殺人に失敗する。これはもう、占いが外れたということではないのか。彼は殺人者になる運命ではなかったのだ。良かった、良かった。普通だったらそう思うのではないか。そもそも普通だったら、端から殺人を犯すなんて鑑定は信じないか…。
しかし、普通でない真面目さと誠実な魂の持ち主であるアーサー卿は、占いに沿うように、己の人生を矯正するのである。その結果、アーサー卿の運命を鑑定したポジャーズ氏が、アーサー卿の殺人の犠牲者となる。ポジャーズ氏は、アーサー卿が三ヶ月以内に船旅に出ること、親戚を一人亡くすこと、殺人を犯すことを当てたが、自分が彼に殺されることは予見できなかった。何という皮肉であろう。
アーサー卿がたかだか手相術師の鑑定を信じ込んでしまった理由も希薄なら、殺人を成功させなければ幸せな結婚が出来ないと思い詰めた理由もよく分からない。彼の心理が何一つ理解出来ないながらも、必死に奔走する様が異様に面白くてスイスイ読み進めることが出来た。当の手相術師を殺害しておきながら、手相術のおかげで幸せになれたと感謝しているのにもクスッとなる。
おまけにアーサー卿夫妻の結婚式を執り行ったのは、アーサー卿が爆殺しようとしたチチェスターの司祭長なのだ。信じられないくらい馬鹿げた展開だが、アーサー卿自身は、己を罪深いとも滑稽とも思っていない。喜劇とは、演者が真剣でないと笑えないものだ。
「カンタヴィルの幽霊」もまた、本人が真剣になればなるほど、読者には滑稽に見える物語だった。
カタンヴィル卿の屋敷に憑りついているサー・サイモンの幽霊は、その禍々しい容貌で、長年カタンヴィル家の人々や使用人達を驚かし、時には死に至らしめることもあった。
ところが、屋敷がアメリカ人のオーティス一家に買い取られたことで、彼の人生(?)が大きく変わってしまう。オーティス一家は幽霊など恐れないドライな現代っ子だった。
かくてサー・サイモンは、オーティス家の大人たちからは、顔色が悪いわよと薬を勧められたり、ぶら下げている鎖が錆びているよと油を渡されたりするはめになる。子供たちからは罠に嵌められ、ずぶ濡れになったり、煤まみれになったりする。何とか復讐を誓い、挑戦を繰り返すが、罰当たりなアメリカ人どもには一向に通じず、連敗記録を更新するばかり。それでも、サー・サイモンもオーティス一家も幸せになって物語が終わるのである。この展開の鮮やかさに、ワイルドという人は、苦しむことなく物語を紡ぎだすことが出来る真の天才なのだなと思い知らされたのだった。
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