前回のブログでは、明日香観光の午前の部(石舞台古墳~岡寺)から昼食までを載せました。
今回は午後の部です。
橘寺→飛鳥寺→高松塚古墳→高松塚壁画館の順に移動。その合間に、飛鳥の石造物も見て回りました。
飛鳥の石造物とは、明日香村を中心とした地域に残る飛鳥時代の石造物の総称です。
用途が謎の物が多く、日本文化の基底である仏教美術とも異なる存在です。
明日香は日本仏教のスタート地点ですが、その地に仏教伝来以前の文化の遺物が約20点も残っているのが面白いですね。
橘寺
新西国三十三番霊場第十番礼所
聖徳太子生誕の地と言われ、太子建立の七カ寺の一つです。当時、ここには橘の宮という欽明天皇の別宮がありました。
元々は六十六もの堂宇が並ぶ大寺院でしたが、現在は江戸時代に再建された本堂など、いくつかの諸堂を残すのみです。おまけに現在改修工事中のお堂もあって……。
でも、私がここで見たかったのは二面石なので問題はありませんですよ。
二面石
太子殿の左側にあります。高さ1m、長さ52㎝の花崗岩の左右に、二つの異なる相の顔が彫刻されています。人の心の善悪二相を現したものだそうです。
私、橘寺には四回くらい来ていますが、一つの頭に二つの顔という異形は何度見てもインパクトがあります。こんなデザインのキャラが出てくるゲームとか漫画とか結構ありますね。
往生院の格子天井には華の天井画が260点奉納されていました。
往生院の仏像も本堂の仏像と同様、撮影は出来ませんでしたが、清潔な畳の上で天井画を眺めながら休憩させてもらいました。
橘寺を出て、飛鳥寺へ移動しました。
途中の民家のそばで亀石を見学。
亀石。
長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8mの巨大な花崗岩の下の方に亀のような顔が彫刻されています。
全体的な印象は亀よりも蛙に近い気が…(^-^;
何はともあれ、穏やかに微睡んでいるような表情が愛らしく、悠久の時の流れを感じました。
飛鳥寺(安居院)
新西国三十三番霊場第九番礼所
日本の仏教文化の起点と言える重要な寺院です。
596年に蘇我馬子が創建した日本で最初の仏教寺院。当時は現在の約20倍もの規模の大寺院で、塔を中心に東・西・北の三つの金堂を配し、外側には回廊が廻らされていました。
創建時の伽藍は火災で失われ、現在は塔や金堂の礎石だけが残っています。
本堂の釈迦如来像(飛鳥大仏)
609年に仏師・鞍作止利によって作られた日本最古の仏像です。東大寺の大仏よりも約150年も前に造られたと言えば、どのくらい古いか実感できると思います。
現在の本堂は飛鳥大仏の大きさに比べるとこじんまりとしていますが、その分、飛鳥大仏を至近距離で見学することが出来ます。
住職の丁寧な解説は、大変ためになるので必聴。堂内の写真撮影も可です。以前訪れた時には美大生らしき若者たちがスケッチをしていました。
面長の顔型とアーモンド形の目や長大な耳たぶに大陸の影響が色濃く残っていて、後の時代の仏像とは大きく異なる風貌をしています。また、左右で表情が若干異なります。
胴体は正面を向いているのに、お顔は少し斜めを向いているのは、聖徳太子が生まれたとされる橘寺を見守っているからだそうです。
聖徳太子立像
飛鳥大仏の隣に安置されています。
本堂の中庭。
蘇我入鹿首塚
飛鳥寺の西側の出入口を抜けてすぐの田畑に建ってるのが見えます。
蘇我入鹿が暗殺されたのは明日香板蓋宮ですが、そこから入鹿の首がここまで飛んできたという伝説が残っています。
飛鳥寺を後にして、高松塚古墳まで移動。
この時点ですでに雨が降っていたので、予定をいくつかカットしました。途中で酒船石遺跡(亀形石造物)、酒船石を見学。
酒船石遺跡(亀形石造物)
長さ2.4m、幅2m。花崗岩を加工した石造物。
飛鳥板蓋宮跡の東方に位置する小高い丘陵にあります。日本書紀の斉明天皇2年の条に記された「宮ノ東の山に石を累ねて垣とす」「石の山丘」に符合する遺跡であると推定されています。
遺構は斉明期に造営され、改修を重ねながら平安時代に廃絶されるまで約250年存続したことが判明しています。斉明天皇の「両槻宮」ではないかとも推定されています。
酒船石。
長さ5.3m、幅2.3mの巨大な花崗岩の上に謎の溝が彫られています。
酒船石遺跡そばの藪の中にあります。
酒船石遺跡から酒船石に向かう途中の道にある遺構。酒船石遺跡の一部らしい?
雨脚が強くなってきたので、石造物巡りはこれだけ。
飛鳥の石造物は古代史のロマンなので、本当はもっとたくさん見たかったです。明日香には何度か来ているので殆どの石造物は一度は見ていると思いますが、我が家のある藤沢からは気軽に来れる場所ではないので今回の天気は残念でした。
高松塚古墳
埋葬者不明。飛鳥地方の西南部に位置します。この一帯は桧隈と呼ばれ、渡来人が特に多く移住したと言われています。周辺には天武・持統天皇陵、欽明天皇陵、文武天皇陵や中尾山古墳、岩屋山古墳などが築かれています。
高松塚古墳壁画館
館内は一部を除いて撮影できます。
高松塚古墳内で発見された彩色劇画や副葬品を原寸・原色で再現したものや当時の貴族の衣装を再現したものが展示されていました。
男子群像、女子群像、神獣、星宿図など。
副葬品。
これにて今回の飛鳥紀行は終了。実家のある奈良市まで戻りました。
この日の晩御飯は、奈良名物の柿の葉寿司や棒寿司などを両親の分も買って帰りました。
上にも書きましたが、今回は天気に恵まれなくて残念でした。石造物はもっとたくさん見たかったし、天武・持統天皇陵にも寄りたかった。それらはまたの機会、ですね。
奈良滞在の最終日には、興福寺と春日大社に行きました。
奈良から藤沢まで車で帰ることを考えたら、最終日は実家でゆっくりしていた方が良かったのですが。娘コメガネの修学旅行が京都・奈良でしたが、コロナで一泊二日に短縮されたせいで、奈良は東大寺と薬師寺しか見ていないと言うんですよ。エェ…興福寺の阿修羅像を見なかっただと?
それは勿体無いということで、実家からは興福寺や春日大社は徒歩圏なので散歩がてら連れて行くことにしたのでした。
その時の写真などは、次回のブログに載せたいと思います。
歴史の知識がないのが残念なのですが、奈良は素朴な風情いいですね。
ワタシも石造物巡りをしたいです。
見逃した分は次のお楽しみですね🎵
奈良は父の実家で私は住んだことないし子供の頃にも数える程しか行ったことがないんですよ。なので、私もあんまり詳しくありません💦
実父みたいに奈良で生まれ育った人にとっては当たり前のことに毎回感心しています。あの辺は普通に千年以上前の物が残っているので、百年や二百年だと古いとは感じないみたいです。