
先週の月曜に横浜美術館の『モネ それからの100年』展に行ってきました。
モネが最晩年、画業の集大成となる『睡蓮』大装飾画の制作に着手してから約100年を記念しての開催で、モネの初期から晩年までの絵画29点と、後世代の26作家による66点が展示されています。
夏休み期間に当たっていますが、お盆前の平日ということもあって思ったよりも混雑していませんでした。おかげで気に入った作品をゆっくり見ることが出来ましたよ。
夏休みの子供たちを意識してか、パネルの解説文が解り易くてありがたかったです。一緒に行った娘も飽きずに楽しんでいました。

図説を購入。

元町の近沢レース店とのコラボハンカチも購入。

レースには睡蓮と「Monet」の文字が織り込まれています。


これは私が長年愛用している近沢レースの日傘。
結婚前に夫からプレゼントしてもらったものです。もう16年くらい差していますね。この日も持ってきていました。
『睡蓮』が本展覧会の目玉だと思うのですが、私はそれ以外の風景画の方が心に残りました。特に人物が複数描かれている作品が、奥行きと開放感が感じ易くて好きですね。
物体よりも、それらを取り巻く光や煙、霧、空気などの動きや質感の表現により力を入れて描かれた美しい作品群でした。国内でモネの作品を一度にこんなにたくさん鑑賞できる機会はそれほどないと思いますので、興味を持たれた方はぜひ足を運んでみてください。
本展覧会の展示作品の中では以下の五作が特に気に入りました。

『サン=タドレスの断崖』(1867)
印象派のグループ展は1874年に始まりましたが、それ以前からモネは既に印象派の技法で描いていました。光溢れる夏の海岸に誘ってくれるこの作品は、第1回展の7年も前に描かれたものです。
サン=タドレスはノルマンディー地方の港町ル・アーヴルの一部の地域名で、当時モネの家族が暮らしていました。
海に滑り落ちる断崖と奥に見える町の建物、手前の杖を突いた人物の足元から延びる影、潮風にあおられる樹木、流れる雲など、風景画でありながら躍動感にあふれる作品です。

『モンソー公園』(1876)
今、カルロス・フエンテスの『遠い家族』を読んでいるところなのですが、主要人物の1人であるブランリー伯爵が少年時代に度々訪れていたのがこのモンソー公園なのです。『モンソー公園』が本展覧会に来ているとは知らなかったので嬉しい驚きでした。三回も引き返してじっくり鑑賞しましたよ。
画面真ん中の日傘を差す貴婦人と彼女が手を繋いでいる少女は、モネの人生に大きな影響を与えた百貨店経営者で美術品収集家のエルネスト・オシュデの妻子です。
手前のベンチに座る男性が何者なのかは不明ですが、時間軸を無視してというかブランリー伯爵は様々な時代に存在するらしいので、老年期のブランリー伯爵が少年期を懐かしんでいるところということにしておいたら面白いな、なんて個人的に考えていました。
手前から奥に蛇行しながら伸びていく遊歩道、それを挟む木立の鮮やかな花の色、その隙間から見える高級住宅街、手入れされた花壇や芝生、散歩を楽しむ裕福そうな人々。穏やかな日常の一コマでありながら、この絵もまた、光や空気の動きが表情豊かに表現されています。

『ヴァランジュヴイルの風景』(1882)
ヴァランジュヴイルはノルマンディー地方の避暑地です。
画面手前に一列に並ぶ樹木、その間から見える海、後方に霞んで見える断崖という配置が奥行きと空間の広がりを感じさせます。このような「木の間越し」の構図を、モネは浮世絵から学んだと言われています。

『睡蓮』(1906)
本展覧会に展示されていた何枚かの『睡蓮』の絵の中では、この『睡蓮』が一番好きです。
上部に行くにつれて少しずつ小さくなって花の向きを変えていく睡蓮、空と雲の映り込んでいる部分の水面の明るさ、樹木が写り込んでいる部分の水面の暗さなど、縦横に広がる空間が開放的な印象の『睡蓮』です。

『バラの小道の家』
亡くなる前年の作品です。自宅の庭を描いていますが、モネ自身の目にこのような風景が見えていた訳では無いらしいのです。と言いますのも、亡くなるまでの20年間、モネは眼病に苦しみ続けていたからです。二度の手術を受け眼鏡をかけることで、多少視力を矯正することは出来ましたが、その目にかつての世界を取り戻すことが出来ませんでした。画家にとって視力を損なうことは命を絶たれるのに等しい苦しみだったことでしょう。
病に侵された目に映る世界は、物の形は歪み、色は誇張され、いっそ目が見えなくなった方がましというものでした。モネは今見えている恐ろしい自然より、いつも見ていた美しい思い出を大切にしました。
本展覧会のモネの作品の中でもひときわ鮮やかな光と色彩の乱舞は、肉体の不如意に屈せず画家として燃焼し尽したモネ自身の命のきらめきのようです。