17日、立命館大阪プロムナードセミナー「木津川 計/芸能文化講座」第2回を受講しました。木津川 計さんは「上方芸能」発行人、元立命館大学教授、和歌山大学客員教授です。上方に限らず新派や新国劇など日本の芸能文化論を2ケ月毎に6回論じます。
第2回のテーマは「純愛と慕情の力―新国劇と長谷川伸-」でした。
慕情とは「男が女に抱く切ない気持」のことで、木津川さんが一番綺麗な言葉と思っているそうです。恋ごころで、恋情は叶えたい叶えたいと相手に向かいますが、慕情は抑えねば抑えねばと自分に向かいます。
昭和9年、高見順は同人誌「日暦」に「故舊忘れ得べき」を連載し始めました。その中で「慕情」という言葉が使われました。美しい日本語の誕生でしたが、言葉として社会化しませんでした。昭和30年、アメリカ映画「慕情」が封切られ、この映画によって「慕情」という言葉が認知されました。
慕情は舞台劇も文芸も、映画も全部近代、明治以降の産物です。日本文学の研究者として評価の高いドナルド・キーン氏が指摘する様に「プラトニックな男女関係は明治の文学から繰り返し扱われる」ようになりました。
二葉亭四迷の「浮雲」、田山花袋の「蒲団」は慕情のまま小説は終わります。慕情の傑作は昭和18年封切の映画「無法松の一生」です。新国劇を活性化させた長谷川伸は慕情の劇作家といえました。「一本刀土俵入り」「関の弥太っぺ」、いずれも女人に抱く優しい渡世人の美しい献身、清潔な慕情です。
48作品に及んだ映画「寅さんシリーズ」の寅さんも慕情に生きた男です。「冬のソナタ」も「世界の中心で愛を叫ぶ」も同様です。
第2回のテーマは「純愛と慕情の力―新国劇と長谷川伸-」でした。
慕情とは「男が女に抱く切ない気持」のことで、木津川さんが一番綺麗な言葉と思っているそうです。恋ごころで、恋情は叶えたい叶えたいと相手に向かいますが、慕情は抑えねば抑えねばと自分に向かいます。
昭和9年、高見順は同人誌「日暦」に「故舊忘れ得べき」を連載し始めました。その中で「慕情」という言葉が使われました。美しい日本語の誕生でしたが、言葉として社会化しませんでした。昭和30年、アメリカ映画「慕情」が封切られ、この映画によって「慕情」という言葉が認知されました。
慕情は舞台劇も文芸も、映画も全部近代、明治以降の産物です。日本文学の研究者として評価の高いドナルド・キーン氏が指摘する様に「プラトニックな男女関係は明治の文学から繰り返し扱われる」ようになりました。
二葉亭四迷の「浮雲」、田山花袋の「蒲団」は慕情のまま小説は終わります。慕情の傑作は昭和18年封切の映画「無法松の一生」です。新国劇を活性化させた長谷川伸は慕情の劇作家といえました。「一本刀土俵入り」「関の弥太っぺ」、いずれも女人に抱く優しい渡世人の美しい献身、清潔な慕情です。
48作品に及んだ映画「寅さんシリーズ」の寅さんも慕情に生きた男です。「冬のソナタ」も「世界の中心で愛を叫ぶ」も同様です。