僕の「人生中盤の夢!~その1」は、なんといっても「メキシコ地下鉄タイヤの開発」でした。
日本では札幌地下鉄にタイヤが装着されていますが、他の地下鉄には全て鉄輪が装着されています。
メキシコ市の地下鉄にも全て「窒素ガスを封入したタイヤ」が装着されています。
このタイヤ式地下鉄の発祥地はフランスのパリ地下鉄ですが、ここメキシコ地下鉄はタイヤ式地下鉄として世界最大の規模(当時全8路線)を誇っていました。
その世界最大のタイヤ式地下鉄網に「僕の設計したタイヤを装着」することが「僕の人生中盤の夢!~その1」でした。
1982年に従来技術で製造した地下鉄タイヤをメキシコ地下鉄へテスト装着しましたが、約5万Km(地球1周+1万Km)を走破するのがやっとでした。
こんな代物では、とても商売へ結び付けられません。
そこで、長距離(地球5周分の20万Km)を走行できなかったのは、他路線に比べて走行条件に違いが有るはずだと考え、実際の車両走行条件でのタイヤへの入力を予測し直し、まずはクリアーすべき室内タイヤ試験条件と実車試験条件を新たに設定し、この試験条件に合格できるタイヤの設計を開始しました。
又、地下鉄は「加速⇒最高速走行⇒減速⇒駅で停車⇒加速・・・」を繰返しながら延々と走行すると云う使用条件面の特徴があります。
そして、この第2世代の地下鉄タイヤの設計を開始したのが1983年のことでした。
それからの2年間は新たな発想を加えた新規地下鉄タイヤの設計&開発に没頭しました。
・タイヤ加硫用金型内の新規タイヤ形状?
・タイヤに適用する新規補強材料と新規ゴム材料?
・タイヤの室内試験と実車試験での目標性能?
・新規プロトタイヤの「設計~試作~試験評価」?
2年間の新規プロトタイヤの「設計~試作~試験評価」の繰返しで、遂に目標性能をクリアーし、1985年にメキシコ地下鉄へプロトタイヤをテスト投入しました。
目標の20万Kmを完走するまでの2年間、各走行ステージで入念なフォローを繰返し、2年後の1987年に遂に目標の20万Km完走を達成することができました。
地下鉄当局側は実際に使用する地下鉄での現車走行の評価結果で採用の可否を決定されますので、この20万Km完走を高く評価され、翌年の1988年需要分の50%受注を獲得できました。
それまでのメキシコ地下鉄にはフランスのMi社製タイヤが全量装着されていましたが、遂にその牙城切り崩しに成功したわけです。
これが、「僕の人生中盤の夢!~その1」が実現した瞬間でした。
日本では札幌地下鉄にタイヤが装着されていますが、他の地下鉄には全て鉄輪が装着されています。
メキシコ市の地下鉄にも全て「窒素ガスを封入したタイヤ」が装着されています。
このタイヤ式地下鉄の発祥地はフランスのパリ地下鉄ですが、ここメキシコ地下鉄はタイヤ式地下鉄として世界最大の規模(当時全8路線)を誇っていました。
その世界最大のタイヤ式地下鉄網に「僕の設計したタイヤを装着」することが「僕の人生中盤の夢!~その1」でした。
1982年に従来技術で製造した地下鉄タイヤをメキシコ地下鉄へテスト装着しましたが、約5万Km(地球1周+1万Km)を走破するのがやっとでした。
こんな代物では、とても商売へ結び付けられません。
そこで、長距離(地球5周分の20万Km)を走行できなかったのは、他路線に比べて走行条件に違いが有るはずだと考え、実際の車両走行条件でのタイヤへの入力を予測し直し、まずはクリアーすべき室内タイヤ試験条件と実車試験条件を新たに設定し、この試験条件に合格できるタイヤの設計を開始しました。
又、地下鉄は「加速⇒最高速走行⇒減速⇒駅で停車⇒加速・・・」を繰返しながら延々と走行すると云う使用条件面の特徴があります。
そして、この第2世代の地下鉄タイヤの設計を開始したのが1983年のことでした。
それからの2年間は新たな発想を加えた新規地下鉄タイヤの設計&開発に没頭しました。
・タイヤ加硫用金型内の新規タイヤ形状?
・タイヤに適用する新規補強材料と新規ゴム材料?
・タイヤの室内試験と実車試験での目標性能?
・新規プロトタイヤの「設計~試作~試験評価」?
2年間の新規プロトタイヤの「設計~試作~試験評価」の繰返しで、遂に目標性能をクリアーし、1985年にメキシコ地下鉄へプロトタイヤをテスト投入しました。
目標の20万Kmを完走するまでの2年間、各走行ステージで入念なフォローを繰返し、2年後の1987年に遂に目標の20万Km完走を達成することができました。
地下鉄当局側は実際に使用する地下鉄での現車走行の評価結果で採用の可否を決定されますので、この20万Km完走を高く評価され、翌年の1988年需要分の50%受注を獲得できました。
それまでのメキシコ地下鉄にはフランスのMi社製タイヤが全量装着されていましたが、遂にその牙城切り崩しに成功したわけです。
これが、「僕の人生中盤の夢!~その1」が実現した瞬間でした。