『 台所から見える黄葉 』
新聞を見てもTVを見ても、よくもまぁ次々と問題が起きるものだと感心してしまう。
社会が動いている限り人間が生活を営む限り、問題が不正が悪事や事故や事件が
起こり、それが当然の様に次々と起こってはすぐに忘れられて、また次の問題が
起きるという事の繰り返しだ。
問題が解決されて過去のこととなり忘れ去られるのならまだ良いのだが、何の解決も
なく依然大きな問題のままで次の問題の陰に隠れてしまうようで残念だ。
例えば例を挙げてみると、思いつくままであまり意味はないけれど、キリがないほど
浮かんでくる。
海外では、米と中との関税合戦。米の経済政策。移民の排除。中国の領海侵犯。
北朝鮮のミサイル発射。ロシアとウクライナの戦闘は。シリアの開放。イスラエルと
ヒスボラの停戦合意は果たして。難民や被災地の救済は。韓国の弾劾騒ぎ、検察トップ
出身の大統領を検察が訴追できるのだろうか。
国内では、SNSの兵庫県知事はどうなる。103万円の壁は。裏金議員の処遇は。物価の
値上りはどうする。災害復興の遅れ。年金の目減りと保険料のアップ。放火、殺人、交通事故
の多発、原発の再稼働、無差別殺人、放火殺人……
国の内外で表層的だが書き出せば切りがない位である。いつもこうした問題、悩み、矛盾を
日本も世界も抱えている。
人の世の営みがある限り太古の昔からこうした問題は付き纏ったのだろうか。
そうした問題を解決するのが政治だろうが、現代になっても政治だけは一向に進歩をしていない
かのように無力である。
政治や政治家は一体何をしているのかと首をかしげてしまう。今ではその首が痛い位だ。
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