会津旅行―6 『 天守閣から城下町を 』
何もかも変わって、変わらぬものはお城の石垣だけだった。
4~50年の時の経過は、人も町の風景も良くも悪しくも変えてしまうのは当然かもしれない。
鶴ヶ城はさすがに観光客で賑わっていた。本丸もきれいになって天守閣は青空に聳え立っていた。
昔は本丸の広場も整備はされておらず天守閣もなかった。さらに一時はこの本丸に競輪場があった
のだから、今昔の感に打たれる。
本丸へのスロープや石垣の坂はソリやスキーの格好の遊び場であったし、夏は蝉取りと魚釣り、
秋は紅葉、春は桜の名所だった。
日々の生活や病の心配や経済的な苦労や悩み等もなく(というより知らなかっただけなのだろうが)
あの頃が一番幸せだったのではとつくづく思う。
天守閣へ躊躇していたが、尻を押されて意を決して手摺に必死に掴まりながらゆっくりと、他の観光客の
邪魔になりながらも一歩一歩と昇ってとうとう天守閣の見晴らし台へ到達することが出来た。
昔お殿様が見たのと同じ景色を目にすることが出来た。緑に囲まれた市街地、水を湛えてキラキラ光る水田、
遠くにはまだ白い飯豊山連峰そして磐梯山や東山に飯森山と素晴らしい景色だった。
お城の中の売店で会津そばを堪能する。
その足の序でにお城の傍の宮泉酒造のショウルームへ寄ってみる。老舗の大手酒造で「宮泉」を出している。
ここは小学時代仲良しだった同級生が嫁いだところでなので会えればとも思ったのだが、既に御隠居様で
山の方の別荘に引っ込んで居られるという事だった。記念に大吟醸を一本買って失礼した。
さあいよいよ帰路である。郡山を目指す途中、猪苗代湖畔の野口英世博士生誕の地記念館に立ち寄る。
ここは何年生の時だったか遠足で来たところだ。藁屋根、囲炉裏等があって暗い如何にも貧しい家で、
どんな苦境にあっても頑張れば何でもできるのだという無言の教訓を子供達に与えていたものだ。
それがどうだ、家全体が近代建築で覆われて、立派であるけれどいかにも観光施設という感じで、
博士のイメージは無くなっていた。早々に引き上げた。
一路郡山へ。そこから新幹線でというルートだった。6時半ごろには無事に茅ヶ崎へ帰りついた。
疲れたが良かったとホッとした。
今回の旅行では雅ちゃん由美ちゃん夫婦にはすっかりお世話になってしまった。有難いことだ。
それにしても年を取るとはかなり不便で結構辛いものだと改めて知らされた。
もう行くことはないのかと思うと、やはり妙に寂しさが込み上げてくる。何時か又そんな日が……。
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