『 初夏の夕暮れ 』
遠藤 崇昭さん 撮影
コロナは、流行り風邪と同じ程度になっても、強い感染力持って彼等はしぶとく
虎視眈々と人間の油断や隙を狙っている。
異常な用心や怯え、過度の不安や対策は、日常生活を乱しその人の人生を脅かし
狂わしてしまう可能性がある。少なくても我慢や制限ばかりの生活になってしまう。
それではあまりに哀しいし気の毒だ。程々の用心と対策でと言うことなのだろう。
そうはいっても潔癖性や不安症や思い込みの強い人にはそれが出来ないのだろう。
いざ諸々の規制が解除されても、そう言うタイプの人は周りの人より半年も1年も
遅れたやっと解放されるのだろう。気の毒にも思うがこういうタイプの人は社会を
制御したり変えたり動かす時には、結構重要なターゲットであり、見逃せない存在
だと社会心理学者は言っている。
コロナ菌は何時までも残存するし、情況や環境によっては何かの拍子に爆発する
可能性があるという。と言うことは最低限の対策をし続けるしかないと言う事になる。
自分だけは大丈夫と、とかく思いがちだがその結果が周りの人にも社会にも影響を
与えてしまうことを忘れてはならない。
せめて人の多いところではマスクを、大勢との会食でもそうだ、これをすんなり抵抗なく
マナーのように習慣化する事だろう。
意識するとストレスになるから、そうした生活に慣れて無意識まで持っていきたい。
ストレスなど受けないようにしたいものだ。
マスクを忘れるのでなく、マスクをしているのを忘れる位にと言うことだ。
この稀にみる猛暑ではマスクは熱中症になりやすいと言うから問題であって、着ける、外す
のタイミングを適宜巧く使い分けるしかないのだろうか。
ストレスがなくなれば、あの解放されたという快感はないかも知れないが、あの夜の繁華街
での路上飲みなどの馬鹿騒ぎはなくなり、日本人の品位品格が一段と上がろうというものだ。
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