マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

神の哀れみに、縋りつく

2023年10月06日 | 日記

「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、

          その行いの実によって報いをするためである。」

                                        エレミヤ  17章 10節 

神が人を見る視点は顔かたちや、はでなパフォーマンスではなく、外に現れた現象に囚われず心深くに隠れた動機を探られます。

また、様々な試練を通して私たちの思いを知ろうとなさるのです。

ある意味で怖い話ですが、神に真実に従い、赤裸々に自分をさらけ出しているなら、

なにも恐れることはいりません。神は私たちを知り尽くしてそれぞれに応えてくださるのです。

 

ダビデはこう祈っています。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。」

そして彼は続けて、「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」

傷ついた道を知らされることによって、初めてとこしえの道を歩むことができるのです。

私たちが自分の邪悪さを知ることによって初めて、本当に神の憐れみにすがり、

キリストの十字架のところに走っていくことができます。

人間には自分の心を知ることはできませんが、主は知っておられます。以下神の約束です。

 

詩篇 139 編 23~24節
「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」

1歴代28:9
「主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。」

箴言17:3
「銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。」

 

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知識と悟り

2023年05月12日 | 日記

しかし、心にひそむ罪を、どうして知りえましょう。 どうか、隠れた罪からもきよめてください。
故意に悪に走ることからも引き止め、守ってください。 そうすれば、私は過ちを犯さず、大きな罪からも逃れることができます。
私の口のことばと、秘めた思いが、神様に喜ばれますように。ああ、私の岩、私の救い主、主よ。
 
                             詩篇 19扁 12~14節  リビング・バイブル
 
松明に ・・ ?

 知識と悟りの区別について。
 
           「 知識があるという事は、」 ・・・ 道を照らそうとして、松明を使う事。
           「 悟ったとは 」        ・・・ 松明になる事

神学校で何年か学び、それで悟ったつもりで、人々に語り、果てには、愛の御言葉で、人々を傷付けていた私、その時思ったのです。

 「 この人たちは信仰が弱いから、私の勧めが理解できないのだ 」 と。なんと高慢な者でしょう。

知識だけを振り回し、そこに何の実体もない事すら分からずに歩んでいた、
 
真実に一番惨めなのは私自身であるのに、その私を主は、抱き上げ、神の働きのために育ててくださいました。

 「 私の松明となるように 」 と。今も松明になり切れているかは、甚だ自信のないものです。

ただ、主よ、私をあなたの御手の中にと、祈っています。

 

ダビデがここで話しているのは、知らずに犯した罪のことです。

私たちは、霊的に鈍くなっていて、罪を罪と認められないものがたくさんあります。

気づいていないところで犯している罪があります。

神さまとの交わりに罪が妨げになってほしくないと願っているダビデは、

知らずに犯している罪に対しても、その赦しを願っています。

 

ヨハネ 15:3
「あなたがたは、わたしがあなたに話したことばによって、もうきよいのです。」

 

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食べ物

2023年03月10日 | 日記

 

「食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。」                                    
 
                                          

                           ローマ 14章 3節

「 私はキリストの憐れみによって嘆願する。あなた方も誤りを犯すこともあり得ることを考えて見て下さい 」 クロムウェル

教会には厳格な狭量派と寛大な自由派があります。この時代にも、また現代と言うときにも、二種類の人たちがいます。

それは表に出さない人と、はっきりと態度で表す人たちです。

 

私たちは教会の交わりから、あら捜しや軽蔑を ( 色んな意味を込めて )、共に無くさなければなりません。

ただ同情と愛と理解を持っことをに努めなければならないのです。

 

主イエスは 「 信仰は食べ物に関する規則を守ったり、安息日の過ごし方などという規則で縛ることはできない 」 とハッキリ言われています。

食べ物に汚れたものなどははない。安息日に働きさえしなければいい、と言うものではなく、

主が望まれているのは、もっと生き生きとした愛であり、義であると言われているのです。

私たちは神の前では、だれもほとんど似たり寄ったりだということを知りながら、差の小さな差に悩みます。

相手のほんのわずか違うことを、私たちは怒ったり、非難したりします。

主は、どんな人も使われるし、愛されます、愚かな人も賢い人も、勇気ある人も小心な人も、だらしない人も潔癖な人も、

それぞれ、それなりに心をもって尽くしていることを知ったうえで愛し、私たちを適材適所によって使ってくださるのです。

      

   何故。人を裁いてはならないのか ?  それは、神が愛をもってその人を受け入れているからです。 

 

食物についての聖句を。
 
 「・・・・ イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。 」 マルコ 7:19
 「・・・・ しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。」 Ⅰテモテ 4:3
 「・・・・ 神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。」 Ⅰコリント 8:8
 「・・・・ しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、・・・・  」  ローマ 14:23
 「・・・・ 、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。 」 Ⅰコリント 10:31 その他。
 
 そして最後に。
     「 しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」 ヨハネ 4:32

        裁くのも疲れてしんどいものです。裁かれるのもまた辛くしんどいものです、平安がありますように。アーメン

 

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謙遜とは。

2022年12月30日 | 日記

「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」
          
                箴言 18章 12節

これは興味深いです。初めに 9 節、仕事を怠ければ、それの刈り取りをします。

けれども、富に頼る者は、それがそそり立つ城壁のようになっていると思い込みます。

けれども、主の名こそが堅固な櫓です。そして、富への依存は高慢にも関わり、高慢は破滅に先立ちます。

そして高慢の現われとして、人の訴えや話を聞かないというものがあります。自分で勝手に解釈して、

自分の都合の良いようにしてしまうことも、「よく聞かない」ことになります。

 

人は謙遜を口にしている時でさえ、高慢な時があります。聖書また箴言が教える、

二つの尊い特質は。謙遜と主を恐れることです。

 

平和な日々の中で、自己満足、無神論的世界観、物質万能主義の支配する今日この頃です。

この風潮が、私たちの目をくらまして真実を覆い隠しています。もう遅すぎるという前に、

今こそ襟を正しましょう。来るべき、神の大審判より救われる、

安全地帯は、キリスト・イエスの十字架の贖いの他にはありません。

 

「 私どもは、自分を見てへり下るのではなく、十字架のあの方を、見てへり下るのである 」
                                      マ―レ

 

 

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クリスマス

2022年12月24日 | 日記

 

聖し この夜 なべて静か 御子イエス 母の かいなに眠る 安らかに 安らかに     

                             聖 歌 148

きよしこの夜 星はひかり 救いの御子は まぶねの中に 眠り給う いと安く       

                             賛美歌 109 

                                                                                                                                                             聖書のルカの福音書 から

 2:6 ベツレヘムにいる間に、
 2:7 マリヤは初めての子を産みました。男の子でした。 彼女はその子を布でくるみ、飼葉おけに寝かせました。 宿屋が満員で、泊めてもらえなかったからです。
 2:8 その夜、町はずれの野原では、羊飼いが数人、羊の番をしていました。
 2:9 そこへ突然、御使いが現われ、主の栄光がさっとあたり一面を照らしたのです。 これを見た羊飼いたちは恐ろしさのあまり震え上がりました。
 2:10 御使いが言いました。 「こわがることはありません。 これまで聞いたこともない、すばらしい出来事を知らせてあげましょう。 すべての人への、うれしい知らせです。
 2:11 今夜ダビデの町(ベツレヘム)で救い主がお生まれになりました。 この方こそ主キリストです。
 2:12 布にくるまれ、飼葉おけに寝かされている赤ん坊、それが、目じるしです。」
 2:13 するとたちまち、天の軍勢が現われ、御使いといっしょに神をほめたたえました。
 2:14 「天では、神様に栄光があるように。地上では、平和が、神様に喜ばれる人々にあるように。」
 2:15 御使いの大軍が天に帰ると、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こうぜ。 主が知らせてくださった、すばらしい出来事を見てこようじゃないか!」と言い合いました。
                                                          リビングバイブルより                                                    

あなたは誰をまた何を待ち望むのでしょう。この世の当てにならない、またはかなく消えゆくものに人生の全てを費やしてはなりません。真実にあなたを愛するお方がおられます。このかた即ちキリスト・イエスを知っていただきたいのです。

今年のクリスマスは、御子主イエス・キリストとの二人きりの恵みの時を。

 

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