マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

わが家へ

2024年12月13日 | キリスト教

 

しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。

それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。                                                 
  
                                                 へブル 11章 16節

 

人生とは神の国を目指す旅であり、私たち信仰者は寄留者です。信仰者の本籍は天にあります。

 

それゆえに 神は一点において、私たちに誇りを持ち、喜んでおられたことがあった。

 それは、神が用意してくださっている天の都をあこがれていた、ということです。

 
ピリピ  3:20
「しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています」
                   

ピリピ  1:23
「私は、その二つのもの (死と生) の間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。

 実はそのほうが、はるかにまさっています。」                                                                              

                                                                  


ややにちかし あまつわがや こころにえがきて われはまてり  そなえられし わがすまいは かがやける まちのなかにぞある 

                                                   聖歌 364 より

 

 もしよろしければ、聖書をお開きになって、この聖句の文脈をお確かめ下さい。聖書には死後のことも、今の命をどのように生きるかも書かれています。

     聖書は、決して死を待ち望むようには命じてはいません。天国を待ち望むべきであるとごく頻繁に命じています。  

 

                                           マシュー・ヘンリー  

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