しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。
それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
へブル 11章 16節
人生とは神の国を目指す旅であり、私たち信仰者は寄留者です。信仰者の本籍は天にあります。
それゆえに 神は一点において、私たちに誇りを持ち、喜んでおられたことがあった。
それは、神が用意してくださっている天の都をあこがれていた、ということです。
ピリピ 3:20
「しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています」
ピリピ 1:23
「私は、その二つのもの (死と生) の間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。
実はそのほうが、はるかにまさっています。」
ややにちかし あまつわがや こころにえがきて われはまてり そなえられし わがすまいは かがやける まちのなかにぞある
聖歌 364 より
もしよろしければ、聖書をお開きになって、この聖句の文脈をお確かめ下さい。聖書には死後のことも、今の命をどのように生きるかも書かれています。
聖書は、決して死を待ち望むようには命じてはいません。天国を待ち望むべきであるとごく頻繁に命じています。
マシュー・ヘンリー
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