「しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
ヨハネ 8章 7節
罪のない者とは、罪を犯したことがない者ということです。
イエスはここで、この女が石打ちの刑になるべきであることを否定されていません。むしろ、「彼女に石を投げなさい。」と命じておられます。
そうです、彼女は死に値する罪を犯したのです。けれども、イエスは同時に、あなたたちも石打ちの刑を受けなければいけませんね、と暗に示されています。
罪を犯せば、モーセの律法によれば死刑です。彼らも殺されなければならないのです。
姦淫の女に石を投げなかったイエスは、世の光でした。イエスは、暗やみのわざを明らかにされる光なのです。
そして同時に、神の恵みとまことを完全に示す光でもあります。その罪が赦される恵みを現わす神であります。
イエスは、「わたしに従うものは、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と言われましたが、この女はいのちの光を持った例です。
自分が神の律法(聖書の言葉)に照らして、死ななければいけないことを悟らない限り、神の救いとその恵みを味わうことは決してない。
1)罪が分からなければ、キリストの死は分からない。
2)分かっても、その刑罰が死であることを認めなければ、キリストの死は分からない。
3)罪の赦しも、救いも、永遠の命も、「自分が死刑を受けるべき罪人だ」ということが分からなければ、そこに感動も恵みも感じられない。
4)だから、ユダヤ人指導者のように、戒めの一つでも徹底的に守ろうと努力してみるのも良いかもしれない。(いかに守れないかを知るため)
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